223 お休みの日には
「ありがとう」
さまざまな状況を想定して対処法を考えてくれているノアに、改めて感謝を伝える。
ノアはにっこりと微笑んで「これは僕の義務でもあるからね」と答えた。
「本当は君たちに鍵を与えるのは危険だって、反対意見も多かったんだ。だから鍵を与える代わりに、僕がしっかり監督することになったのさ」
ノアがそう言って、俺は申し訳なさでいっぱいになった。
娘のもとへ連れてきてもらい、多くの場面で助けられてきたにもかかわらず、これから先も苦労を掛けてしまうことが心苦しい。
しかし、だからといって鍵を所有する権利を手放すことはできなかった。
妻も同じ気持ちだったらしく、ばつの悪そうな顔をして「ごめんね」とノアに謝罪する。
ノアはそんな俺たちに、ふっと笑みを返した。
「気にすることはないよ。君たちの命は、僕らからすると瞬きほどの儚く短いもの。何の苦労にもなりはしない。……それに、僕は単純に君たちのことが気に入っているんだ。ここまで馬鹿がつくほどお人好しで、善良な人間はなかなかいないからね」
「それは……ありがとう、でいいのか?」
「もちろん」
いまいち褒められているのかわからないが、ノアが笑顔でそう言い切るなら誉め言葉であっているのだろう。
「でもさ、代わりと言っては何だけど、ひとつお願いがあるんだ」
人差し指をぴっと立てて、ノアが言う。
俺と妻は顔を見合わせ「俺たちにできることならなんでも」と答えた。
「ありがとう。実はさ、日本に戻ったら案内をお願いしたいんだ」
「案内?」
「そ、観光案内。一人で回るより、いっしょに回った方が楽しそうだからね。ふたりのおすすめのお店とか教えてほしいな」
「か、観光……」
予想外のお願いにぽかんとする俺たちに、楽しげな顔をしてノアが続ける。
「実はさ、今回の仕事を頑張ったご褒美として、長期休暇をもぎとったんだ」
「長期って……どのくらい?」
「君たちの寿命をはるかに上回るくらい、かな」
「そんなに?!」
「まあ、重要な案件が入ったら仕事に戻らなきゃいけなくなるかもしれないけど、めったにないと思うし、久しぶりにのんびりできるよ。このところ働きづめだったからね」
そう言って、ノアがぐっと背伸びをする。
聞けば前回の長期休暇は、少なくとも数千年以上前だとか。
俺たちと時間の感覚が違うのだろうが、途方もない時間だ。
長期休暇に先駆け、ノアは俺たちの世界への滞在許可を取ったという。
すんなり許可されたのかと思ったが、軽く渋られたそうだ。
日本を旅立つときに出会った元の世界の神様を思い出し、首をかしげる。
ノアの滞在を断るようには見えなかったが、何か事情があるのだろうか?
「別に、何かあるってわけじゃないと思うよ。でも僕みたいなのが滞在するとなると、緊張しちゃうんだと思う。伊月くんも、いきなり上司が家にやってきたら、なんとなく気まずい気分になるでしょ?」
「……う……確かに……」
「僕はまあ、上司ってわけじゃないけど、向こうからすると似たような緊張感があるんじゃないかな。……もしかしたら、ちょっとだけやましいことがあるのかもしれないけど」
ちょっと黒い笑みで、ノアが言う。
俺が「それはちょっと……知りたくないな」と本音をこぼすと、あははっと声をあげて笑った。
「冗談だよ。あの世界の神様はいい子だから大丈夫。……ちょっと信仰を集めるのが下手なのが、たまに瑕だけど」
「……ちなみに、元の世界の神様のランクは……」
「……本当に知りたい?」
好奇心に負けた質問に、ノアがいたずらっぽく返す。
俺は少し考えた末に「やっぱりいい」と断った。
ランクがどうであれ、聞いてしまったら後悔しそうな予感がする。
ノアは余裕の笑みで「賢明な判断だね」と答えた。
「しばらく向こうの世界にいるなら、うちに住むのはどう?」
パンっと手を叩いて、妻がノアに提案する。
ノアは「いいアイデアだね」と言いつつも、首を横に振った。
「でも、遠慮しておくよ。君たちには君たちの生活があるからね」
「そう……」
ノアの返事に、妻が残念そうに眉を下げる。
「でも、時々お邪魔させてもらうよ。君たちの元気な顔を見るためにね」
ノアの言葉に、妻がぱっと笑顔になる。
そして「約束よ」と小指を差し出した。
ノアは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに小指を差し出し、指切りげんまんをする。
終始ノアは満足げで「ふふ、こういうのも悪くないね」なんてつぶやいていた。