107 代替わり
鳴り響いた拍手の音に、新手の敵かと慌てて振り返る。
そして拍手の主を見て、ほっとして肩の力が抜けた。
「よく頑張ったね」
そこには、優しく微笑むノアがいた。
泣きじゃくっていた妻は、ノアの姿を見て、よろよろと立ち上がって駆け寄る。
そんな妻の頭をノアがなでると、妻は余計に大声で泣き出してしまった。
「おやおや、詩織ちゃん、どうしたの?」
「だって、だって……っ」
「だって?」
「ノアくん、帰ってくるの遅い!詩織、心配してたんだよ……」
「……そっか。ごめんね、ありがとう」
幻覚で不安定になっていたところに、安否を心配していたノアが帰ってきて、より妻はいっぱいいっぱいになってしまったらしい。
本人も、どうして自分ら泣いているのか、訳がわからなくなっているのだろう。
目をゴシゴシとこすりながら泣き続ける妻の手を、そっとノアが握った。
「そんなにこすったら、目が痛くなっちゃうよ」
くすりと笑ったノアは、どこか晴れやかな顔をしている。
ノアが戻ってきたということは、女神の件が片付いたということだろうか?
俺の疑問を感じ取ったのか、ノアがこちらを見て頷いた。
そして「ごめんね」と呟いた。
「そこで凍っている蛇はね、女神の遣いなんだ。僕の目を盗んで、君たちに干渉しようと企んだみたい」
「女神の……?」
ノアは、女神の世界への影響力を奪うため、この世界に新たな神を据えようと考えたらしい。
要は、神の代替わりだ。
めったにないことではあるが、前例がないほど珍しいことではないという。
世界の神としてふさわしくないと判断されれば、管理権を奪われ、神としての資格を剝奪されることもある。
神といっても、俺たちが想像するように、唯一の至高の存在というわけではないようだ。
ちなみに、誰の判断に基づくのかと質問したが、笑ってごまかされてしまった。
俺たちには、教えられないことなのだろう。
異世界からの度重なる誘拐、勇者の力の強奪など、神として不適格の烙印を押される理由は十分だったそうだ。
神の代替わりを無理やり終え、神としての資格を剥奪したところで、女神が俺たちの身の安全と引き換えに自分の罪を軽くするよう交渉してきたらしい。
交渉に応じなければ、俺たちの心を壊すと。
それがさっきの幻覚による精神干渉だった。
「相手は腐っても神だからね。君たちの身の安全を守っていたつもりだったけど、うまく隙を突かれてしまった。だから……つらい思いをさせたのは、僕のせいでもあるんだ。ふたりとも、ごめんね」
ノアが謝る必要なんてない。
そう言おうと口を開いた俺だったが、声を出す前に固まってしまった。
頬をぷっくりと膨らませた妻が、ぺっちんとノアの頬を叩いたのだ。
叩いたといっても、子どもをたしなめる程度の優しい力で、痛みはまったくなかっただろうが。
「ノアくんのせいじゃないでしょ!悪いことしてないのに、謝っちゃダメなんだよ!」
ノアはきょとんとした顔をしたあと、困ったように眉を下げた。
「でも、僕がもっときちんと見張っていれば、女神が君たちに危害を加えようとすることはなかったんだよ?」
「あのね、悪いのは悪いことをした人だけなの!ノアくんはいつも、詩織たちを守ってくれてるでしょ?ノアくんのお守りのおかげで、すぐに伊月くんが助けに来てくれたもん」
お守り、というのは、ノアから預かっていた伝書鳩が分裂し、姿を変えてできたブレスレットのことだ。
危ないことを教えてくれるお守り、という俺のざっくりとした説明を妻は覚えていたらしい。
「ノアくんも、よく頑張ったね!おかえりなさい!」
妻が涙でぐちゃぐちゃのままの顔で笑うと、ノアは照れ臭そうに「ありがとう」といった。