213 仮定ではない話
ようやく状況を飲み込めたようで、固まったままだった娘が一歩前に進み出た。
そして勢いよく魔王の母に向かって頭を下げる。
「初めまして、瀬野柚乃といいます。どうぞよろしくお願いいたします!」
「セノ・ユノ?」
「はい!ユノと呼んでください!」
緊張しているのか、娘の声はわずかに上ずっている。
魔王の母はふっと微笑み、娘の頬に手を添えた。
「こちらこそよろしくな、ユノ。かわいいものは好きだ。仲よくしよう」
「は、はい!」
「ふふ、私は魔王アークヴァルドの母、アレクサンドラ。親しい者はサーシャと呼ぶ。そなたたちもそう呼んでくれ」
「サーシャ様……」
「そなたはお母様と呼んでもいいのだぞ?」
ふっと微笑むその姿は、なんだか宝塚の男役を彷彿とさせる。
見た目は傾国の美女かのような妖艶な姿をしているのに、言動が男前すぎるのだ。
サーシャは満足そうに娘を撫で繰り回したあと「それにしても、血は争えんな」と魔王に笑いかけた。
「まさかお前も人間を選ぶとは思わなかった」
その言葉に、魔王の表情が曇る。
サーシャは首を傾げたが、すぐに笑みを浮かべた。
「人間の寿命は短い。お前の父のように、遠くない未来、天へ召されるだろう。後悔のないよう、限りある時間を大切にするんだな」
同じ人間を愛した者としてのサーシャの助言には、どっしりとした重みがある。
しかし、魔王が顔を曇らせた原因は別だろう。
母の言葉に頷きつつも、そっと目をそらす魔王に軽く同情する。
サーシャも息子の反応が気になったのか「どうした?」と問いかけた。
魔王がノアにチラリと視線を向ける。
真実を話してもいいのか、判断を仰いでいるのだろう。
ノアは魔王の意思を察し「君に任せるよ」とほほ笑んだ。
それを見て魔王は、覚悟を決めたようにポツリポツリと話し始めた。
「……母上」
「なんだ、改まって。……なんだか怖いな」
「父上のことなのですが……その……」
「うん?」
「もし……もし彼が人間じゃなかったとしたら」
「人間だったぞ?」
「……仮にの話です。もし人間じゃなかったとしたら、また……また会いたいと思いますか?」
サーシャは魔王の話の意図が見えず、困った顔をしていた。
しかしそれでも「もちろん」と答えた。
「私が世界で唯一愛した男だからな。また会えるなど、それ以上のことはないさ。……だがな、失われた命は還らないものだ」
「……その……」
「ん?」
「……命が、失われていなかったとしたら……」
「まだ仮定の話を続けるのか?」
呆れたようにサーシャが言う。
もしも話など時間の無駄だとでもいうように。
しかし魔王の表情にただごとではないと感じたのだろう。
その顔に、困惑の色が浮かぶ。
「……まさか、仮定の話ではないのか?……いや、でもあれは確かに人間だった。天寿を全うし、この世を去る瞬間を目の当たりにした」
「……彼は、擬態していたんです。人間に。……それで、その……」
「まどろっこしい。要点だけを話せ」
言いよどむ魔王に、ぴしゃりとサーシャが言い放った。
ピリッとひりつくような空気が室内を支配する。
しかし、すべてを魔王の口から説明させるというのは酷なことかもしれない。
俺は意を決して「サーシャ様」と声をかける。
冷たい瞳が俺を射抜いた。
俺は手に汗を握りながら、ぎこちなくも笑みを作った。
予想外だったのか、サーシャの表情がわずかに緩む。
「よろしければ、代わりにご説明しても?」
サーシャは無言で魔王に視線を向けた。
魔王は小さな声で「……助かる」とだけ呟いた。
そんな魔王にサーシャは「情けない」と悪態をつきつつも、まっすぐに俺を見据える。
「ならば説明願おう」
「……突拍子もない話だと思われるでしょうが、どうか最後まで聞いてください」
そう前置きをして、俺は事の経緯を説明し始めた。
魔王の父、そしてサーシャの夫であった男は人間ではなく神であったこと。
そして人間に擬態して世界を見て回っていたときに、サーシャと出会って恋に落ちたこと。
人間の寿命が尽きるころ、死を偽装して家族のもとを去ったこと。
サーシャは眉一つ動かさずに話を聞いていた。
そして一言「証拠は?」と訊ねる。
「後ほどお見せします」
「今ではだめなのか?」
「申し訳ありませんが、まずは最後まで話を聞いていただきたいのです」
「……わかった」
納得はしていない様子だったが、サーシャはそれ以上追及することなく、頷いてくれた。