171 魔王城の主
急に強く手を引かれ、バランスを崩した俺の背をサミューがそっと支える。
そして思わず振り向こうとした俺の頬に手を当て、静止した。
『大丈夫だから、前だけをみているんだ』
サミューが言い終わると同時に、パチッと何かが弾けるような音がした。
そしてその音とともに、得体のしれない何かが俺の手を離す。
サミューに背中を押されるまま先へと歩みを進めた俺には、一体何が起こったかわからないままだったが、何者かからサミューが俺を守ってくれたことだけは確かだった。
そのまま何とか俺たちは、転移魔法陣のある建物にたどり着いた。
建物の前には、行きにも会った若い青年がたっていた。
彼は俺たちを見て、少し不思議そうに目を丸める。
「魔王様とのご面会はまだ先だと伺っていますが?」
「うん。そうなんだけど、ちょっと向こうに用事ができてね」
さらりとノアが答えると、青年はそれ以上突っ込むことなく、扉を開いてくれた。
促されるまま魔法陣の中に入ると、青年は呪文を唱える。
そして俺たちは淡い光に包まれ、誰もいない部屋にたたずんでいた。
遠くから、誰かが欠けてくる足音が聞こえる。
そう思っていると、目の前の扉がゆっくり開き、受付の少女が息を切らしながら顔を出した。
「お、お待たせしました……!」
肩で息をしている少女に申し訳なさを感じつつも、先ほど何かに捕まれた手の感覚がまだ残っているような気がして手をさする。
小声でサミューが『大丈夫かい?』と訊ねるので、俺も少女に聞こえないように「ちょっと気になるだけだよ」と返した。
「それでは、魔王城の外までご案内しますね」
ようやく息が整った少女が言うと、ノアは「いや」と首を横に振った。
少女が戸惑ったように首をかしげると、ノアは少女をじっと見て言った。
「実はね、僕たち誰かに狙われているみたいなんだ。宿の部屋に勝手に侵入しようとされて、怖くなっちゃって……。街の人に聞いたら、魔王城が一番安全だっていうから、面会の日まで保護してもらえないかお願いに来たんだよ」
「えぇっ?!」
少女が驚いて声を上げ、はっとして咳ばらいをした。
「大きな声を出してしまい、失礼いたしました。申し訳ありませんが、私の一存では判断できかねます。上の者に相談してまいりますので、エントランスでしばしお待ちいただけますか?」
少女の提案を受け入れた俺たちは、転移魔法陣のある部屋を出て、少女について歩く。
少女は、落ち着かない様子で辺りを警戒していたが、ノアは「今は近くにいないみたい」と伝えると少し落ち着いたようだった。
エントランスの立派なソファに腰かけてしばらく待っていると、少女がいかにも管理職といた風貌の中年男性とともに戻ってきた。
「大変お待たせいたしました。城内で保護をご希望とのことですが、狙っている相手にお心当たりは?」
中年男性に訊ねられたノアが、首を横に振る。
いかにも憔悴したような雰囲気を出しているノアを見て、演技派だったんだな……などとぼんやり思う。
「……仕方がありませんね。それではご要望通り、城内に部屋を用意させましょう。使用人部屋の一室を貸し出す形になりますが、それでもかまいませんか?」
「もちろんです。ありがとうございます」
俺たちが頭を下げると、男性は頷いた。
そして少女に何か小声で指示を出し、会釈をしてその場を後にした。
「それではご案内しますね」
少女が微笑む。
あっさりと滞在が許可されたことに、安堵よりも戸惑いのほうが勝った。
城の警備は万全を期すものだと思うが、こんなに簡単に素性もわからない者を泊めてもいいものなのだろうか?
俺が考え込んでいると、不意に振り返った少女と目が合った。
少女に「どうかなさいましたか?」と訊ねられ、俺は思わず「いや……」と口を濁す。
「簡単に滞在許可が出て驚かれてます?」
少女に図星をつかれ、俺はしどろもどろになりつつも観念して頷いた。
少女は微笑んだまま「ここは魔王城ですから」と答えた。
「魔王城の主は、魔王領で最強を誇る魔王様です。仮に敵の侵入を許したところで、何の問題もございません。……ユノ様のお部屋も、魔王様の魔法で厳重に守られていますからね」
「な、なるほど……」
「もしも寝首をかかれるようなことがあれば、それは魔王の器ではなかったことの証明でしかありません。……まぁ、皆様がそのような悪意を抱かれているようには見えませんが」
何でもないことのように言う少女に、俺は改めてここは異世界の魔王が住む城なのだと実感した。
それと同時に、未だ会えずにいる娘の無事を願うばかりだった。