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106 非難

 妻は王宮の庭園にいた。

 そばには、シャルロッテとコトラの姿もある。


 妻の前には、何かもやのようなものが揺らめいていた。


 あれはいったい何なんだ?

 そう思いつつ、妻に駆け寄る。


 妻はもやをじっと見つめながら、小さな声で何かをブツブツと呟いていた。

 俺が声をかけても気づかないらしい。

 肩を揺すっても、一切反応がない。


 俺は妻の口元に耳を近づけた。

 妻はただただ「ごめんね、ごめんね……」と繰り返していた。



 そのとき、もやの方から生暖かい風が俺の頬を撫でた。

 何事かと振り向くと、そこにいるはずのない見知った少女が俺を睨みつけていた。



「ゆ、柚乃……?」



 愛する娘の名前が、自然と口をついた。

 制服姿の娘が、恨みがましそうな顔で俺を見ている。


 娘の手には、小さなナイフが握られていた。

 その切っ先は、俺に向けられている。



「柚乃、どうしたんだ?何でそんなものを持って……」



 そう言いかけたとき、柚乃が俺に向かって切りかかってきた。

 とっさに腕で防御すると、装備の力でナイフは弾き飛ばされた。

 柚乃は衝撃によろめきつつも、再びナイフを構える。


 柚乃の頬には、涙が伝っている。



『どうして……』



 震える声で、柚乃が言う。



『どうして、助けに来てくれないの!私じゃない子のところで何をしてるの!』


「柚乃……っ」


『パパもママも、私のことが大切じゃないの?!異世界での冒険を楽しんで、私のことなんて二の次なんでしょ?』


「違う!俺たちは、お前を助けるために……っ」


『嘘よ!!』



 柚乃はそう叫んで、俺たちに無数の火の玉を放った。

 とっさにバリアを張って防ぐが、妻は俺の横で泣きじゃくりながら、ずっと柚乃に謝り続けている。



『ママはどうして私のことを、忘れちゃったの?世界一大事だって言って育ててくれたのに、いなくなったらどうでもよくなったってこと?』


「ちが……ごめ、ゆのちゃ……」


『何が違うのよ!ママもパパもだいっきらい!』



 あの柚乃は、本物なのだろうか?

 そう思ったが、目の前で泣いている娘をほうっておくことはできない。


 火の玉を受けつつ、一歩、また一歩と柚乃に近づく。

 そして俺は、そっと柚乃を抱きしめた。



「柚乃……つらい思いをさせてごめんな。すぐに無かけに行けなくて……。でも、俺たちは、一時だってお前を忘れたことはない」


『……じゃあ……』


「じゃあ?」


『今すぐ私を助けて。私以外の子なんて、さっさと見捨てて』



 涙に濡れた冷たい目で、柚乃が言う。

 そのとき、俺はようやく確信した。


 視界が涙で滲んで、柚乃の顔がよく見えない。

 しかし、それでよかったのだろう。

 愛する娘の顔が、苦痛に歪むところを見ずにすんだのだから。



 俺はダンジョンでブラッディウルフに放ったのと同じ、氷魔法を放った。

 柚乃の身体がピキピキと音を立てて凍りついていく。

 その姿に、妻が悲鳴を上げて止めにかかろうとしたが、そっと抱きとめて制止する。



「離して!柚乃ちゃんが……っ!」


「……詩織、大丈夫だよ」


「何がっ!」


「……俺達の愛する柚乃は、他人を思いやれる優しい子だ。自分を救うために誰かを見捨てろ、なんて言う子じゃない」



 悲鳴を上げながら凍る柚乃の姿は、やがてゆらりとゆらいだ。

 そして徐々にその本当の姿があらわになる。


 それは双頭の蛇だった。



「……っ……!」



 すでに柚乃の姿でなくなったものを見て、声にならない声を上げた。

 霧が晴れるように、思考がクリアになる。


 ぱっと振り向いて、シャルロッテとコトラの無事を確認する。

 二人のそばには、焼き焦げた小さな蛇が無数に散らばっている

 どうやらコトラがシャルロッテを守ってくれていたらしい。



 俺は安堵しつつ、その場に座りこんで泣きじゃくる妻を抱きしめた。



「遅くなって悪かった」


「柚乃ちゃん……柚乃ちゃんが……」


「うん。でもあれは、本物の柚乃じゃない。たちの悪い偽物だ」


「わかってる……わかってるけど……」



 妻はどれほど、あの幻覚に苦しめられていたのだろうか?

 愛する娘の姿で、攻撃され、なじられる苦痛を。


 娘を失ったショックで幼児退行してしまった妻には、娘と生活をともにした記憶がない。

 でも、記憶は失っても、心ではきっと娘のことを覚えているはずだ。

 だからこそ、記憶を失ったことを責められ、これほどまでに動揺している。



「詩織は覚えていないかもしれないけど、詩織は心から柚乃のことを愛していたし、柚乃にもそれは伝わっていたはずだ」


「でも、でも……」


「柚乃のことを覚えていないのに、詩織は異世界へ行くことを選んだだろう。詩織は今でもちゃんと柚乃を大切にできているよ。だから大丈夫」



 俺にしがみついたまま、妻はしゃっくりをあげて泣き続けた。

 その背中を、妻を心配して駆け寄ってきたシャルロッテがさする。

 コトラも妻のひざに前足を乗せて、心配そうに顔を覗き込んでいる。


 妻は少し驚いた顔をして、泣きながら笑った。

 そのとき、パチパチパチと拍手の音が鳴った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 妻と再会を果たしましたが、残りは娘ですね。果たしてどうなるのか心配になりました……
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