130 聖女の現状
白く煙たい部屋の中には、煙草の煙が充満していた。
妻の妊娠を機にやめた煙草の香りを懐かしく思いつつ、妻や蓮たちを連れてこなくてよかったと心底思う。
そして世界は違っても、煙草のにおいが似ていることにも驚きだ。
「何が知りたい」
ぼそりと情報屋が呟いた。
斎藤も簡潔に答える。
「国境警備の巡回ルートだ」
情報屋はボリボリと頭を掻いて「どこの?」とまた短く問う。
オートラック王国とユミュリエール教国の境だと斎藤が答えると、意外だったのか情報屋は「はぁ?!」と大きな声を出した。
「教国って……なんだってそんなところに……」
「なんだ、情報はないのか?腕が落ちたんじゃないか?」
「なんだと?あるに決まってんだろ」
ずいぶんと気安く話している。
斎藤と情報屋は、想像以上に気心の知れた仲なのかもしれない。
「……金は?高くつくぞ」
そんな情報屋の言葉に、斎藤が小さな袋を情報屋に向かって放り投げる。
情報屋は中身を確認して「十分だ」と呟いた。
そして手元に置いてある手帳のようなものを開き、近くに山積みになっている紙に走り書きする。
情報屋は書いたメモを斎藤に差し出す。
斎藤はメモを受け取り、ちらりと確認して頷いた。
十分な情報は得られたということだろう。
「で?」
情報屋は頬杖をつき、俺へ視線を向ける。
前髪の隙間から覗く瞳が、品定めするように俺を下から上へと眺めた。
「そっちのお前も、用があってきたんだろ?ご丁寧に顔まで隠しやがって」
その言葉には、明らかにトゲを感じた。
相手からすると、俺は顔も見せずに黙っているただの不審人物だ。
警戒されるのも当然だろう。
俺はフードを外し、まっすぐに情報屋を見つめた。
「不快にさせてすみません。見た目がこれなもので、表立って店に入ることができなくて」
「って、ガキかよ!おいおい、こんなとこに連れてくんじゃねえよ」
情報屋は呆れた様子で斎藤を睨んだ。
しかし斎藤はそ知らぬふりだ。
なんだか二人の関係性が如実に表れているようで、思わず笑いそうになるのを何とかこらえた。
「……はぁ、で?何が知りたい?」
ため息をつきながらも、情報屋は俺を客として扱ってくれるらしい。
ありがたく思いながら、ユミュリエール教国にいる転移者について知りたいと話す。
情報屋は訝しむような視線を俺に向けながら、手を差し出した。
情報料を支払えという意味だろう。
俺は、ノアが持たせてくれた硬貨の半分が入った袋を情報屋に渡した。
情報料が足りないといわれたときに備え、残りの半分は懐に保険としてとってある。
情報屋は中身を見て、少し驚いた顔をした。
そして、十分だという。
呆れた顔を斎藤に向けていることから察するに、どうやら多すぎたらしい。
情報屋は硬貨の入った袋を引き出しの中に片付けると、腕を組んで話し始めた。
「あの国は閉鎖的だからな。あまり情報は出回っていないが、何が知りたい?」
「えっと……とりあえず、転移者がどんな人なのか教えてください」
「ふむ、転移者は20代後半の女だ。結婚適齢期はずいぶん過ぎてるが、慣例に従って、教皇の身内に引き入れるため、今は教皇の弟と息子の2人に求婚されてる。噂じゃ、どっちもだいぶ入れ込んでるそうだぜ」
「入れ込んで……?」
「なんでもその女、相当な美人らしい。見た目も10代と言っても遜色ないんだと。ま、それに彼女を射止めれば、自動的に次期教皇の座が転がり込んでくるからな」
ノアから聞いた話とほとんど同じ内容だ。
俺は頷いて話の続きを促す。
「だが、話は求婚の段階でずっと止まってる。普通なら数ヶ月もすれば婚約や結婚の予定が立ちそうなもんだが、3年たっても進展がないってのは問題だ。教皇側も業を煮やしているみたいだが、どうやら女のほうが結婚に乗り気じゃないらしい。国のトップの妻になれるなんて、またとない話だろうに、変わった女もいるもんだ」
情報屋は新しい煙草に火をつけ、深く煙を吸った。
そしてため息と同時に白い煙を吐き出す。
「ただそいつは聖女と呼ばれ、奉仕活動なんかには積極的に参加してる。民衆からの支持も順調に集めているし、教皇側としては何としても取り込みたいだろうな。聖女を横からかっさらわれないよう、警備も厳重だ。おかしな真似しようもんなら、神聖騎士団に首をはねらるから気をつけな」
「神聖騎士団……」
「教皇お抱えの精鋭部隊だ。聖女についてるのは、その中でもトップクラスの実力者だそうだ」
「そこまで厳重に……」
「ま、先々代の聖女が他国にさらわれちまったことがあったからな。それ以降、聖女の警備はより強固になったそうだ」
ユミュリエール教国では、およそ50年に1度のペースで転移者が召喚されるという。
他国に比べて極端に転移者の数が少ないからこそ、その力を逃すまいと必死なのだろう。
しかしそこで、一つの疑問が浮かんだ。