205 子離れ
娘には、魔王としっかり話をするよう言った。
もしも一対一で話しにくいようなら、同席しても構わないと。
娘は悩んだ顔をしたが、まずは二人で話をすることに決めたようだ。
「言葉が足りないと、柚乃の気持ちがきちんと伝わらないかもしれない。言葉にしなくても伝わることなんて、ほんの一握りだから。うまく話せなくても、時間がかかっても、彼ならきっと最後まで話を聞いてくれるだろう。満足いくまで、話をしておいで。万が一彼が柚乃を傷つけるようなことを言ったら、パパがぶん殴ってやるからな」
「こら、すぐに殴ろうとしない。そんな度胸ないくせに」
「……うっ、手厳しい……」
妻の的確な指摘が痛い。
しかしそんな俺たちのやりとりがおかしかったのか、娘がくすくすと笑う。
その笑顔をみて、やっぱり娘は笑った顔が一番かわいいと再認識した。
娘は立ち上がり、魔王と面会できるよう伝言を頼んでくるといった。
面倒ではあるが、相手は魔王。
話をしたいからと、気軽に執務室に押し掛けるわけにはいかない。
部屋を出ていく娘の背を見送ったあと、妻は深々とため息をついた。
そっぽを向いていて顔は見えなかったが、その肩がかすかに震えている。
ずっと耐えていたのだろう。
「だめね……」
妻がぽつりと呟く。
「子離れしなきゃいけないのはわかっているのに、やっぱりさみしい」
ポタポタと、雫が床に落ちる音がした。
俺は妻の肩をそっと抱き寄せ「俺も同じ気持ちだよ」と囁いた。
そのまましばらく、俺は妻を抱きしめていた。
物悲しいほど静かな部屋が遠くない別れを示唆しているようで、無性に胸が痛かった。
お互い落ち着いたところで、部屋を出る。
ノアが心配そうな視線でこちらを窺っていたので、大丈夫だというように頷いて見せた。
娘の侍女が、魔王に面会依頼を出しに行ってくれたようだ。
久々に顔色のいい娘に安堵した様子の護衛騎士とアリーと話しながら、娘が言う。
娘が大事にされている様子に、思わず頬が緩んだ。
※
その日の晩、魔王が部屋を訪ねてきた。
話があるという娘に、暗い顔をする。
魔王としては、話をしていると娘を手放す決心が揺らいでしまいそうなのだろう。
ふたりで話をしようという娘の提案にはじめは渋っていたが、あえなく観念したようで娘とともに部屋に向かう。
惚れた弱みというやつだな、と苦笑いする。
俺はすれ違う瞬間、こっそりと魔王に耳打ちをした。
「余計な気をまわして、娘を傷つけるなよ」
魔王はわけがわからないという顔をしていたが、そのまま肩をポンポンと叩いた。
多少の不安は残るが、ふたりならゆっくり話をすれば大丈夫だろう。
俺はふたりが入っていったドアをしばらく眺めてから、踵を返した。
ふたりが話をしているあいだ、俺たちも話をつけなきゃならない相手がいる。
対面するのは、数日ぶり。
いまだ残っている恐怖心を払いのけるように首を振り、妻の手をぎゅっと握った。
少し汗ばんだ手のひらから、妻も緊張していることがわかる。
「大丈夫かい?」
ノアに問われ、俺と妻は頷いた。
そして娘と魔王が入っていったのとは違う部屋の前に立ち、ゆっくりとその扉を開いた。
なかには真面目な顔をしているサミューと、檻の中に閉じ込められたままの神。
神は檻の中で、ぼんやりと座り込んでいた。
俺たちに気付いて一瞥したが、すぐに興味なさげに視線を外す。
そんな神の態度に、思わずカチンときた。
神の手によって、俺たちは散々苦労を強いられてきたのに、息子の問題が解決したら見向きもしないなんて。
殺意を向けられなくなったのはよかったが、それでも「はいそうですか」となかったことにはできない。