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52 スラム街

 翌朝、ノアの案内でスラム街を訪れた俺は、あまりの光景に目を覆いたくなった。


 道端に座り込み、力なくうなだれる人々。

 ボロボロの服を着て、身体は骨が浮き出るほど痩せこけている。

 異様な悪臭が鼻を突くが、それを気にする住人は一人もいないようだった。



「……大丈夫?」



 ノアが訊ね、俺は頷く。

 妻も険しい顔をしていたが、逃げ出すことはなかった。


 スラム街へは、はじめ俺とノアの二人で赴くはずだった。

 しかし、どうしてもついてきたいと妻が言い張り、根負けする形で同行を許す運びとなったのだ。

 コトラも朝から妻のそばを離れず、そのまま連れてくることになった。


 ……でも、ここまでひどいとわかっていれば、無理にでも置いてくるべきだったかもしれない。



 見た目は大きくとも、妻の精神状態は6歳前後。

 そんな幼い子どもにとっては、酷な光景だろう。



「詩織、教会に戻っていてもいいんだぞ?」



 俺が提案しても、妻は首を縦には振らず、俺の腕にしがみついている。

 ノアの用意してくれた最強装備があるから、身の危険はないだろう。

 そうは思っても、万が一がぬぐい切れない。



「ついてくるなら、俺かノアのそばを絶対に離れないように。わかったな?」


「うん。詩織、ちゃんとついていく。」



 俺自身も、妻から目を離さないようにしよう。

 そう心に誓って、スラム街の奥へ歩き始めたノアの後を追った。


 ノアがどんどん進むにつれ、街の雰囲気はますます澱んでいく。


 そこら中に死体が転がっていた。

 大人だけでなく、子どもの死体も少なくない。

 こんな路地裏で、誰にも気に留められず朽ちていく。

 それはどれほど、虚しく寂しいものだろう。


 彼らの冥福を心の中で祈る。

 俺には、そんなことしかできなかった。



「ついたよ。」



 たどり着いたのは、スラム街の奥にある建物の2階角部屋。

 室内は荒れており、しばらく人が足を踏み入れていないのがよくわかるほど汚れている。



「ここで何を……?」


「しばらく待っていると、ここから面白いものがみられるよ。」


「面白いもの?ここで?」


「そう。……ほら、きたきた。」



 ノアが指差す方へ目線を向けると、数人の兵士らしき男たちの姿があった。

 門番をしていた兵士たちと比べ、ずいぶん豪奢な格好に見える。


 兵士たちはスラム街の住人たちを一箇所に集めているようだった。

 次から次に連れられてくる者のなかには、衰弱しきって自ら歩くこともままならない者もいた。

 男たちはそんな住人を汚いものには触れたくないとでもいうように、剣でつついて歩くよう強要している。

 どうしても歩けない者は、比較的体力が残っているであろう住人に運ばせていた。



「ひどい……。」



 妻が呟く。

 止めに行きたかったが、ノアに「まだ」だと止められた。


 住人の中には、ガラの悪そうなチンピラ風のやつらもいて、兵士たちに抵抗しようとしていた。

 しかし、剣と魔法であっという間に取り押さえられる。


 やがて住人が全員集まったらしく、兵士が話を始める。



「いいか、今から聖女様が来訪される!しかし聖女様の目に、お前たちのような汚らわしいものを触れさせるわけにはいかん!だから今からお前たちは、向こうの奥にある建物のなかで、じっと息をひそめているんだ。


 建物の中で物音をたてたり、勝手に外に出たりして、聖女様に気づかれてみろ。俺たちは容赦なくお前らを殺すぞ。それが嫌なら、大人しくしているんだな。わかったら、さっさと移動しろ!」



 なんて勝手な言い分だ!

 本来の住人を隔離するなど、ありえないだろう。


 兵士たちは先程のように、住人に剣を突きつけて脅している。

 逆らうものはなく、みな虚ろな目をして兵士の指示に従っている。


 そのとき、一人の少女が泣き声を上げた。

 異様な空気に、恐怖心が抑えきれなかったのだろう。

 そんな少女の首筋に、兵士の一人が剣の切っ先を向ける。


 少女は突然のことに驚き、ひゅっと息を呑み、泣き止んで怯えた様子で兵士を見上げた。

 少女の首筋には細い切り傷ができ、そこから赤い液体が流れ出る。



「それ以上騒いだら殺す。」



 一切の慈悲を感じさせない、冷たい声だった。

 黙り込んで固まった少女を、近くにいた女性が引き寄せて抱きしめ、兵士に頭を下げる。

 おそらく少女の母親なのだろう。

 兵士は剣を鞘におさめ「さっさと行け!」と一喝した。


 頭に血が上るのがわかった。

 飛び出して兵士に殴りかかろうと思った俺を、ノアが取り押さえる。



「気持ちはわかるけど、まだだって言ったでしょ。」


「……でも!」


「大丈夫、かすり傷だし、ちゃんとあとで治療してあげよう。」


「……くそっ!」



 スラム街の住人たちが避難したあと、新たに人が集まってきた。

 古い服を着てはいるが、健康状態は良さそうに見える。



「彼らは?」


「エキストラだね。」


「エキストラ?」


「そう。聖女による施しを受けるエキストラ。」


「は?」



 ノアが言うには、ほかの街でも彼らは同様のことをしているらしい。

 聖女が足を運ぶ前に、スラム街や孤児院を調査し、目に余ると判断されれば、本来の住人を隔離して偽物の住人を用意する。

 聖女の心をいたずらに傷つけることがないように、というと聞こえはいいが、本当に助けが必要な人たちは見捨てるということだ。



「じゃあ、まさか孤児院にも?」


「うん、先遣隊が来ていたよ。ひっそりとね。それで、そのまま見せても問題ないと判断されたらしい。」



 なんともふざけた話だ。

 こんな裏工作をされていると知ったら、あの慈悲深き少女はどれほど心を痛めることだろう。



「それで、これからどうするんだ?」


「どうするって、嘘を暴くんだよ。言い逃れができないよう、全部ね。」



 ノアの口元には笑みが浮かんでいたが、その瞳には確かに怒りの色が滲んでいる。

 どうやら彼にとっても、耐えて待つしかない今の状態は不本意らしい。



「それに、この国の《《本当の現状》》を知ることで、彼女の考えは大きく変わるはずだよ。」



 ノアの言う本当の現状がどのようなものなのかはわからないが、それはおそらく聖女の認識を大きく覆すものだろう。

 いたいけな少女につきつけるには、残酷なものかもしれない。

 しかし偽りの善意に騙されたまま生きていくよりは、彼女のためになるはずだろう。


 俺はそう考えながら、ただ「わかった」とだけ返事をして、時が来るのを待つことにした。

 しかしノアはあっさりと「じゃあ、行こうか?」と再び歩き始めた。



「ちょ、ここで聖女を待つんじゃないのか?どこに行くんだよ!?」


「昨日、結果的にスラム街へ行くって話したでしょ?今からその結果につながる下準備をしに行くんだよ。」


「下準備!?」



 やっぱりノアには振り回されてばかりだ。

 妻の手を引き、ノアの後を追いながら、俺はため息をついた。

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