67 神の使者
「さて、残る問題は君かな?ネルくん」
そう言って、ノアがネルに笑みを向ける。
「え……?」
「このままだと、君はそこのバカ王子に処刑されちゃうかもよ?僕たちは違う世界へ行くから大丈夫だけど」
「……大丈夫です。覚悟はできています」
「う~ん……その覚悟って、本当に必要?」
首をかしげながらも、ノアの瞳は雄弁に「必要ない」と訴えていた。
ネルは戸惑った様子で「しかし……」と言葉を濁している。
「君は王家に忠誠を誓っていた」
「はい」
「でも、仕えるに値しないクズだと気づいた」
「い、いや……」
「違う?」
「……」
明確な肯定はしないが、否定もしない。
それだけで、彼の本音が伝わってくる。
立派な忠誠心だと、素直に感心した。
「……俺は、嫌だな」
気づけば、ぽつりと呟いていた。
何が嫌なのかわからない、とでもいうような顔で、ネルが俺に振り向く。
その目を見ながら、俺は続けた。
「俺は君のこと、よく知らないけどさ……聖女の献身を当然とせず、ここから感謝できる君は、誠実な人なんだと思う。それに、彼女が元の世界に帰るって聞いたとき、俺は引き止めるんだと思っていた。聖女がいなくなるのは、この世界では死活問題だから……」
「……それは……」
「でも、君は一切引き止めず、笑って送り出そうとした。それはなかなかできないことだと思う。だからこそ、俺はそんな君がこのまま殺されてしまうのは嫌だな」
「……ありがとう、ございます……」
ネルの瞳には、涙が滲んでいた。
それが、俺には「生きたい」という願いに思えてならなかった。
「わ、私も!」
由佳里が声を上げる。
「私も、ネルが死んじゃうのは嫌!無口だし、何考えてるかよくわからないことも多いけど、ネルが私を大事にしてくれてたことは知ってる。怖いものから守るように、大きい身体に私を隠してくれてた……」
「聖女様……」
「この子……ノアくんって、多分神様よりもすごい人なんだよ。さっき私たち、神様と会ってきたけど、ノアくんには逆らえない感じだった!だから……多分、ネルのことも助けてくれる。でもそのためには、ネルが助けを求めなくちゃいけない」
「しかし……」
「ネルが死んだら、奥さんが悲しむよ。まだ子どもだって小さいでしょ?お父さんが帰ってくるの、きっと待ってるよ」
ネルが苦しそうに顔をゆがめる。
葛藤しているのだ。
騎士としての誇りを優先するべきか、父親として家族との再会を望むか。
「家族が心配?」
ノアが問いかける。
「君が逃げたら、家族が後ろ指をさされるって?」
「……っ!」
「でもそれは、君が不義を働いたとして処刑されても同じじゃないかな?どっちにしろ後ろ指指されるなら、家族には生きていてほしいと願うものだと思うけど」
「……いや、裏切りものの家族という汚名を着せることになったとしても……卑怯者とののしられるよりはましだと……」
「ネガティブだなぁ」
呆れたようにノアが言う。
でもそのまなざしは俺たちに向けられるものと同じく、優しい。
「汚名なんてかぶらなくていいよ。君が望むなら、君には聖女の護衛に代わって、新たな役割を与えよう」
「……役割?」
「そう。この世界を守るため、神の使者になるつもりはない?」
「神の使者?じ、自分が……?」
「そう。私利私欲に走らず、強きをくじき、弱気を守る正義のヒーロー!」
……ん?
何か違わないか?
違和感を覚えながらも、話の腰を折るのも何なのでスルーした。
存外ウケなかったことが恥ずかしかったのか、ノアの頬が少し赤くなった気がしたけど、そちらも気のせいだと思っておこう。
「……っていうのは冗談として、この世界の教会には、まっとうなところもあるけどそうでないところも多い。神殿内部が腐敗しているからね。自らの欲に溺れて、救うべき民衆を搾取の対象としか見ていない聖職者も多い。君も、散々目の当たりにしてきたでしょ?」
「……はい」
「そういう腐りきった聖職者を一掃したい。そのために、このまま聖女が巡るはずだった聖地を巡回してほしい」
「自分がですか?」
「そう。ただし、あくまで客観的に判断してね。行き過ぎた正義は、ただの暴力になっちゃうから。そして調査の結果を、神殿で祈りを捧げながら神に報告するまでが君の仕事。君からの報告を受けて、聖職者として不適切だと神に判断されたものは、神力を失うことになる。……簡単に言うと、浄化魔法や治癒魔法が使えなくなるってことだね」
ノアはあっさり言うけれど、それは聖職者からすると何事にも代えがたいほど不名誉なことだろう。
そんな人の運命を左右する決断を迫られるのは、俺ならば耐えられないかもしれない。
しかしネルは戸惑いつつも、怯んだ様子はなかった。
顎に手を当て、黙って話を聞きながら考え込んでいる。
「不正をされちゃいけないから、神託で事前に告知なんかはしないけどね。だからこそ、君には一市民としてありのままを見て、判断してほしい。それにね、聖職者って特別な力を神から与えられる代わりに、悪意に染まったときに生み出す瘴気の量が多いんだ」
「瘴気?」
「あ、ネルくんはまだ知らなかったか。瘴気っていうのはね。生き物の悪意が具現化したものなんだ。世界が悪意にあふれていると、その分瘴気は濃くなるんだ」
「……っ!」
先程の由佳里やネルの反応を見る限り、瘴気の仕組みは公には知られていないようだ。
王族などの権力者はもしかしたら知っているかもしれないが……胸を押さえて苦しみ続けている王子はそれどころじゃなさそうだし、真実は闇の中だ。
「聖職者は本来、清く正しいもの。それが悪意に苛まれると、所有している神力の影響で悪意は数十倍にも増幅する。だからこそ、悪意に溺れた聖職者から神力を剥奪することは、世界の瘴気を減少させることにつながるんだ。……彼ら王族の負担も軽減されると考えると、悪い話じゃないんじゃない?」
その言葉に、ネルは覚悟を決めたように頷いた。
ノアはそれを満足気に眺めて「決まりだね」と笑った。