197 怒号
ノアの声にアリーが急いで扉を閉めようとしたその瞬間、いつかの黒い蛇のようなものがするりと室内に入り込んだ。
蛇は一目散に、俺を目掛けて突進してきた。
身構える俺を背に庇い、サミューが立ちふさがる。
しかし蛇はサミューを容易くよけて、素早く俺にとびかかってきた。
瞬間、バチン!と激しい音がなり、強い光が蛇と接触した部分から放たれた。
強い衝撃に、俺は思わず尻もちをつく。
「あなた!」
「パパ!!」
俺に駆け寄ろうとする妻と娘に「下がっていろ!」と一喝する。
そして弾き飛ばされた衝撃で口から血を流しながら、なおも俺に噛みつこうとしてくる蛇の首元をガシッと掴んだ。
逃げようと身をよじらせる蛇に、ノアが短剣を突きつける。
「動くな。本体じゃなくても、ダメージは大きいぞ」
そう忠告するノアの声は、背筋が凍るほど冷たい。
蛇は大人しくなったが、なおも大きな口を開けて俺を威嚇している。
そんな蛇の姿を見ているとだんだん腹が立ってきた。
そしてプツンと何かが切れる音がした気がした。
「……シャーシャーシャーシャーうるさい!」
気づくと大声で怒鳴っていた。
蛇がびくっと身を揺らす。
俺は深く息を吐き、キッと蛇を睨みつけた。
「威嚇するだけじゃ話にならない。父親同士、話をしようじゃないか」
蛇は、鋭い眼光で俺を睨みつける。
その瞳からは憎しみと殺気が溢れている。
『はなすことなどなにもない』
「なんだと?」
『むすめをおいて、いますぐもとのせかいへにげかえれ。さすればイノチはたすけてやろう。さからえばお前をころす。お前の妻も殺す。刺し違えてでも殺す』
抑揚のない不自然なしゃべり方だった蛇の言葉が、徐々に流暢になっていく。
それに伴い、蛇の身体は徐々に巨大化し、人型の姿に変貌していった。
どことなく魔王に似た美青年だ。
これが本当の神の姿なのかと、俺は息を呑んだ。
神は忌々しそうに俺を睨みつけたまま、憎々しく吐き捨てた。
『せっかく何も知らせずにきたというのに、なんということをしてくれたのだ。お前たちさえこの世界へ来なければ、何もかもうまくいったのに。迷いなく二人は添い遂げられるはずだったのに……!』
あまりに勝手な言い分に、俺は「ふざけるな!!」と叫んでいた。
神の胸倉をつかみ、一気にまくしたてる。
「勝手に娘を攫っておいて、なんだその言い草は!俺たちがどれだけ大事に娘を育ててきたか、お前にわかるか!?お前も親なら、ちょっとは想像してみろよ!神だからって、そんな不条理が許されると思うな!!」
普段怒鳴ることなんてめったにないから、心臓がバクバクとうるさいほど脈打っている。
ゼイゼイと息を切らしながら、俺は続ける。
「……とりあえず、一発殴らせろ。……いや、2発だ。お前、詩織も殺そうとしただろ?ふざけんなよ」
『愚かな人間ごときが、対等に語るな。数十年しか生きていないお前なんかに、数千年もの長いあいだ、苦痛に耐え忍んできたあの子の気持ちがわかるものか!……子が必要なら、もう一人作ればいい。たったの十数年で元通りだ』
「はぁ?!娘の代わりがいてたまるか!子どもなら誰でもいいなんて、思うはずがないだろ!!お前だって、何より息子が大事だからここまでしたんだろ?!だったら、俺の気持ちがわかるはずだ!」
怒鳴りながらどんどん涙があふれてきて、俺の顔はきっとみっともないことになっているだろう。
みじめで愚かで、それでも子を愛さずにはいられない。
それが親という生き物なのだ。
相手の神も、髪を振り乱しながら大声を張り上げている。
こうしてみると、人も神も「親」という立場では何も変わらないのかもしれない。
『大体……もともとその娘はこの世界のものだったのだ!それを迷い込んでしまったからと勝手に我が物にしたのはお前たちの方だろう?!自分のものを奪い返して、いったい何が悪い!』
目を見開いて神が叫んだその瞬間、バシン!と鈍い音が響き渡った。
驚いて神の頬を打ちつけた手の持ち主に視線を向ける。
ふーふーと荒い息をしながら、妻が涙のたまった瞳で神を睨みつけていた。