146 聖女との対話
人質をとることには抵抗があるが、この状況ならば仕方がないだろう。
しかし騎士たちの反応は、予想外のものだった。
「それはできない」
きっぱりと騎士の一人が言いきった。
ほかの騎士たちの中にも、反対意見のある者はいないようだった。
「この男がどうなってもいいと?」
「やむをえまい。この国においては、聖女様が何より優先される」
「……ふ、ふざけるな!」
叫び声をあげたのは、倒れこんだまま泣きそうな顔をしているルーシェだった。
ナイフの刃が当たる感触で目を覚ましただろう。
ルーシェは騎士たちを睨みつけ、早く自分を助けるようにと命じる。
しかし騎士たちは、行動を起こそうとはしない。
ルーシェは必死になって騎士たちを罵倒し、やがて懇願したが、結果が変わることはなかった。
そしてついには、肩を震わせて泣き出してしまった。
恐怖のせいだろう、腰のあたりに水たまりができている。
「頼む……助けてくれ……頼む……」
失禁までしたルーシェを哀れに思ったのか、斎藤がため息をついて自身の上着をルーシュの下半身にかけてやる。
そして騎士に提案をする。
「……話をするだけだ。聖女はお前たちの後ろに隠していてもかまわない。少しだけでも話をさせてくれたら、この男を開放すると約束しよう」
「……しかし」
「我々に聖女を害するつもりはない。彼女の意思を無視して連れ去ることはしないと約束しよう」
騎士は困ったように黙りこんでいた。
そしてしばらくの間があって、騎士のリーダーらしき男が近くの騎士に何かを耳打ちする。
耳打ちされた騎士は、小さく頷いてその場を立ち去った。
やがて先ほどの騎士が、小柄な女性を伴って戻ってきた。
騎士たちの後ろから表情を強張らせてこちらを睨んでいるのは、ユミュリエール教国の聖女だった。
「私になんのご用ですか?」
「手荒な真似をして申し訳ない」
斎藤が謝罪し、ちらりと俺の方を見て小さく頷いた。
俺も頷き返し、聖女をまっすぐ見据える。
「どうしてもあなたと話がしたくてきました。――大和奈央さん、どうか話を聞いては頂けませんか?」
「……!?」
俺の言葉に、奈央は驚いたように目を見張った。
名前を呼ばれた程度で、それほど驚くことはないだろう。
もしも彼女が聖女ではなく、ただの異世界人であったとしたら。
ユミュリエール教国では、聖女は降臨してから元の世界での名前を口にすることを禁じられるという。
神の遣いとして、人の身でありながら神聖なる存在とみなされ「聖女」としか呼ばれなくなる。
それなのに、教皇一族との結婚を強いるというのは、矛盾している気がするが。
そういうわけで、聖女の本当の名を知るのは、召喚の場に同席した教皇一族だけだたいう。
それはなんと寂しいことだろう。
「あなたたちは一体……?」
怯えの混じった声で、奈央が訊ねる。
俺は少しでも安心感を与えるため、眉を下げて笑ってみせた。
敵意がないことが伝わるようにと。
「俺たちはあなたの元いた世界から来ました。奈央さん、あなたは元の世界に戻りたくはありませんか?」
「……元の世界に?帰れるの……?」
「あなたが望むのであれば、この少年が還してくれます」
奈央は信じられないといった様子で、息を呑んだ。
騎士の一人が「戯言を……!」と間に入ろうとしたが、奈央が手でそれを制止する。
俺はそれを確認して、詳細を説明した。
世界を廻って、異世界人に帰還の意思を問いかけていること。
この場にいる斎藤と蓮も、奈央と同じ世界の出身であること。
そして奈央の夫の亮介が妻の行方を追い続けていること。
気がつくと、奈央の頬には涙が伝っていた。