166 悪夢
「伊月くん?大丈夫?」
目を開けると、不安そうな表情をしたノアが俺の顔を覗き込んでいた。
全身に汗をびっしょりかいて、呼吸まで荒くしている俺を心配してくれたのだろう。
深呼吸して気持ちを落ち着け、ふと隣をみる。
俺の隣では妻がまだ眠っていたが、その表情は険しく、小さなうめき声を漏らしている。
「詩織?おい、詩織!起きろ!」
そう言って軽く肩をゆすったが、妻の瞼は固く閉じられたままだ。
ノアも俺に続いて妻の名前を何度か繰り返していてが、やはり妻は依然夢の世界のままだった。
ノアは眉間にしわを寄せ、俺に「何があったの?」と問いかけた。
夢を見ていただけだと答えると、夢の詳細を話すよう言われる。
思い出せる範囲でさっき見た夢の内容について話すと、ノアは小さく舌打ちをした。
「早いな……!」
そしてはっきりと聞き取れない不思議な言語で何か呪文を唱えたかと思えば、妻の表情がふっと和らいだ。
そして今度は穏やかに、規則正しい寝息を立て始める。
「ノア、これはいったい……」
「どうやら、僕たちがこの世界に来たことが知られたみたいだね」
「相手はもしかして……」
声のトーンを落として訊ねる俺に、ノアが頷く。
「そう、この世界の神にね」
ノアの話によると、娘をさらってからというもの、この世界の神はよそ者の侵入を強く警戒していたらしい。
侵入を防ぐ魔法も張り巡らされていて、ノアなら強行して通ることもできるだろうが、無傷でとはいかないようだ。
それが俺たちのような人間なら、命にさえかかわる。
だからなかなか娘のいる世界に俺たちを連れていけなかったのだという。
しかし最近になって、魔法の綻びを見つけたそうだ。
世界を覆うほどの大きな魔法を使うと、どうしても細かい部分に不具合が生じることがある。
ノアはそれをずっと部下に探らせていたらしい。
その結果、魔法の綻びをついて異世界への道をつなぐことができたという。
「でもこの世界の彼の影響力は、想像以上に大きいみたいだ。感づかれないように気配を極力隠してたつもりだったけど、こんなにすぐに干渉してくるなんて」
「干渉……」
「彼は、君たちの命を狙っているのかもしれない。柚乃ちゃんを取り返されないように」
「……なんで、そこまで柚乃に……」
「理由はわからないけど、何か目的があるんだろう。とにかく、魔王と柚乃ちゃんが戻ってきて話を聞かないことにはどうしようもない」
いつも余裕な顔でなんでも知っているノアにも、わからないことがある。
それがますます不安感をあおるような気がした。
俺がごくりと喉を鳴らすと、肩に乗っていた妻の頭が小さく揺れた。
ようやく目が覚めたのか、ごしごしを眠い目をこすっている。
大丈夫かと問いかけると「怖い夢を見た気がする」と妻は答えた。
「詩織ちゃん、どんな夢だったか思い出せる?」
「……よくわかんない」
「そっか……」
「でもなんだか、誰かが泣きながら怒ってるみたいだった」
「誰かが泣きながら?」
「うん。すっごく怖かったけど、あんまり悲しそうな声だったから、詩織も悲しくなっちゃった」
どうやら妻の見た夢は、俺のものとは違うらしい。
怒っていただけでなく泣いてもいた、というのが少し気になる。
妻の夢に干渉してきたのも、この世界の神だったのだろうか。
もやもやするが、きっといくら考えても答えは出ないのだろう。
今はそれよりも、神の影響の強いこの世界で、どうやって娘たちに会える日まで持ちこたえればいいのかが問題だ。