218 筋
「……今はまだ、気持ちの整理がつかない。ユノを傷つけたことを許せない気持ちもある。……それでも、あなたが父として見守っていてくれたのだと思うと、嬉しくも思う」
魔王の言葉を噛みしめるように、神は頷きながら話を聞いていた。
そして魔王のそばに佇んでいる娘に向かって、深く頭を下げる。
『君を無理やりこの世界へつれてきたこと、本当に申し訳なかった。君にもこんなに良い両親がいるのに、勝手な言い分で自己を正当化し、散々ひどいことをしてきてしまった。……許してほしいとは言わない。それでも、君がこの世界を選んでくれるのであれば、できる限りのことをさせてほしい』
「……ありがとうございます……」
神を見つめる娘の顔は、穏やかだった。
そしてはにかむような笑みを魔王に向ける。
魔王もそんな娘を見て、表情を和らげた。
サーシャはそんな父子の様子を、泣き出しそうな目でみている。
実際には生きているわけだが、人間だと思っていた夫を失ってからの日々は、彼女にとって楽なものではなかったはずだ。
不意に、妻がパチンと手を叩いた。
みんなが驚き、一斉に妻に視線を向ける。
妻はにっこりと微笑んで言った。
「せっかく両家の家族が揃ったことだし、そろそろ湿っぽいのはおしまいにしましょ!この世界では、結婚前に結納とか交わすのかしら?」
「ユイノウ?聞いたことのない言葉だな」
「あら、そう……。じゃあ、結婚式とか披露宴は?あ、でも神様が親なら変な感じになっちゃうかな?」
楽しそうに妻が言う。
サーシャが「結婚式はあるぞ」というと、ますます笑顔になった。
「ま、しない者もいるがな。魔王の結婚式ともなれば、多くの参列者が集まるはずだ」
「まあまあまあ、それは素敵ね!ドレスとかはどんなものがいいのかしら?」
「そうだな、最近の流行りはどうだったか……」
盛り上がる母親2人に、俺は内心焦っていた。
子どもができて結婚するというのは自然な流れだろう。
複雑ではあるが、反対するつもりはない。
それでも、こんなにスムーズに結婚話に進まれると、ついていけないのが男親の心情というやつだ。
しかし自分の結婚式かのように盛り上がる2人に水をさせるはずもなく、俺はひとりうなだれるしかなかった。
とくに妻は娘の結婚式に並々ならぬ思いを抱いていたらしく、俺のことなど視界にすら入れてくれない。
そばで話を聞いている娘も、どことなく浮かれている様子だ。
「ちょっと待ってくれ」
盛り上がる女性陣に声を上げたのは、魔王だった。
サーシャが「どうした?」と首を傾げた。
魔王は少し困ったように笑い、続ける。
「俺たちの式の話で盛り上がってくれるのは嬉しいが、これでは順番が違う」
「順番?」
妻がそう言って考え込んでいたが、意味が理解できずに眉を下げた。
娘は「妊娠と結婚の順番のこと?」と不安げに問いかける。
魔王は首を横に振り、柔らかく微笑んだ。
「それも確かにそうだが、今となっては致し方ないことだ」
「じゃあ、一体何の順番なの?」
「……2人で話したとき、俺はユノにずっとそばにいてほしいと言っただろう?」
「うん……」
「そしてユノは、了承してくれた」
娘がコクリと頷く。
まさかあの場でプロポーズしていたとは……。
予想してはいたが、実際に耳にすると胸が痛む。
「……それで?」
「しかしそれは、俺たちの間の話だ。……俺たちはまだ、両親に結婚の許しを得ていない。まずはそのお願いをするのが、筋というものだろう」
娘と妻が、はっとして俺を見る。
俺は目を丸くした。
まさか、誰も見向きもしなかった俺の複雑な心境に気づいてもらえるとは思っていなかった。
真摯に俺を見据える魔王に、後光が差して見えるほどの感動だった。