39 真実
「俺の名前は、瀬野伊月。向こうの世界では、君たちよりも大きい娘がいるおじさんなんだ。それでこっちは妻の詩織。事情があって幼児退行してしまって、今の精神状態は6歳くらいだから、言動が幼いのは勘弁してほしい。
ペットのコトラは、向こうでは普通の猫だったけど、こちらでは魔獣になっていて魔法も使えるようになっている。……そして彼、ノアはおそらく人間ではない。何者なのか俺たちも教えてもらえていないけど、俺たちの世界の神様とも親しげだったから、神あるいはそれに似た存在なのだと思っている。」
「……悪いけど、信じられない…。」
「私も…」
「……だよなぁ。」
信じてもらえなかったとしても、もう後に引くことはできない。
複雑な気持ちになりつつも、話を続ける。
「君たちが異世界転移したことは、地球の神様にとっては想定外のことだったようなんだ。だから、君たちが元の世界に戻りたいのか、それとも転移先の世界にいたいのか聞いてほしいと頼まれた。」
「……もしそれが本当だったとしても、私たちが帰ってしまうとこの世界はどうなるの?転移してから今まで、たくさんの人に助けられてきた。その人たちを見捨てることはできない…。」
「僕も。……正直魔王と戦うのは怖いけど、僕たちが逃げたことで、この世界の人が傷つくなんて耐えられない。」
彼らの心情はもっともだろう。
俺が同じ立場だったとしても、我が身かわいさにお世話になった相手を見殺しにできる気がしない。
しかし同様に当事者として、俺は元の世界に残された家族の気持ちが痛いほどわかる。
当てのない捜索を続ける絶望感。
安否すら確認できない状況は、今でも俺の胸を締め付ける。
「向こうの世界で、お姉さんは君たちを必死に探し続けている。……異世界転移被害者の会っていうのがあってね、そこで舞ちゃんと知り合ったんだ。俺たちの娘も、こことは違う世界にさらわれてしまったから。」
「……っ!」
「本当はすぐに娘のいる世界に行きたいんだけど、それはできないらしくて…。だからほかの世界を経由して、娘のいる世界にたどり着くしかないんだ。そして娘を救い出すため、経由した世界にいる転移者に話を聞いてほしいという神様の提案を受け入れた。
……君たちが転移したあと、もとの世界では君たちの存在は抹消されてしまった。舞ちゃんの記憶をのぞいて、君たちのいた痕跡は一切なくなり、両親でさえ君たちを知らないと言っているらしい。だから舞ちゃんは、たった一人で苦しみ続けている。
同じ転移者を家族に持つ身としては、舞ちゃんを安心させるためにも、元の世界に戻ってもらいたい。」
これは越権行為なのかもしれない。
異世界転移が元の世界にとって不本意なものだとは聞いた。
そして転移者の意向を訊ねるようにも頼まれたが、戻るよう説得してほしいとは言われていない。
しかし大粒の涙を流していた舞のことを思うと、どうしても言わずにはいられなかった。
「……それでも、勇者様方に戻られては困る。」
そういったのは、ロイだった。
「勇者様のお気持ちも、ご家族の思いも理解できる。これはこの世界に住まう我々の勝手だということはわかっているが、俺にも家族がいる。彼らが魔族に蹂躙される姿を見たくない……!俺が代わりに魔王を討伐できればいいが、討伐は異世界からの勇者にしか成しえないことなのだ。」
その震える肩から、彼の葛藤がありありと伝わってくる。
彼は「我々の勝手」だといったが、大切な人を守りたいという気持ちを否定することはできない。
ただ、魔王討伐は命がけだ。
討伐後に元の世界に戻ることを希望したとしても、討伐の過程で命を落とすとそれは叶わなくなってしまう。
重苦しい空気の中で、口を開いたのは妻だった。
「どうしておじさんじゃ、魔王を倒せないの?すっごく強そうなのに。」
「それが世界の理なんだ。」
「……ノアくん、そうなの?」
「え、違うけど?」
この世界で常識と語られてきたことを、ノアがあっさりと否定した。
ノアの言葉に、ロイがあんぐりと口を開けている。
エミとショウも、目を見開いてノアを見ていた。
「違うってどういうことだ?グレンさんにも聞いたけど、どんな強者でも、この世界の人間だと魔王には敵わないんだろう?」
「確かにこの世界の人間が魔王に勝つのは難しいかもしれないね。でもそれは魔王が強いからでも、異世界からの召喚者が特別だからということでもない。そもそも魔王自体、女神信仰のための道具にすぎないからね。」
「女神信仰?」
「そう、神による世界の支配力というのは、信仰心に比例するんだ。だから力を維持するためには、信仰を集め続ける必要がある。しかし人は薄情なものでね、平和な世の中になると信仰心が薄れていくものなんだ。
日本にも“困ったときは神頼み”なんていう言葉があるでしょ?信仰心を集めるためには、世界を窮地に陥れるのが手っ取り早い。戦争とか、天変地異とか、魔王の復活とかね。」
ノアの話からすると、まるで女神が自作自演でもしているかのように感じられる。
しかし災害なんかで人命が失われると、トータルして得られる信仰は減ってしまうのではないだろうか?
「そんなことないよ。」
俺の考えていることはお見通しといわんばかりだ。
「信仰する人間が減っても、残った人間の信仰はそれ以上に増すからね。それに減った人間は、時間がたてばおのずと増えるから問題ないし。」
身もふたもない話だ。
そんな残虐非道な神がいていいものなのだろうか?
「それに、問題はそれだけじゃない。もしも勇者が魔王を倒したら、人々は誰に感謝すると思う?」
「勇者と女神?」
「そう、勇者とそれを遣わせた女神に感謝し、信仰をささげる。つまりね、魔王討伐を成し遂げた勇者の存在は、女神にとっては商売敵のようなものなんだ。だから勇者信仰を最小限に抑えるため、魔王を倒した勇者は早急に排除されることになる。」
排除?
それはつまり……。
「エミちゃん、ショウくん。君たちは魔王を倒したら女神に殺されちゃうけど、それでもいいの?」
世界を救った報酬が「死」だなんて、そんな残酷なことがあってもいいのだろうか。