79 虐待
謁見を終え、応接間にやってきた王は、意外にもすんなり俺たちの話を受け入れてくれた。
ロエナの口添えがあったとしても、王を説得するのは骨が折れるだろうと考えていた俺は、肩透かしをくらった気分だった。
赤い瞳を楽しそうに細めた王は「この世界の人間にしては、奇妙だと思っていたのだ」という。
ドラゴンを軽々討伐する力を持ちながら、今まで冒険者として一切名が知られていなかったこと。
爵位や領地にまったく興味を示さなかったこと。
加えてノアが、王との謁見に際して臆することがなかったこと。
謁見にくる平民は、みな一様にどこか戸惑いや恐れを抱いているという。
平静を装っていても、長年多くの人を見極め続けた王には、心の奥底にある不安が感じ取られるそうだ。
しかしノアには、それがまったくなかった。
強国の王と対峙しているかのような錯覚にまで陥ったと、王は笑った。
謁見の場での威厳ある姿とは異なり、気のいいお兄さんのような話しぶりだ。
おかげで、緊張で固まっていた妻も表情をすっかり和らげている。
「それで?ユージの妹はどこにいる?」
王がふとまじめな顔をして、本題に入る。
「王都から見て南側にあるダルモーテ侯爵領です」
「ふむ。あそこは気候もよく、作物の育ちもよい土地だな。侯爵も領民思いの名君と知られている」
「ですが、よい父親とは言えないようですね」
チクリと刺すように、ノアが言う。
王はその言葉に、眉をひそめた。
どうやらそのたった一言で、勇司の妹の所在を予想できたらしい。
「侯爵家の人間か……。だから我ら王家に力添えを望んだのか?」
「ええ。権力者には、より強い権力者をぶつけるのがセオリーですから」
王はふっと笑い、頷いた。
「侯爵家には子どもは3人いたな。前侯爵夫人の娘である長女と、現侯爵夫人が愛人だったころにできた次女。そして最近生まれた跡取りの長男」
「ええ。そのうちの一人が、苛烈な虐待を受けています」
「……長女か」
ノアが頷くと、王は深いため息をついた。
隣で話を聞いているロエナも、唇をかみしめて怒りをあらわにしている。
「侯爵家の長女は、いくつだったか……」
「まだ10歳ほどだったかと思いますわ、お父様」
王の疑問に、ロエナが答える。
王はまた深くため息をつき「酷なことを……」と呟いて首を横に振った。
「仔細はわかるか?」
王がノアに訊ねる。
ノアは頷いて、少女の現状について語り始めた。
現代の侯爵家の当主は、婚約者がいるにも関わらず、学生時代に一人の同級生と恋に落ちた。
婚約者との仲は事務的なもので愛情を抱いていなかったこともあり、婚約を解消して真実の愛を貫きたいと訴えた。
しかし婚約者が同じ侯爵家の令嬢であるのに対し、同級生は家格の劣る男爵家の娘。
両親に受け入れられるはずもなく、卒業後は婚約者と無理やり結婚させられることになった。
しかし、周囲の反対は恋する2人を余計燃え上がらせるもの。
結婚後も2人の密会は続き、やがて子どもまで生まれた。
そのころ前侯爵夫妻が不運な事故で命を落とし、現当主が侯爵家を引き継いだ。
当主は本邸にはほとんど戻らず、愛人とその娘を囲うために建てた別邸に入り浸っていた。
やがて長年の心労がたたったのか、侯爵夫人は病で命を落とした。
愛する一人娘を残して……。
夫人の死後、当主は本邸に戻り、愛人を新しい妻として、娘とともに迎え入れた。
前妻の娘のことはすべて、新しい妻に任せることにしたそうだ。
妻自身が任せてほしいと主張したからだという。
そして少しずつ虐めが始まった。
はじめのうちは、食事の量を減らしたり、悪口を言う程度だった。
しかし咎められないことを知ると、どんどん虐めはエスカレートしていった。
前侯爵夫人の遺品を処分する。
鞭で叩く。
食事は残飯のみ。
部屋は取り上げられ、納屋に追いやられる。
そして朝から晩まで、侯爵家の使用人の誰よりも長い時間働かされている。
「……ひどい……」
耐えきれず、呟いたのはロエナだった。
妻も目に涙をためている。
何の罪もない少女に、どうしてこれほどのことができるのだろうか。
愛する人と自分を引き裂いた原因である前妻に、現侯爵夫人が恨みを抱くのは理解できる。
しかし自分の娘と同じ年頃の少女に対して、鬼のような所業を行う理由にはならない。
「侯爵は、娘を不憫には思わないものか……」
「両親の手で無理に結婚させられた相手との娘になど、興味はないそうです」
「……血を分けた娘だというのに……愚かな……」
王はちらりとロエナを見つめた。
同じ父親として、彼の身上は痛いほど理解できた。
自分なら、娘がそんな目に遭うのは絶対に耐えられない。
彼は同じ父親として信頼できる。
俺は心の中で王に親近感を覚えていた。