16 お守り
目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。
握りしめた拳の中に、何か硬いものが入っていることに気づく。
そっと手を開いてみると、透き通る深緑色が美しい石があった。
そういえば、意識を失う瞬間、少年の声で「お守り。」と聞こえた気がした。
異世界の神から命を狙われている俺たちを、この石が守ってくれるというのだろうか。
「伊月くん、おはよう!」
ドアの隙間からひょこっと顔を出した妻が、にっこり笑う。
時計を見ると、時刻は午前10時。
ずいぶん寝坊をしてしまったみたいだ。
「朝ごはん食べる?詩織とお母さんはもう食べたよ。」
「ああ、着替えたら行くよ。」
「はーい!」
パタパタと遠ざかる妻の足音を聞きながら、ゆっくり立ち上がる。
昨日の夢がただの夢でなく、あの少年と神が現実のものだと仮定して、今日は行動しようと思う。
手早く身支度を整えてリビングへ向かうと、妻と義母がテレビを見ていた。
俺の姿を目にとめると、「おはよう。ゆっくり眠れたのね。」と義母が安堵したように微笑んだ。
どうやらここ数日の俺は、傍目から見ると相当ひどい状態だったらしい。
「おはようございます。すみません、寝坊してしまって。」
「いいのよ。座っていて頂戴。すぐにごはん、よそうわね。」
雑穀米に鮭の塩焼き、ほうれん草の胡麻和えと漬物、味噌汁という理想的な朝食が用意され、俺はお礼と「いただきます。」を口にして箸を伸ばした。
親子だからだろう、義母の味付けは妻のそれによく似ている。
食事をゆっくりと味わったあと、俺はテレビを眺めている義母に声をかけた。
「ごちそうさまでした。……お義母さん、少しいいですか?」
「別にかまわないけど……。」
俺は昨日の夢の内容を、包み隠さず話した。
義母は面を食らったような顔をしていたが、話し終わると何か考え込むように黙り込んでしまった。
高圧洗浄機の魅力を熱心に語る、テレビの通販番組の音声だけが響き渡っている。
詩織にはつまらない番組なのだろう。
何をしているのか見ていると、コトラを膝にのせてよしよしと撫で回している。
コトラもコトラで、ペロペロと妻の指を舐めて愛情表現をしていた。
「展開が早すぎて、ついていけないわ。」
しばらくして、ようやく放たれた義母の第一声がこれだった。
確かに、この数日の展開の速さは怒涛の勢いだ。
「どうして急に、あなたまで異世界に行くなんていう話になるのよ。」
盛大にため息をついた義母は、半ば呆れ顔で「どうせ止めても行くんでしょう?」と言った。
俺が「すみません。」と謝ると、もう一度ため息をついて「わかったわ。」と答える。
「詩織のことは任せて、いってきなさい。ただし、自分の身の安全を最優先に、必ず無事に帰ってくると約束して。」
「……はい、必ず…!詩織のこと、よろしくお願いします。」
深く頭を下げる。
義母の助けがなければ、俺は異世界へ行くことを即決できなかったかもしれない。
顔をあげると、義母は悲しそうな、でも嬉しそうな表情をしていた。
柚乃を救う手立てが見つかったこと、それは義母にとっても大きな希望となったに違いない。
「ねえねえ、なんで詩織のことよろしくするの?」
妻があどけない口調で訊ねる。
俺はしばらく家を留守にすること、そして義母の言うことを聞いていい子に過ごすことを妻に言い聞かせる。
妻はきょとんとして、
「詩織はお留守番しないよ?伊月くんといっしょに行くもん。」
と答える。
危ないから連れていけないよ、と俺がいうと「でも。」と妻が口ごもる。
「でも?」
優しく先を促すと、妻はこう答えた。
「詩織も連れて行ってくれるって、あのお兄ちゃんが約束してくれたよ。」
お兄ちゃん?
まさか……。
絶句して妻を見ていると、その手に何か握られていることに気が付いた。
とてつもなく嫌な予感がする中、妻に手の中のものを見せてくれるよう頼む。
嬉しそうに手を開いた詩織が見せてくれたのは、まぎれもなく、俺が握っていたあの石と同じものだった。