117 掃除
蓮とラウルに案内された部屋は、想像よりもきれいだった。
もともと客室として使っていたのか、一台だけだがベッドまで用意されている。
長く使われていないらしく、埃は積もっているが、確かに掃除さえすればすぐにでも使えそうだ。
蓮がカーテンを開けると、まぶしい日差しが飛び込んできた。
日当たりもいいので、普段から使ってもいいだろうにと思う。
俺たちは蓮とラウルが用意してくれた道具で、部屋の掃除を始めた。
ほうきや雑巾、バケツだけでなく、はたきなんかもそろっている。
蓮やラウルは掃除に慣れているようで、手際よく上のほうから埃を払っていく。
妻も自然に体が動くのか、てきぱきと行動している。
俺もみんなに倣って、雑巾を手に取った。
「伊月くん、拭き掃除はまだだよ」
ぴしゃりと妻が言う。
そしてバケツを俺に手渡す。
「先に水を汲んできてほしいな」
「わ、わかった」
俺は了承して、バケツを受け取り部屋を出る。
1階に降りると、斎藤が俺に気づき、どうしたのかと声をかけてきた。
水を汲みに行くところだと伝えると、水がめまで案内してくれるという。
斎藤の話では、少し離れたところに川が流れているそうだが、その都度汲みに行くのは効率が悪い。
そのため、朝と夕にまとめて水を汲みにいき、水がめに保管しているそうだ。
「もうすぐ新しい水を汲みに行く時間なので、ここにある分はご自由にお使いください」
「ありがとうございます」
礼を言うと、また斎藤は俺をじっと見つめた。
「あの……何か?」
「……いや、何だか伊月さんは不思議な雰囲気の方だと思いまして」
「不思議、ですか?」
「ええ」
戸惑っていると、上のほうから俺を呼ぶ妻の声が聞こえてきた。
声のしたほうに俺が視線を向けると、斎藤が小さな笑い声を漏らした気がした。
はっとして斎藤のほうを見たが、先ほどまでと変わらない無表情のままだった。
気のせいだったのだろうかと考えていると、斎藤は会釈をしてその場を立ち去ろうとした。
俺はとっさに、その後ろ姿を呼び止める。
斎藤は振り向き、落ち着いた声で答えた。
「お話の続きは、また今度ゆっくりと」
※
「伊月くん、水の場所わかった?蓮くんたちが、川まで行っちゃったんじゃないかって言ってて」
「大丈夫、斎藤さんに水がめの場所を教えてもらったから」
「そっか、ならよかった!」
「ありがとな、詩織。蓮くんとラウルくんも、気にかけてくれてありがとう」
「い、いや……俺たちは別に」
俺が礼を言うと、蓮もラウルもそっけなくそっぽを向いた。
しかしちらりと見えた耳がほんのり赤く染まっていたから、おそらく照れているだけだろう。
思春期らしい不器用さが微笑ましい。
娘の柚乃にもそれなりに反抗期はあったが、男の子と女の子ではまた反応が違うのだろうなと思う。
意外なことに、ノアもせっせと掃除に勤しんでいた。
その表情は何とも楽しげだ。
神のような存在であるノアにとっては、掃除一つとっても珍しい体験なのだろう。
「魔法を使わずにきれいになるっていうのは、面白いものだね」
感心したようにノアが言う。
確かに普段のノアなら、部屋の掃除など指先一つ鳴らして完了するだろう。
そんなノアの言葉に反応したのは、蓮とラウルだった。
「魔法?」
「え、お前、魔法使えんの?!すっげぇ!」
目を輝かせて近づいてくる少年たちに気をよくしたのか、ノアがパチンと指を鳴らした。
すると、俺が運んできたばかりのバケツに入った水が丸い球になってふわふわと浮かび出した。
「なにこれ!」
「やばいやばい!!」
二人のテンションは最高潮だ。
ノアがもう一度指を鳴らすと、水の球が分裂し、そのうちの一つが蓮とラウルの間で弾けた。
少年たちの歓声に満足げな顔をしたノアだったが、すぐに表情が固まる。
そしてゆっくりと妻のほうを振り向いた。
妻はぷっくりと頬を膨らませて、怒りをアピールしていた。
「ノアくん、まだお水使っちゃダメだよ」
普段よりも低めの声で言った妻に、ノアが素直に謝罪した。
ノアにつられて、蓮とラウルまで背中を丸めているのが何だかおかしかった。