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178 牡丹

 アリーの話に複雑な感情を抱いている俺の服の裾を、妻が軽く引いた。

 妻に視線を向けると、悲しげに「あれは、 牡丹ぼたんの花だよ」と囁いた。

 その言葉に、はっとする。

 そうだ、あの花は……。



「庭に咲いていたあの花か……」



 俺の言葉に、妻は小さく頷いた。


 ガーデニングが趣味だった妻が手入れする庭には、季節ごとに色とりどりの花が咲き乱れていた。

 その中でもひときわ目を引く、大ぶりの花。

 それは確かに、今魔王城の庭園の中心で咲き誇っているこの花だった。



「なんで……」


「わからない。……でも、あの子はこの花が好きだったわ」


「……詩織?」



 妻の口調に、ふいに違和感を覚える。

 いつものあどけない口調じゃない、大人の女性の話し方だ。


 妻はじっと牡丹の花をに睨むように見つめている。

 そしてパッと、魔王城の上の方の部屋へ視線を向けた。



「おい、どうし……」


「あそこ。あそこにいる」


「いるって、誰が」



 妻は俺の言葉が届いていないかのように、遠くの部屋を見ている。

 幸いアリーは花を見るのに夢中で、小声で話す俺たちのことは気になっていないようだが、このまま不審な行動をとり続ければ警戒を招きかねない。


 ただ、明らかに妻は平静を失っているように見えた。

 強い怒りの感情に支配され、周囲が見えなくなっているように思える。

 どうして急に、と思いつつも、なんとなく理由はわかっていた。

 牡丹の花を見たことで、記憶が揺り起こされたのだろう。

 そして、母親としての感情も。


 そのとき、妻が「いたっ」と顔をしかめた。

 見ると、コトラが妻を噛んだようだ。



「だ、大丈夫か?!コトラ、急に何を……」


「……大丈夫。甘噛みだったから」



 焦る俺を制し、妻がコトラを抱きしめる。

 そして「ありがとう」とつぶやいた。



「頭に血が上っていたみたい。……ごめんなさい」



 妻の言葉に、コトラは尻尾を揺らした。

 どうやらコトラは、妻を落ち着かせようとしただけのようだった。



「大丈夫ですか?」



 妻の悲鳴に反応したのか、アリーが心配そうにこちらを見ている。

 猫がじゃれただけなので大丈夫だと返すと、安心したように笑った。

 そして少し離れたところにあるガゼボに案内してくれた。

 どうやらさっき話していた青年に、お茶の用意を頼んでいたらしい。


 ゆったりとした広さのガゼボには、お茶だけでなく、気楽につまめる簡単な軽食も用意されていた。

 普段なら妻が目を輝かせて駆けていくところだが、今はとてもそんな気分になれないのか、大人しくしている。



『詩織ちゃん、大丈夫?部屋に戻る?』



 ロズが心配そうに声を掛けるが、妻は首を小さく横に振った。

 そして「大丈夫」とでもいうように淡く微笑んだ。



「それでは、ごゆっくりおくつろぎください」



 そう言って、アリーが頭を下げる。

 案内はここまでで、これから彼女は仕事に戻るらしい。

 改めて礼を告げ、アリーと別れたあと、俺たちは用意されたお茶をいただくことにした。


 俺がお茶に口をつけようとしたら、ノアが小声で「待って」と制止した。

 そしてお茶をじっと見つめたあと、サミューとロズに目配せをする。

 2人も頷き返し、俺と妻にそれぞれ耳打ちをしてきた。


 耳打ちされた内容に驚いて戸惑っていると、妻がぐいっとお茶を飲んだ。

 それに続き、俺とノアも紅茶を口にする。


 そして、そのまま俺たちはゆっくりと倒れた。

 地面に打ち付けられる寸前、そっとサミューが俺の身体を支えてくれたおかげで、痛みを感じることはなかった。

 俺はゆっくり目を閉じながら、同じように倒れ込んだ妻とノアの姿を見ていた。

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