201 決心
困ったことに、翌日また娘の体調が悪化してしまった。
吐き気がひどいらしく、食事どころか水分もあまりとれていない。
数日たっても体調は改善せず、医師の診察を受けるよう促したが、娘は「少し休めば大丈夫」だと言い張って受け入れなかった。
しかし3日も過ぎたころには、俺の方が限界を迎えてしまった。
わけもわからない状態で、体調不良の娘を放置しておくことなどできるわけがない。
診察を受けない理由を説明してほしい。
それができないのであれば、診察を受けてほしい。
そう何度も頼み、ようやく娘は診察を受けることを納得してくれた。
ただ、医師ではなくノアに診てもらいたいという。
ノアは医師ではないというと「でもパパはノアくんに診てもらっていたでしょ?」と言われてしまった。
神の監視もある中申し訳なく思いつつもノアに相談すると、二つ返事で了承してもらえた。
診察はノアと二人きりがいいと娘は言ったが、妻が説得して妻も同席することになった。
俺も一緒に、と言ったが「パパが来るなら診察は受けない」と涙ながらに言われてしまったら、引くしかない。
診察は、思いのほか長引いていた。
ほんの数分程度だと思っていたのに、もう30分以上経っている気がする。
待っている時間は長く感じるだけかもしれないが、落ち着かない俺に気を使ってアリーが淹れてくれたお茶はすっかり冷めきっている。
少なくとも、それだけの時間が経っているのは事実だ。
それからしばらく待って、疲れた顔のノアが娘の部屋から出てきた。
俺が「どうだった?!」と勢いよく訊ねると、ノアは力なく微笑む。
「大丈夫。別に重大な病気だというわけじゃないよ」
「そうなのか?でも、ごはんも食べられないし、水分もとれないし……」
「脱水が心配だったけど、それも大丈夫そう。詩織ちゃんが少しずつこまめに水を飲ませているみたい」
「そうか……」
ひとまず安堵する。
ノアが大丈夫だというなら、おそらくそうなのだろう。
「よくなるまで、まだ時間はかかりそうか?」
「うぅん……そうだね。しばらくはこの状態が続くだろうね」
「薬とか……」
「特別な治療は必要ないよ。安静にして、無理のない範囲でごはんを食べて、水分を取ればそれで大丈夫」
そこまで話したところで、娘の部屋から妻が顔を出した。
ノアが体調について俺に説明したことをきき、硬い顔で頷く。
そして俺に「柚乃があなたと話がしたいって」という。
「話?具合が悪いのに、大丈夫なのか?」
「今は落ち着いているから大丈夫だと思う。それより……」
「それより?」
「……ううん、何でもない」
歯切れの悪い返事だ。
都合の悪い話なのだろうか。
そう思うと、娘のもとへ行くのが少し怖くなる。
一応「もっと元気になってからでもいいけど」と言ってみたが、妻にひと睨みされてしまった。
俺は「なんでもないです」とうなだれて、妻に促されるまま、娘の部屋に足を踏み入れた。
ノアが小声で「冷静にね」とアドバイスするのが、余計に恐ろしい。
ベッドに腰かけている娘は、少しだけやつれているが、顔色はそこまで悪くなかった。
俺の顔を見て、なぜかおびえたような顔をする。
怖い顔をしていたつもりはないが、にこっと笑って見せた。
娘は笑い返してくれたが、表情はこわばったままだ。
「話があるんだって?」
俺が訊ねると、娘は小さくうなずいた。
「体調は?」
「大丈夫。さっきノアくんが治癒魔法をかけてくれて、少し落ち着いてる」
「治癒魔法?特別な治療は必要ないって……」
「うん。でもずっと具合が悪いのはかわいそうだからって。軽い吐き気止めみたいな効果があるみたい」
「なんか……魔法って便利だな」
「ふふっ。今さらだけど、そうだね」
笑ったことで、少し緊張が解けたらしい。
娘の表情が少し和らいだ。
娘は俺をじっと見つめて、覚悟を決めるように深く息を吐いた。
俺が「無理しなくてもいいんだぞ?」というと、妻が俺の背中を小突く。
その様子に娘がくすくす笑い「大丈夫」と答えた。
「……本当は、もっと早く話をしなくちゃいけないってわかってたんだけど、決心がつかなくて……」
「うん」
「でも、もう大丈夫。あのね……」
「うん」
「私、元の世界に戻ろうと思う。ずっと待たせちゃって、ごめんね」
「……そうか」
娘から、ずっと聞きたいと思っていた言葉だった。
しかしどうしても素直に喜べなかったのは、泣きはらしたであろう娘の目が腫れていたからか、その顔が悲しげだったからか。
胸が苦しくて、俺は娘を抱きしめていた。
俺の腕の中で黙りこくっている娘に「パパも話があるんだ」と告げた。
娘は「何?」と小声で返す。
娘を離す気にはなれなかった。
情けない顔をしているのを、見られたくなかった。
「俺は、お前をこの世界に置いていこうと思っている」
俺の言葉に驚いたのか、娘の肩が揺れる。
震える声で「どうして……」とつぶやいた娘に、俺は極めて明るい声で答えた。
「親っていうのは、子どもの幸せを第一に考える生き物だからだよ」