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その声を聞いた瞬間、エステルは体中が沸騰したような感覚に襲われた。いつも聞いているはずなのに、耳元で告げられるとくすぐったさも相まって背中が撫でられたようにぞわぞわする。けれど、それは不快さから来るものではないことが、ルクスへの気持ちの表れだろう。
触れた肩から移ってくるようにすら感じる熱は、じわりとエステルの体に広がっていく。同時に、ルクスの言葉の意味も。
「好き、って……」
エステルのことを抱き寄せるかのように密着していたルクス、その熱の伝わる肩に手を添えて少しだけ距離を開く。鼻先が触れ合うほどしか開くことを許されなかったけれど、月夜でも輝きを失わない金髪と、その奥にある碧の瞳をちゃんとに見ることが出来るようになった。
おかげで真剣な顔をしたルクスの瞳に、自分の顔が映っていることが見えてしまったエステルは、また顔を赤らめることになってしまった。
「もちろん、今までが嫌いだったってことじゃないよ?」
「そう言われたら、さすがにショックだわ」
「ああ、ごめん! そうじゃないよ! ええっと、なんて言えばいいのかな……」
エステルの言葉にバッと音がするくらい勢いよく体を離したルクスが、手をわたわたと動かしている。慌てているというのがとてもよく分かる動きに、エステルの口元に小さな笑みが浮かぶ。その様子を見て、からかわれたとでも思ったのか、ルクスが少しだけ唇を尖らせた。
エステルよりも高い位置にあるルクスの顔、だからこそ尖らせた唇もとてもよく見えたけれど、それすらも可愛らしいと思えてしまうのだから、気持ちをいつまでも自分のなかだけで留めておくことはもう出来なかったのかもしれない。
「大丈夫よ、ルクス。分かってる」
「エステル」
自分も、気持ちを形にしよう。そう決めただけで強張っていた体や表情から力が抜けていく。エステルの表情の変化を敏感に感じ取ったルクスが、その名前を呼ぶ。先ほどまでとは違って余裕の出来たエステルは、その声を今までよりも冷静に受け止めることが出来た。
「俺は、主としてのエステルも好きだ。仲間たちにも同じように接してくれる優しい主が、自慢だった」
「だった?」
「俺ね、案外ここが狭いみたい。エステルには俺だけを見ててほしいって、いつからか思ってた」
苦笑したルクスがここ、と示したのは自分の胸。とんとん、と小さく叩いていたのは自分にも言い聞かせているようにも見える。もしくは、ルクス自身もまだそこで感じるものに名前が付けられないのかもしれない。
自由気ままに振る舞う妖精だからこそ、ルクスもエステルと共に過ごすうちに知った感情なのだろう。苦しそうにぎゅっと目を瞑ったルクスを見て、エステルは自分の中に湧き上がった感情がきれいなものだけではないと、目を伏せた。
「エステル。俺は、主だからじゃない。一人の女性として、エステルのことが好きだよ」
聖域の森を思わせるような碧を、ゆっくりとエステルに向けたルクスから、もう一度告げられた気持ち。その奥に宿る熱に気付かないと言えるほど、エステルは鈍感なつもりもない。自分が、ルクスに向けている瞳にも、きっと同じくらいの熱が宿っているはずなのだから。
「ルクス。知っていると思うけど、わたしは立派な淑女とは呼べないわ」
つい先ほど自分の中に沸き上がった感情を思い出したエステルは、苦いものを飲み込んだように顔を歪めた。
ルクスが抱え込んだ感情に苦しんでいるのに、その気持ちが向けられていることに確かに喜びを感じてしまったのだから。
自分だけを見てもらえない焦りや、他の誰かと自分以上に親しくしている事への嫉妬。エステルを女性として、共に歩く存在として見ていてくれていたから、きっと生まれた感情。
ルクスが、エステルのことを妖精の主とだけしか見ていなかったなら、そんな気持ちを抱くことはしなかっただろう。
