43 瘴気
「うっ!」
とてつもない悪臭に、思わず鼻を覆う。
妻も同様に鼻をつまみ、コトラに至っては妻の服の中に潜り込んで避難している。
白い扉をくぐって訪れたのは、人気のない街道だった。
あたりを見渡しても、人の姿は一切ない。
「ノア、この匂いって一体…。」
「思ってたよりきついね…。」
ノアも人並みの嗅覚なのか、思い切り険しい顔をしている。
そして「シールド」とノアが唱えると、ようやく悪臭が和らぐ。
「防御魔法で匂いを防いだけどまだ臭い……。」
そういってノアはまだしかめっ面のままだ。
匂いが強烈すぎたためか、確かにまだ匂いが残っている気がして不快だ。
改めて、今の匂いは何なのかとノアに問いかける。
「これは瘴気だよ。臭いうえに、有毒なんだ。」
「瘴気?転移者が浄化してるっていう?」
「そう。この世界は汚染が進んじゃってね、そこら中に瘴気の吹き溜まりができてるんだ。瘴気には毒があるだけじゃなくて、魔物まで引き付けてしまう。百害あって一利なしってやつだね。」
ノアは軽く言うが、こんな匂いが充満している世界でこれから過ごさなくてはならないと思うと、憂鬱な気分になる。
妻もしきりに鼻をこすりながら、泣きそうになっていた。
落ち込む俺たちに、ようやくしかめっ面を和らげたノアが言う。
「でも大丈夫!これから向かう街には結界が施されているから、瘴気は入ってこない。それに街に入る前には、浄化することが義務付けられている。もう少しの辛抱だよ。」
「……その浄化って、今やっちゃだめなのか?」
「できなくはないけど、この世界では、浄化魔法が使えるのは神官と聖女だけだからね。街の外から浄化された状態の人が来たら相当怪しまれるけど、それでも平気?」
問いかけの形にはなっているが、答えは我慢一択だろう。
やむなく、街に着くまで耐えることにする。
「大丈夫。街までは歩いて30分くらいだから、すぐだよ。」
全然すぐじゃない、と頭の中で突っ込みながら、俺たちはノアを先頭に街へ向かって歩き始めた。
それにしても、まだ空は明るいのに、辺りはずいぶん鬱屈とした雰囲気だ。
これも瘴気の影響なのだろうかと考えながら、足を動かし続けた。
※
しばらく歩くと、街の入口とみられる門が見えてきた。
ノアは躊躇いなく門をくぐったが、身分証などはいらないのだろうか?
疑問に思いつつも、俺も妻の手を引き、門に足を踏み入れた。
門をくぐってしばらく歩くと、駐屯所のようなものが見えた。
中には、数名の兵士らしき男たちが待機している。
俺たちの姿を目に留め、そのうちの一人が出てきた。
「身分証は?」
やっぱり必要なんじゃないか!
俺の焦りを知ってか知らずか、ノアは平気な顔で「なくしました。」と言った。
「街道で魔物に襲われて……。身分証は、紛失した荷物の中に入れていたもので。」
「そうか、なら仕方ない。命があってよかったな。」
「ありがとうございます。」
この世界では、身分証をなくすのは珍しいことではないらしい。
兵士の反応は同情的だった。
「金はあるのか?一人当たり、身分証の発行に銅貨2枚、浄化に銀貨1枚が必要になるが…。」
「それが財布もなくなってしまって……。こちらを換金してもらえないかと思うのですが。」
そう言ってノアが、ポケットから小石を取り出す。
キラキラ輝くそれは、宝石なのだろうか?
「これは……!」
「はい、魔石です。」
「これなら、十分な額になるだろう。ちょっと待ってろ。」
そう言い残して、兵士は街の中へとかけていった。
俺は兵士の姿が見えなくなったのを確認してから、ノアに「魔石って?」と問いかける。
「魔石は、魔力が固まってできた石のことだよ。内緒なんだけどね、この世界の瘴気って魔力なんだ。」
「魔力が瘴気…?」
「そう。この世界には、生きとし生けるものすべてに魔力が備わっている。そしてその魔力が汚染されると、瘴気に変わってしまうんだ。」
「どうして瘴気になるんだ?理由がわかれば、聖女がいなくても対処できるんじゃないのか?」
俺の言葉に、ノアは肩をすくめて「難しいだろうね。」と言った。
そのワケが知りたかったが、兵士が戻ってきたので、あとにすることにした。
「ほら、連れてきてやったぞ。」
兵士が指さした方を見ると、ぽっちゃりした中年男性とメガネをかけたクールな美人が立っていた。