61 解放
しかし俺の魔法などものともせず、女神は涼しい顔をしたまま、指をパチンと鳴らす。
その瞬間、俺の魔法は煙のように消え去った。
攻撃が叶わないだろうことはわかっていたが、こうも容易く対処されてしまうとは。
悔しくて、腹立たしくて、奥歯を噛みしめる。
『無礼ねぇ』
怒りすらも感じさせない声で、女神が言う。
反撃が来るかと身構えたが、何も起こらない。
『何もしないわよ。よそのペットが粗相したからといて、いきなり殺しはしないでしょ?』
そう言って女神が微笑む。
俺たちがペットだとすると、飼い主はノアだとでも言いたいのだろう。
「そうだね、殺されたら困る」
『なら、しつけはしっかりしておいてくださいな』
笑みを浮かべながら、ノアと女神がにらみ合う。
海神が、パン!と手を叩くと、俺たちを檻が覆った。
『しつけがなっていないのであれば、ゲージに入れておけばよいでしょう。むやみに暴れられても困りますからな』
ノアはため息をついて、指を鳴らす。
海神の作った檻が粉々に崩れ去り、代わりに透明な壁に包まれる。
ノアは俺たちに向き直り「そこにいたら安全だよ」と言った。
「君たちは僕の大事なパーティーだからね。でも、まだレベルが足りない。無謀な戦いには、リスクしかないよ」
「ノア……」
「レベル10でラスボスに挑むようなものだよ?このレベルの敵と戦うのは、もっと鍛錬をしてからにしようね」
「……わかった」
さて、とノアは踵を返す。
神々を見据える凛とした後ろ姿は、何とも神々しく見える。
あんな神たちとは、格別に。
「さぁ、選んでもらおうか?話し合いで解決するか、それとも力比べをするか。言っておくけど、僕は結構怒っているよ」
ノアの出した選択肢に、神々が緊張したのがわかった。
そのまましばし膠着状態が続く。
神々の表情から察するに、場の主導権はノアにあるらしい。
やがて海神が深く息を吐き、女神と太陽神にそれぞれ視線を向ける。
女神と太陽神は諦めたように頷いた。
『……あなたと戦ったところで、我らには一粒ほどの勝機もありますまい。致し方ない、今回は退くことにいたしましょう』
「懸命だね」
『しかし失礼を承知で言わせてもらえば、あちらの世界を優遇し、我らの世界を見捨てるのかいかがかなものか』
「何を言ってるの。自分の世界の不始末をよそに押し付けようとする方が、よほど不合理でしょ。あちらの世界は、この世界に何の危害も加えていない。ただの被害者だよ」
『……手厳しいですな』
「グチグチ言わなくていいから、さっさとして。変な真似をしたら、武力行使に出るからね」
ノアに返す言葉もないのか、神々は由佳里に向かって手のひらを向ける。
すると由佳里の胸元からところどころ黒いもやに覆われた、淡い光の玉が出てきた。
やがて光の玉にかかっていたもやが消え去り、再び由佳里の胸の中に戻っていった。
怯えた顔で戸惑う由佳里に、ノアは「大丈夫」と声をかける。
「君の魂にかけられたフィルターを解除させただけだよ。これでもう、君を縛るものは何もない」
しかし由佳里は、その表情に悔しさを滲ませる。
爪が食い込むほど強く拳を握りしめ、唇を噛む。
怪我しちゃうよ、と妻が言ったが、由佳里は震えたまま握った拳を緩めなかった。
「こんなに簡単に……簡単に解放されるなら、私の今までは何だったの……?3年間、ずっと我慢してきた。私にしかできないって、私がやらなきゃ世界が破滅するって、毎日毎日いろんな大人たちにせっつかれて、頑張ってきた」
「そうだね、よく頑張ってきたね」
「本当は、瘴気の中旅なんてしたくなかった!魔物は怖いし、いつだって逃げ出したかった!なのに、なのに……」
溜め込んでいたものが堰を切ったかのように、由佳里はしゃっくりを上げながら訴え続ける。
ノアは優しい目つきで、一生懸命話し続ける由佳里を見守っていた。
「……どうして……どうしてもっと早く、助けに来てくれなかったの……?どうして私、3年間も頑張らないといけなかったの?危ないこともたくさんあった!もしかしたら……もしかしたら、死んじゃってたかもしれないのに……!」
ゆっくりとした足取りで、ノアが由佳里に近づく。
そして座り込んで泣き続ける由佳里の前で膝をつき、優しく頭を撫でた。
「ごめんね」
言い訳することもなく、ただ一言、ノアが謝る。
由佳里はその言葉に、言葉もなく泣き続けた。