95 罪な人
「ご令嬢。少しお話をしてもよろしいですか?」
ノアに習った、貴族の作法で礼をする。
少女は俺の仕草を見て、少し表情をやわらげた。
「あなたは、お忍びの貴族のご子息?」
「いいえ。高貴な方と接する機会を多く頂戴している、ただの一平民にございます」
「そう。それで、話って?」
貴族でないとわかったものの、少女は蔑む様子はない。
むしろまともに話を聞いてくれようとしている。
意外と、話せばわかる相手なのかもしれない。
「シャルロッテお嬢様とは、以前ダルモーテ侯爵家のお屋敷でお会いになったのですか?」
「そうよ。1年ほど前かしら?シャルロッテ嬢はその日体調が悪いとかで、ご挨拶をしたらすぐに下がってしまいましたけど」
「そうだったのですか。我々は今、お忍びで城下町を散策しておられるお嬢様の護衛を任されているのです。何もやましいことはございませんので、ご安心ください」
「そうなの?雇い主は侯爵様?」
「いいえ。より高貴なお方とだけ」
俺の言葉に、少女は首をかしげる。
「あら、シャルロッテ嬢は病弱で、屋敷の外にはほとんど出られないと聞いていたのだけれど……」
「そうなのですか?確かに少し弱っていらっしゃる部分もございますが、お嬢様に持病はございませんよ」
「……そう。けれどやはり、あなたたちを信用はできないわ。貴族の子女を狙う誘拐事件も耳にしますし。やましいことがないのであれば、詰所まで同行していただいてもいいかしら?」
……やっぱり。
少女の言動に、俺はひとつの仮定を立てていた。
それが少女との会話で、確信に変わる。
「ご令嬢は、お嬢様を心配してくださっていたのですね。ありがとうございます」
そう言って微笑むと、少女の顔がかぁっと赤く染まった。
口は悪いが、平民らしき男と親しげにしているシャルロッテを案じてくれていたらしい。
ここで無理に別れては、少女はしばらくシャルロッテの安否に気を揉むことになるだろう。
構いませんか、とロエナに問いかけると、ロエナもふっと笑って頷いた。
「それじゃあ、詰所まで同行しようか。シャル、散策の続きはそのあとでいいかな?」
「は、はい!」
シャルロッテが頷き、俺たちは連れ立って詰所へと向かった。
※
街の治安維持を担う兵士たちの詰所には、数人の兵士が待機していた。
残りの兵士は、見回りに出ているという。
兵士はロエナと護衛騎士の姿を見ると、驚いてすぐに背筋を伸ばした。
護衛騎士はまだしも、ロエナの男装姿をすぐに見抜いたことは意外だった。
「いかがなされましたか!」
緊張で声を少し上ずらせながら、兵士が訊ねる。
護衛騎士が兵士に事情を説明しようとしたが、ロエナが制して部屋をひとつ貸してほしいと依頼した。
兵士は理由も訊ねず、すぐに部屋へ案内してくれた。
兵士たちの態度に、ロエナの身分が高いことに気づいたのだろう。
少女は顔を真っ青にしながら、あとをついてきた。
部屋に入ると、少女はすぐに頭を下げ、ロエナに非礼を詫びた。
小刻みに身体を震わせている姿が、なんとも痛々しい。
仲裁に入ろうと口を開いたとき、唐突にロエナが笑い出した。
少女は真っ青な顔のまま、あっけにとられている。
「はははっ、すまない。君は意地悪な子なのかと思ったら、単に素直じゃないだけだったんだな」
「あ、あの……」
「私に対する非礼は問題ない。こんな紛らわしい格好しているこちらに非があるしな。ただし、シャルに対しての失言は取り消してもらおう。間抜けだの教養がないだのという言葉は、さすがに許容できない」
「……あ……シャルロッテ嬢、申し訳ありませんでした。言葉が過ぎましたわ」
「い、いえ……」
ここでロエナに対してではなく、しっかりとシャルロッテに謝罪したのは好印象だろう。
シャルロッテは恐縮しつつも、謝罪をすんなり受け入れた。
ロエナも満足そうに二人を眺めている。
「今は詳しく言えないが、シャルはわけあって我が家で保護しているのだ」
「……わかりました。シャルロッテ嬢にお会いしたことは、ダルモーテ侯爵家の皆様はもちろん、ほかの方にも秘密にしておきますわ」
「ああ、助かる」
ロエナがそう言って、少女の頭を優しくなでた。
少女は頬を染めつつ、ロエナに見惚れている。
無理もないだろう。
眉目秀麗な青年が、自分に向かって微笑みかけているのだ。
罪な人だな、と思いつつも、事態が丸く収まったことに俺は安堵した。