145 脅迫
穂先が当たった瞬間、青年はがくりとうなだれるように意識を失った。
しかし先程の少年のように、頭が光の粒になることはなかった。
穂先は確実に当たったように見えたが、実は逸れていたのだろうか。
そう思ったのもつかの間「馬鹿なことを」と呟いたノアの声に、それは誤りなのだと察した。
「いったい何が……?」
それでも状況がわからずに混乱していると、俺たちを守っていた子どもたちのうちの一人が『自殺したのよ』と教えてくれた。
声の主は兜を脱ぎ、憂いを帯びたため息をついた。
長い金髪を高い位置で一つに束ねた少女は、幼い顔つきながらも大人びた表情をしている。
『あの槍は、相手がどんな存在でも命を奪ってしまう恐ろしいもの。それはこの世界の神であっても変わらないわ』
「でも、あの青年は……」
『彼は器に過ぎなかったから。槍はあの子を貫いたように見えたけど、実際はその中身だけを刺したのよ。あなたたちには見えないかもしれないけど、彼の横には頭のない遺体が転がっているわ』
「そんな……」
『そもそも、神は永遠を生きる存在。病気やケガなんかで命を落とすことはないわ。……力を損なうことはあってもね。神を殺すには、あの槍のような特別な神具の力が必要になるの。だからあの槍はもともと、神の裁判のために……』
そこまで言いかけたところで、片腕を失った少年が『おい』と少女を制止した。
少女は少し困ったような顔をして『悪かったわ』と少年に謝罪する。
『つい喋りすぎてしまったわ。君たち、この話は他言無用でお願いね。とくにあの方には』
少女はノアはこっそり指さし、いたずらっぽく笑った。
少年は呆れたように肩をすくめる。
そして少し遠い目をして、少年が吐き捨てるように言った。
『つまりやつは、罪を償うことを放棄したということだ。我々は、やつに責任を問う機会すら奪われてしまった』
「……まあ、仕方ないことだよ」
そうつぶやいたのは、ノアだった。
ノアがパチンと指を鳴らすと、俺たちを囲んでいた壁がすうっと消えていった。
ノアは俺たちの様子を確認し「怪我はないね」と安心したように笑った。
そして俺たちのそばに立つ少女に、にっこりと笑みを向ける。
「おしゃべりはほどほどにね」
どうやら先ほどの会話はすべて聞かれていたらしい。
少女は目をそらしながら、小声で『すみません……』と返した。
ノアはため息をつきつつも、それ以上少女を責めることはしなかった。
代わりに、騒ぎを聞きつけたらしい騎士たちが駆けつけてきた。
騎士の一人が、地面に倒れこんでいる青年を見て顔を青くして叫んだ。
「ルーシュ様!」
ルーシュ、どこかで聞いた名前だ。
少し考えて、はっと気づいた。
確か、このユミュリエール教国の教皇の息子がそんな名前だったような気がする。
つまり、今の状態だけ見れば、俺たちは国のトップの息子を手にかけた犯罪者だといわれても仕方がない状況だ。
「貴様ら……よくも……」
完全臨戦態勢の神聖騎士たちが、俺たちに向かって剣を構える。
ただし、彼らの視線には違和感がある。
俺たちよりも武装しているノアの部下たちのほうに敵意が向きそうなものだが、そちらには目を向けることもない。
まるで、その姿が見えていないようだ。
ノアは小さく指をパチンと鳴らした。
すると再び空間にひずみが生じる。
ノアの部下たちはひずみの前に列を正して並び、息のそろった敬礼をする。
そして、ひずみの中に消えていった。
俺たちはぽかんとしながらその姿を眺めていたが、騎士たちはやはり目もくれないかった。
その後、いち早く動いたのは斎藤だった。
斎藤は袖口から仕込みナイフを取り出し、ルーシュの首筋にあてる。
袖口に隠しポケットでもついていたのだろうか?
驚く騎士たちに、斎藤は落ち着いた声で告げた。
「聖女をこの場に連れてこい。さもなくば、この男は命を落とすことになるだろう」