63 賛美
『まあでも、人間は見ていて面白いし、滅ぼしてしまうのはもったいない気もするわね』
『ならば、一部の者に責任を負わせるか』
『そうねえ、ならば各国の王族にフィルターを担ってもらいましょうか?今まで散々甘い汁を吸ってきたことだし、その見返りということで』
今までの聖女の役割を、今度は王族に押し付けるつもりか?
人を人と思わない非道を行っていた、王子アランのことを思い出す。
彼は確かにひどいやつだったが、ただ王族だという理由だけで、命をすり減らされてもいいとは思えない。
それに、王族にも心根の優しいものがいるかもしれない。
しかし、それはきれいごとなのだろう。
そう知りつつも、心が沈む。
ふふふ、と小さな笑い声が響く。
声の方に目を向けると、うつろな表情のまま、由佳里が笑っていた。
妻はそんな由佳里へ怯えた表情をしつつも、その肩を抱いたまま支え続けている。
「……いい気味よ……」
ぽつりと由佳里が呟く。
そんな由佳里を、ノアが悲しそうに見つめていた。
『あら、ずいぶんね。あなた、あの王子と愛し合っていたんじゃなかったの?結婚の約束までしてたじゃない』
「ふざけないで!あんな男だと知っていたら、婚約なんてしなかったわよ!……あんな、あんなに簡単に人を殺せるやつだなんて知っていたら……」
『でも彼、うまくやっていたじゃない?あなたの前では立派に猫をかぶって、一つのぼろも出さなかった』
『ふむ。今回は運が悪かった。』
『君は知らぬだろうが、見事だったよ。自分に仇をなす可能性が少しでもあれば、容赦なく命を奪う。君には巧みに嘘をついて、誰の死も知られぬよう図っていた』
どうやら王子が無茶をしていたのは、孤児院やスラム街に限ってのことではなかったようだ。
人を嘲る王子の顔を思い出い、気分が悪くなる。
そしてそれを如何にも面白い娯楽として語る神々にも。
ノアはため息をついて「趣味が悪いよ」と呟いた。
そして由佳里に向き治って語り掛ける。
「由佳里ちゃん、迎えに来るのが遅くなってごめんね。君の毎日がどれほど過酷だったかは、理解しているつもりだよ。……でも、願わくば君には憎しみに溺れず、穏やかな気持ちで元の世界に戻ってもらいたい」
真摯に話すノアだったが、見つめ返す由佳里の表情は硬い。
「君を傷つけた者たちはみな、相応の罰を受けることになるだろう。あの王子も、もちろんここにいる神たちもね」
そう言って、ノアが神々を冷たく睨みつける。
神々はうろたえる様子もなく、一様に肩を竦めるだけだった。
由佳里は何も答えなかったが、その瞳は少し揺れていた。
「ねえ、由佳里ちゃん」
声をかけたのは、妻だった。
「由佳里ちゃんは、みんなが嫌いになっちゃったの?」
「……」
「詩織もね、あの王子様やそこの神様たちは大っ嫌い!……でもね、孤児院の子どもたちや教会の人たちは好き。きょうだいのためにお菓子を買おうと頑張っていたエメルくんも好き。由佳里ちゃんは、そんな風に好きな人、いなくなっちゃった?」
「……わかんない……。今までアランのこと信じてきたし、大好きだったのに裏切られて……みんなもそうなんじゃないかって思っちゃう」
「……そっか。詩織はね、由佳里ちゃんのことも好きになったよ」
「え……?」
「だってこの世界でたくさんたくさん頑張ったんでしょ?たくさんの人にやさしくしてあげたんでしょ?詩織、すごいなって思うよ。きっと家に帰ったら、お父さんとお母さんがいっぱい褒めてくれるね!」
詩織があまりに明るく笑うから、毒気を抜かれたのかもしれない。
固く握りしめられていた由佳里の拳は、力が抜けてだらんと垂れ下がる。
「……褒めてくれるかな……?」
「褒めてくれるよ!絶対!!」
「……でも、私いろんな人に騙されて……」
「それは騙した人が悪いの!由佳里ちゃんが頑張ったことは、何にも変わらないよ」
「……そっか……そっかぁ」
そういうと、由佳里はポロリと涙を流した。
しかしその表情は穏やかで、微笑みを浮かべている。
妻は満足そうに笑って、由佳里を抱きしめた。
そしてよしよしと頭を撫でながら「詩織もたくさん褒めてあげるね!」なんて言っている。
由佳里はそんな妻の背中に手を回し、泣きながら笑っていた。
その様子を見て、俺は安堵する。
ノアも同じだったようで、由佳里と妻に向けるまなざしは、ひどく優しかった。