133 甘味
「おかえり!」
宿に戻ると、妻が笑顔で出迎えてくれた。
蓮とラウル、そしてノアの姿が見当たらない。
どこへ行ったのかと訊ねると、街を散策しているという。
「おやつ食べに行ったらね、かっこいい武器屋さんとかいろんなお店があって、蓮くんとラウルくんが見たくなったんだって。だから詩織がお留守番しているから、行ってきていいよって言ったの。詩織はコトラといれば安心だから、ノアくんには二人についていってもらったんだ」
「そうだったのか。詩織は行かなくてもよかったのか?」
「伊月くんたちが戻ってきて、誰もいなかったら心配になっちゃうでしょ?それに詩織、街を見るなら伊月くんといっしょがよかったんだもん」
「そっか。ありがとな。あとで時間があったら、散歩にでも行こうか?」
「うん!ノアくんたちが戻ってきたら、面白いお店があったか聞いてみる」
妻の様子を眺めながら、斎藤が微笑んでいる。
視線に気づいた妻が首をかしげて斎藤を見ると、斎藤は「すみません」と小さく謝った。
「お二人の仲のいい姿をみていたら、何だか懐かしい気持ちになって。私にも、日本にいたころは親しくしていた幼馴染の女の子がいたんですよ」
斎藤の言葉に妻は笑って「その子のこと、好きだったんだね!」と言った。
斎藤は寂しそうな顔をして「そうですね」と答える。
「今になって思えば、気持ちを伝えておけばよかったと思います。当時は友だち以上、恋人未満という感じで……関係を壊したくなくて、直接言葉にしなかったことを後悔しています。いや、でも……その後行方不明になったら彼女は気が気じゃなかったかもしれないし、伝えなくてよかったのかもしれません」
「斎藤さん……」
「湿っぽい話をすみません。伊月さんたちと会って、故郷を思い出すことが増えたせいか、少し感傷的になっているようです」
斎藤は困ったように笑った。
その表情に、胸が締め付けられる。
長い時間、斎藤はこの異世界でどれほど寂しい思いを重ねてきたことだろう。
何と声をかければいいのか悩んでいると、妻が机に置いていた何かをさっと斎藤に差し出した。
小さな紙袋だ。
中身はわからないが、ほのかに甘い香りがする。
「あの……」
「これ、お土産!寂しくなったときは、甘いもの食べたら元気が出るよ。詩織も、一人でお留守番してて寂しいときね、甘いもの食べてがんばってるの」
「……ありがとうございます」
紙袋を受け取って、斎藤が言う。
妻は満足そうに笑って、もう一つの袋を俺に差し出した。
「ちゃんと伊月くんのもあるからね」
礼を言って受け取って、袋の中を覗き込む。
マフィンのような2つ焼き菓子が入っている。
「これね、オレンジみたいなのが入ってておいしいんだよ。こっちのは、ナッツが入ってて、男の人に人気だってお店の人が言ってた」
「へぇ、おいしそうだな」
「果実水もあるよ。注いであげるから座って!」
「あ、私は部屋に……」
「なんで?いっしょに食べよ!」
妻に押し切られ、斎藤は戸惑いつつも椅子に腰かけた。
妻がコップに果実水を注ぎ、俺と斎藤の前におく。
そして「どうぞ召し上がれ!」と両手を広げた。
柔らかくしっとりとした口当たりの生地から、ほのかに柑橘系の香りと酸味を感じる。
甘さは控えめで、食べやすい。
「おいしいな」
俺がそういうと、妻は目を輝かせていた。
そしてちょっと物欲しそうな顔をしている。
俺は苦笑して、マフィンを半分ちぎって妻に差し出す。
妻は「伊月くんのだからいいよ!」なんて遠慮してはいるが、マフィンに視線がくぎ付けになっている。
「でも、いっしょに食べたらもっとおいしいだろ?」
そういって笑いかけると「じゃあ……」とマフィンを受け取った。
そして一口頬張っては、幸せそうな顔をする。
微笑ましく思っていると、ふふ、と斎藤が笑みをこぼした、
「おいしい?」
妻が斎藤に問いかけると、斎藤は「ええ、すごく」といって笑った。
その表情は、今まで見たどの表情よりも穏やかに見えた。