165 声
「うわあ、お祭りみたい!」
弾んだ声で妻が言う。
確かに、これまで旅してきたどの街よりも活気があるかもしれない。
住民たちの姿はさまざまで、人間に似た姿のものもいれば、半人半獣のようなもの、完全に獣のような姿のもの、さらにはおどろおどろしいいかにもな姿のものまでいる。
ただ姿による差別なんかはないようで、街の中は明るい声で満ちていた。
素直にいい街だと思う。
住民を眺めるだけで、魔王が良き統治者であることがよくわかる。
俺たちは、先ほどの少女が教えてくれたおすすめの宿のうちの一つに足を運んだ。
空き室があるか不安だったが、すんなり鍵を受け取ることができた。
少女にもらった木札を渡すと、慣れた感じで先払いの料金の割引をしてくれる。
「ここはいい街ですね」
そう言うと、宿の主人はにっこりと微笑み、以前はこうではなかったのだと教えてくれた。
街の状態が改善したのは、今の魔王の治世が始まってからだという。
「以前は強さこそがすべてで、弱い魔族は強い魔族のもとで奴隷のような生活を強いられていました。とくに先代の魔王様は戦いにしか興味がない方で、当時はあちこちで戦火が上がっていたものです」
「そうなんですか……」
「今の魔王様は強さ以外にも目を向けてくださる方で、長い時間をかけて少しずつ力のない魔族たちの権利向上に尽力してくださったのです。お客様方は、遠方からいらっしゃったので?」
「えっと……」
「ええ、魔王領の外から。あっちはまだ整備が進んでいなくて」
返事に詰まった俺に代わり、少し困ったようにノアが答える。
宿の主人は納得したように頷いた。
「お困り事があれば気軽にお声をかけてください。それでは、ごゆっくり」
穏やかに微笑む主人に礼を告げ、俺たちは部屋へと向かう。
宿泊する部屋は、高級感のあるリゾートホテルの一室のようだった。
室内は想像以上に広く、調度品の質も良さそうだ。
魔王領の通貨についてノアから軽く聞いた感じだと、日本円に換算すると一泊一人当たり15000円程度だろうか。
そのコスパの良さに驚きつつも、ソファに腰を下ろす。
すぐに娘に会えるかもしれないと期待していたとともに緊張もしていたのか、どっと疲れがきた。
そのままソファでまどろんでいると、隣に妻が腰掛ける。
妻も疲れたのか、そのまま俺の肩にもたれてきたかと思えば、少しして規則的な寝息が聞こえてきた。
「伊月くんも休んでいていいよ」
そんなノアの声に甘えて、俺もそっと瞼を閉じた。
妻の温かな体温と重みが心地よく、気づくと俺は意識を手放していた。
※
目を開いた瞬間、俺は自分が夢の中にいることに気づいた。
明晰夢というやつだ。
俺は暗い空間の中に一人で立ち尽くしていた。
遠くに見える淡い光に気づき、とりあえず光の方へ歩きだす。
しかしいくら歩いても、光との距離が縮まらない。
おかしいと気づき始めていたが、夢の中だからとあまり気にはしなかった。
ただ届かない光に向かって歩き続けることに飽きてきて、ほかに何かないかと振り向く。
しかし辺りには薄暗い暗闇が広がっているだけだった。
仕方なくまた光に向かって歩き始めると、背後から声が聞こえた気がした。
気のせいかと思ったが、歩みを進めるとやはり何かが聞こえる。
ただ、うしろを振り返って耳を澄ますとしんと静まり返ってしまう。
声は少しずつ近づいているようだった。
相変わらず何を言っているかはわからないが、聞こえる声はどんどん大きくなっていく。
俺はだんだん恐怖を感じていた。
近づいてくる声から逃げるように走り始めたが、一向に光には近づけず、声は近づいてくるばかりだ。
そしてついに、全速力で走り続ける俺の耳元まで声が届いた。
ずっともやがかかったように理解できなかった言葉が、やけにクリアに響いた。
『ぜったいにかえさない』
ぞっとするような声だった。
どういう意味だ、と聞き返す前に、唐突に足元が崩れ落ち、俺はそのまま落下した。
空中でみっともなくバタつく俺に、もう一度声が響いた。
『ぜったいにかえさない。とりもどすなら、ころしてやる』
そこまで言われて、ようやく何を“返さない”のかがわかった。
俺は真っ暗な空間を睨みつけながら「絶対に取り戻す!」と叫んだ。
「俺は、柚乃を取り戻すためにここまで来たんだ!!」
相手は神か、魔王か。
これが現実なのかただの夢なのかもわからないまま、俺は意識を手放した。