「妖精の愛し子だったお母様のようにも、きっと振る舞えない」
父という伴侶があり、それでも妖精たちから愛されていた母は、穏やかな笑みを絶やさない人だった。幼いエステルには小さな光の粒にしか見えなかった妖精たち、そのひとつひとつに分け隔てなく接していた母のようには、きっとなれない。エステルの気持ちは、ただひとつに向けられているのだから。
「けれど、ずっと傍にいてくれたあなたのことを、想う気持ちだけはきっと誰にも負けない。負けたくないと思っている。
……あなたのことが、好きよ。ルクス。ずっと一緒にいてくれる、わたしの光」
エステルが言い切るのとほぼ同時に、距離を開けたはずのルクスが視界一杯に飛び込んできた。
同時に、ふわりとした何かに体を包まれているような感覚に気付く。いつの間にか空を見上げるような体勢になっていたエステルは、星を掴むように上に掲げられていた自分の腕を、そっとその温もりに添えた。
「俺ね、いつだったかクレア様がどうしてエステルって名付けたか、聞いていたことがあるんだ」
二人で使うには十分な大きさのソファーだったけれど、さすがに並んで寝ころぶには少々狭い。
しばらくルクスに抱きしめられるままだったけれど、エステルがもぞりと身じろぎをしたことで、二人して小さな笑いをこぼして体勢を変えた。
固いものに当たらないようにと、ずっとエステルの背中に回されていたルクスの腕が痺れてしまうのではないかと心配していたけれど、当の本人はけろりとした顔をしていた。
エステルはルクスの肩にこてん、と自分の頭を預けて窓の外の景色を見ていた。先ほどまでと変わっていないはずの星の輝きが、とても美しいものに見えて目が離せない。
静かで穏やかな空気が流れる中、優しいルクスの声がエステルに響く。
「聞かせてもらっても、いいかしら」
エステルが覚えている母は、穏やかに笑っている姿。それから、病気で臥せっている姿だ。それでも枕元でたくさんの話をしてくれていたが、自分の名前がどういう意味を持っているのかとは、一度も聞いたことがない。
知らずぎゅっと力がこもってしまった手に、ルクスが優しく手を添えてくれる。
「星みたいに、輝く女の子になって欲しい。そう笑ってたよ」
「……わたしは、お母様の願いに応えられているかしら」
「もちろん」
添えられている手を握り、顔を見合わせた二人が笑う。そっと目を閉じたエステルに降ってきたのは、優しい温もりと小さなリップ音だった。
「お父様に、お話しないといけないわね」
「あー、うん。そうだよな……」
「ルクス? 気が乗らない?」
ソファーできらきらと瞬く星を見ながらルクスと寄り添っていたけれど、朝から妖精王に会いに行っていたエステルには眠気の限界がやって来た。
うとうとと舟をこぎ始めたエステルに気付いたルクスが、そっとベッドに誘導する。ルクスに自分の想いも告げて緊張の糸が切れたのか、エステルの足取りはおぼつかない。
ころりとベッドに潜り込んだエステルの視界に映るのは、隣に置いた椅子に座るルクスの姿。自分を見つめている瞳に、今まではなかった蕩けるような感情を確認したエステルは、ふふと小さな笑みを漏らす。
「どう話すか、考えてたんだよ。明日、起きたら一緒に考えよう」
自分がエステルへの気持ちを自覚した時点でイルハルドに話をしている、などとはさすがに言えないだろうと考えていたルクスは、当たり障りのない返事を告げた。
ベッドに入ったことで気が緩んだのか、今にも目を閉じてしまいそうなエステルを見て、ルクスは微笑んだ。
「お休み、エステル」
「おやすみなさい、ルクス」
優しく撫でてくれる手のぬくもりを感じながら、エステルは目を閉じた。明日もまた、ルクスと一緒にいることが出来るのはいつもと変わらない。けれど、自分たちの関係が、明日からは違う名前で知られていくのだと思うと、胸の中が幸せな気持ちで満ちていく。
きっと今日は素敵な夢が見られるだろう。そう思いながら、エステルは穏やかな寝息を立て始めた。




