167 護衛
「伊月くん、詩織ちゃん」
ノアが深刻な顔で俺と妻の名前を呼ぶ。
そして「本当はこういうことはしたくなかったんだけど」と前置きしたうえで続ける。
「君たちの安全のために、護衛をつけさせてもらえるかな?それと、約束の日まで外出は控えてほしい」
「わかった」
「ごめんね。本当は観光でもして楽しく過ごしてほしかったんだけど……。この街の発展には、柚乃ちゃんも一役買っているわけだし」
「柚乃が?」
ノアの話では、娘が日本の文化をこの世界に持ち込んだことで、街の発展が促進されたのだという。
主に食文化というところが、何とも食いしん坊な娘らしい。
この世界の食材は日本のものに近いものが多いそうだが、味付けや調理法なんかは大きく異なることが多いそうだ。
この世界の料理ももちろんおいしいのだが、突然やってきた異世界でホームシックになり毎日泣いていた娘のために食べ慣れた味を用意しようと、魔王城の料理人が試行錯誤してくれたという。
「じゃあ、和食があるのか?」
驚いて問いかけると、ノアが頷いた。
娘は日本では基本的に洋食を好んで食べていた気がするが、遠い世界で恋しくなるのはやはり和食なのかと思うと不思議な気分だった。
「柚乃は……環境に恵まれていたんだな」
しみじみと俺が言うと、ノアは頷いて「ちゃんと大事にされているみたいだよ」と笑った。
「話を戻すけど、この部屋は一応僕が結界を張っているから、いくら神が相手でも容易に突破することはできないと思う。でもそれは、あくまで物質的な話。例えば、壁があれば飛んできたボールを防ぐことはできるけど、地震なんかは防げないでしょ?それと同じように、直接的じゃない攻撃を受ける可能性は十分に考えられる」
「……さっきの夢みたいな?」
「そう。だからそんな間接的な攻撃から君たちを守るためには、護衛が必要だと判断した。……幸いコトラはまだ脅威として認識されていないようだけど、油断はできない。今は2人だけに護衛を付けるけど、必要になればコトラにも護衛をつけようと思う。それまでは僕が注意してみておくから、安心してね」
「わかった。でも、護衛って……」
俺が言い終わる前に、ノアがパチンと指を鳴らした。
するとノアの背後の空間にひずみが生じ、中から見覚えのある少年と少女がでてきた。
以前は銀色の甲冑を身につけていたが、今回はノアに似た貴族の令嬢や子息のような畏まった服装をしている。
「奈央ちゃんのところで会ったのを覚えているよね?まったく面識がない相手よりいいかと思ったんだけど、希望があればチェンジもできるよ」
ノアがさらりと言うと、横で少年少女は驚いた顔をしていた。
その様子が何だか微笑ましくて、緊張が少し和らいだ。
困ったようにこちらを見る少年少女に「よろしくお願いします」と頭を下げると、俺の隣で妻もいっしょにぺこりとお辞儀をした。
少年少女は安堵したように微笑み『こちらこそ』ときれいな礼を返してくれた。
「2人とも、自己紹介を」
ノアに促され、少女のほうから口を開いた。
『私の名前はロザリンド。気軽にロズちゃんって呼んでちょうだい。主に詩織ちゃんの護衛につくことになるわ。どうぞよろしく』
『サミュエルだ。サミューと呼んでくれ。伊月くんのことは俺がしっかりと守るから、安心して頼ってくれ』
にっこりと笑った二人は、黒い服を着ているというのに、まさに絵画に登場する天使そのものだった。