特別編(21)同情と羨望
佐々木が伊月に抱いた第一印象は「さえないおじさん」だった。
佐々木を見て困惑した表情をしたものの、丁寧な言葉づかいで物腰も低い伊月は、いかにも善人といった雰囲気だった。
しかし何とも気弱そうで、失礼ながらあまり頼りにならなさそうだと思ってしまったのも事実だ。
人の良さそうな伊月が嘘を言っているようには見えなかったため、佐々木は彼を異世界転移被害者の会のメンバーに加えることを決めた。
何より、娘が魔法陣の中に消えていったという証言は、異世界転移の信ぴょう性を高めるように思えた。
佐々木が伊月への印象を改めたのは、異世界からの帰還者を自称する勇司のもとを訪ねたときだった。
佐々木は普段は丁寧な口調を心掛けているが、悪意を向けられたときにすぐに感情的になる悪い癖がある。
ちょっとした言い合いで勇司とピリついた空気になったとき、とっさにあいだに入ってくれたのが伊月だった。
伊月の穏やかな口ぶりは、自然と相手の警戒を解いてしまう。
敵意むき出しで佐々木をにらみつけていた勇司も、伊月と話すうちに気の抜けた表情になっていた。
そしてそれは、佐々木も同じだったはずだ。
それから数日が立ったころ、佐々木は伊月から話がしたいと連絡をもらった。
急ぎの用事らしいので、仕事終わりに待ち合わせて自宅に招くことにしたが、正直佐々木は少し警戒していた。
以前似たパターンで、壷なんかを売りつけられそうになったことがあったからだ。
伊月が悪意を持って押し売りをする可能性はなさそうだったため、誰か悪い相手に騙されたのかもしれないなどと勝手に思っていた。
だから、伊月の口から出た話に佐々木は戸惑いを隠せなかった。
夢の中で、不思議な少年に異世界転移を提案されただなんて、容易に信じられるはずがない。
しかし伊月はその夢が本当だと信じ込んでいるらしく、異世界転移被害者の情報を教えてほしいという。
個人情報をを理由に断ることも考えたが、万に一つの可能性があるかもしれない。
そう思うと、無下に断ることもできず、佐々木は異世界転移被害者の会設立後に得た情報をまとめたノートを伊月に手渡す。
伊月は頭を下げ、必死にノートを読み込んでいた。
そんな伊月に、佐々木はぽつりと「どうして瀬野さんなんでしょうね」と呟いた。
自然と心の声が口をついたことに戸惑いつつも、複雑そうな顔で自分の見つめる伊月に、佐々木は自然と頼みごとをしていた。
弟がいる世界へ行くことがあれば、帰りを待っていると伝えてほしいと。
ただ、自分に頭を下げてから帰路についた伊月を見守りながら、佐々木は同情心を抱いていた。
きっと伊月は、心を病んでしまったのだろうと。
娘が攫われ、妻も精神を壊してしまったと話していた。
だから突拍子もない夢を現実だと信じ込んでしまったのだろう、そう佐々木は思った。
※
「佐々木さん!」
ある日異世界店に被害者の会の会合に向かう途中で、突然見知らぬ少女に呼び止められた。
面識もないはずなのに、笑顔で矢継ぎ早に話しかけてくる少女を一瞥した佐々木は、軽く話を聞いて「人違いじゃないかな」と答えた。
少女は佐々木の言葉に、泣き出しそうな顔をして固まる。
そこはかとない罪悪感を覚えつつ、佐々木は踵を返して異世界転移被害者の会の会合場所へと急いだ。
会合に使っているのはレンタルスペースで、手続きを手早く済ませて準備に取り掛かる。
椅子や机を並べ終えたころ、伊月の紹介で被害者の会に加入した勇司が扉を開いた。
「やあ、勇司くん」
軽く挨拶を交わしたあと、勇司が先程の少女について話題に出す。
そして少女の弟と妹が、伊月の手助けで異世界から戻ってきたのだと告げられた。
まさかと思ったが、勇司と話すうちに自分の記憶に不鮮明な部分があることに気づいた。
初めて勇司と会ったとき、同席していたはずの女の子の顔も名前も思い出せない。
勇司はそれを「世界のつじつまを合わせるための記憶の改ざん」だといった。
そんな得体のしれない力が自分に影響を及ぼしている実感はなかったが、勇司の話には妙に信ぴょう性があるように佐々木は感じられた。
そして伊月の異世界渡航が事実かもしれないと思うほど、佐々木はどうにもやるせない気持ちに支配されるのだった。