203 青天の霹靂
しばらく泣いて落ち着いた娘が「もう一つ話があるんだけど」と切り出した。
ずっともやもや考えていたことを娘と話せてすっきりしていた俺は、気楽に「どうした?」と返す。
娘はしばらくもごもごと口ごもっていたが、妻に促されてようやく口を開いた。
「……このタイミングでちょっとあれなんだけど……」
「うんうん。なんでも言ってみろ」
「えっと……その……」
「ん?言いづらい話か?」
「う、うん……」
さっきの話題以上に話しづらいことなんて思い当たらない。
しかし、今の娘は先ほどより話しづらそうにしている。
俺はしばらく考えてひらめいた。
これはあれだ、花嫁の手紙的なあれだと。
きっと感謝の気持ちを伝えたいのに、恥ずかしくてなかなか口に出せないのだ。
「ゆっくりでいいぞ」
ちょっと口元が緩んでいるのが自分でもわかる。
娘から改まって感謝の言葉を口にされるというのは、うれしくも照れくさいものだ。
同意を求める気持ちで妻に視線を向ける。
しかし予想に反して、妻は俺を憐れむような目で見ていた。
「……ん?」
「あ……いや……」
首を傾げた俺から、妻が目を背ける。
なんなんだ、その反応は。
気まずそうにしている妻と娘。
先ほどまでの嬉し恥ずかしな気持ちはどこへやら、猛烈な焦燥感に駆られた。
ものすごく嫌な予感がする。
今からパンドラの箱を開けてしまうような、そんな予感。
心の準備ができずに目を泳がせている俺に、意を決した娘が決定的な一言を告げた。
「私……妊娠しているの」
頭を思い切り殴られたような衝撃だった。
俺はふらつきながらも、娘に問いかける。
「ち、父親は……」
「……アーク」
「……だよな……」
予想通りの返答に相槌を返す。
真っ白になった頭の中で、さまざまな感情が走り回っている。
一瞬目の前が暗くなるような感覚がして、俺は深く息を吐いた。
妻が不安そうに俺の肩に触れる。
俺は思い切り息を吸い込んで、力いっぱい叫んだ。
「あんのロリコン野郎、嫁入り前の娘に何してくれてんだ!まだ未成年だぞ!!」
堰を切ったように怒りが湧き出してきて、感情のままに吐き捨てた俺に「こらっ!」と妻が非難の声を上げる。
娘も「この世界の人間の成人は15歳で」とか「成人したら結婚する人が多くて」とか説明しているが、そんなことは関係ない。
この世界では結婚するのに妥当な年齢なのだろう。
でも日本の感覚じゃ早すぎる。
「え、え、ていうか、そこまで関係進んでたの?友だち以上恋人未満的なアレじゃなかったわけ?」
「ご、ごめん……」
「ごめんじゃなくて!」
「……ごめんっ」
焦る俺に若干引いたようで、娘が謝る。
責めたいわけじゃないのに、気持ちを抑えることができない。
「いつから?え、いつからそんな関係なの?」
「えっと……」
「あっ!やっぱり聞きたくない!」
思わず耳をふさぐ。
軽いパニック状態の俺を、妻が同情のまなざしで見ていた。
「ほら、柚乃がこの世界に来てからもう3年になるし……」
「たったの3年じゃないか!」
「いや……充分でしょ」
元の世界とは時間の経過が異なるこの世界で、娘は3年近くのときを過ごしていた。
そのあいだ、毒素に侵された娘を魔王が救い、娘は魔王領の発展に尽力してきた。
ふたりで手を取り合い協力していくうちに、やがて距離は縮まっていったのだろう。
気持ちがぐちゃぐちゃで、頭をかきむしる。
娘は心配そうにしていたが、妻は「落ち着くまで、待つしかないわ」と冷静だ。
「ちょっと待てよ……」
「今度は何?」
「あいつ!柚乃が妊娠してるの知ってて、元の世界に帰すとか言ってたのか?!どんな神経してんだよ?!」
「え、それ初耳なんだけど……」
驚いた顔で娘が言う。
俺は「しまった」と思ったが、娘に「どういうこと?」と睨まれてはどうしようもない。
娘に内緒で魔王と話をしたこと。
娘が心置きなく元の世界へ戻れるよう、魔王が娘なしで生きられる方法が見つかったと嘘をついてほしいと頼まれたこと。
黙っておこうと思ったが、気づくと話してしまっていた。
娘は怒った顔をしながらも、彼の自分への愛情を実感したのかどこか嬉しそうだった。