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61.

「エステル」

「今日の予定は決まったわね。ルクス、厨房に行ってゼストに作り置きのお菓子があるか、聞いてきてくれる?」


 邸で過ごすのだったらともかく、外出するのであれば少しだけ飾りたててもらわないといけない。けれど、慌てて戻っていったサロの様子を見るに、そこまで時間は取れないだろう。

 そう思ったエステルは、自分の部屋とは反対方向にある厨房への言付けをルクスに頼もうとした。


「ルクス?」


 妖精は、基本的に主や気に入った人のお願いには忠実だ。だからこそ、ルクスもエステルの言付けを断るつもりなどない。ないけれど、エステルに自分の気持ちを分かって欲しい、といろんな手段を模索しているルクスにとって、二人きりになれる時間が減ってしまう事は気分を沈ませるには十分だった。


「もしかして、お菓子が減るのが残念なのかしら」

「……まあ、少し」


 きょとんとした顔で、ルクスの気持ちなど分かっていないように首を傾げるエステルは、何かに思い至ったようで、ぱあと表情を輝かせた。


「それなら、帰って来たら一緒に作りましょう! それもゼストに伝えてくれる?」

「うん!」


 エステルの手をぎゅっと握ったルクスは、さっきまでしょんぼりしていたのなど嘘のように、上機嫌で厨房へと向かって行った。


「のんびり見送っている場合じゃないわね、急がないと」


 ルクスが握っていった手には、まだ温もりが残っている。大事なものを触るようにそっと手を当てたエステルは、幸せそうに目尻を下げた。



「待たせちゃったわね。遅くなってごめんなさい」

「いえ、僕も今来ましたから」


 フォルカー家に入ってから、サロが学んだことのひとつに、女性の準備には時間がかかるという事。正直、どうしてそこまで用意するのに時間が必要なのかと分からなかったこともあったが、自分とは違う軽い足音を立てながらやって来たエステルを見て思う。

 これは、確かに時間がかかると。


「サロ?」

「いえ、あの……エステル義姉さん、きれいですね」

「あら。ありがとう、嬉しいわ」


 謝罪に行く、とサロが言っていたので、エステルもお茶会に出るまではかしこまらなかったけれど、少しだけかっちりとした印象になるようなドレスを出してもらった。エステル自身の雰囲気がふんわりとしているものだから、どうしてもドレスや髪型などに頼らざるを得ないところがあるけれど、そこはアーシェがよく分かっている。

 普段ふわっとしたスカートを切ることが多いが、ストンと落ちる真っ直ぐなもので、シャープな印象を持つような形を選んでいる。朝日を弾く様な布の光沢は、装飾が少ない分より存在を示している。

 髪の毛もハーフアップだけど毛先は巻くことなくストレートで落としているので、微笑んでいるだけなのに貴族の令嬢であると誰もが分かるだろう。

 毎日のように見ているサロでも、一瞬言葉に詰まるくらいには、エステルの雰囲気がガラッと変わっていた。

 緊張しているサロだったが、エステルがふわりと浮かべる笑顔はいつもと変わらない。その顔を見て、ようやく肩から力が抜けた。


「ほら、これ。お詫びに行くんだろ?」

「あ、ありがとうございます」


 一応、用意してある服の中でも一番ではないけれど上位には入るだろう服を着てきたけれど、エステルの雰囲気の前では自分の服など霞んでしまう。

 お詫びといって厨房に用意してもらったパウンドケーキを渡したルクスが、視線を落としたサロの背中を叩く。バシッといい音を鳴らしたそこは、じんじんと痛みを伝えてきたが、同時にルクスなりにサロを気遣ったものだとも分かった。

 そう、分かるようになったのは、サロの周りを飛んでいる光からも応援の気持ちが伝わってきたからだ。


「サロも、とてもよく似合っているわ。さ、行きましょう」


 さらりと告げられた言葉に、まだ痛む背中に、力をもらったような気がしたサロは、ぐっと背筋を伸ばした。腕にずっしりと重みを伝えるパウンドケーキと、漂ってくるバターの香りの誘惑に負けないように、これからどう伝えようかと必死に頭のなかで言葉を巡らせながら。



「今日は予定じゃないけれど、お邪魔しますね」

「あれー? その子……」


 教室についてまず、教師たちに前回の謝罪と、子供たちにお詫びをしたいと説明をした。サロが無事に見つかったあと手紙ではやり取りをしたが、実際に本人を見るまでは不安だったのだろう。

 あの日、聖域への引率担当ではなかった教師までが、サロに無事でよかった、怪我していないかと労わるような言葉を向けてくれた。

 自分の、衝動的な行動でこれだけの人に迷惑をかけたこと、心配してくれたこと、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになったようだった。サロの瞳から溢れた涙はしばらく止まらず、ようやく教室に向かえるような落ち着きを取り戻したのは、もうお昼も近い時間になってからだった。


「こないだの子じゃん!」

「え、聖域の?」

「なんだよ脅かすなよ、先生真面目な顔で来るからー!」

「無事だったんだね。良かった!」


 たまたま、この間引率をした教師が持っている時間だったので、エステルがまず教室に入り、それからサロが続く。来る予定のないエステルとサロが来たことで、教室内にはざわめきが広がったが、最後に入ってきた教師の顔を見て、子供たちは安心したようだ。そこかしこからいろんな声が飛んでくる。


「え、っと」

「サロ、落ち着いて。ゆっくり話せば伝わるわ」


 サロを見て席を立った子供たちは、教師がすぐに落ち着かせた。元気な子が多いと事前に聞いていたし、聖域で見る限りでもはしゃいでいたから少しだけ心配していたが、教師が言う事には従える素直な子供たちばかりだ。

 ぽんぽんとサロの肩を叩いたエステルは、安心させるようににっこりと笑うと教室の端へと移動してしまう。ルクスはもちろんエステルの隣にいるので、子供たちの前に立つのはサロと、様子を見るように少し離れた場所にいる教師だけ。


「あの、この間は……お騒がせして、すみませんでした」


 もごもごと言いにくそうにしていたけれど、意を決したようにぐっと前を向いたサロは、それだけ言い切って思い切り頭を下げた。

 しん、と静まる教室で、真っ先に口を開いたのはサロの前に座っていた少年。


「そんな騒ぐようなこともなかったけどな。心配はしてたけど」

「……心配、してくれていたんですか?」

「そりゃそうだろ? 迷子になったんじゃないかってな!」


 疑うようなサロの視線を感じたからなのか、からかうように迷子、と強調した少年は笑っている。その声に感化されるように教室中で次々と声が上がっていく。けれど、サロを傷つけるような言葉を使う子は、一人もいなかった。


「なあ、何持ってるんだよ」

「あ、これはお詫びにってお菓子を」

「お貴族様のお菓子が来たぞーー!」

「うっわいい匂い!」

「ねえこれ食べていいの? もらっていいの?」


 バスケットには、作り置いてあったパウンドケーキを二本、詰めてきた。ちょうどしっとりしてきた頃合いだから、今日のお茶で食べようと考えていたものだったけれど、この喜びようを見ると持ってきてよかったと思える。


「どうして、貴族って」

「あ? んなの見りゃわかるだろ」


 お昼前だったのもあり、我慢が出来そうにない子供たちに、他の教室の子には内緒だといいながら一人ずつケーキを配っていく。さっきの歓声で何事だと思われているだろうが、エステルが来ていることできっと話題はごまかせるだろう。ルクスの見目は、相変わらず人気なのだから。

 その事は誇らしくもあるけれど、少しだけ胸にチクリとしたものが走ることは、エステルだけの秘密だ。


「そんな立派な服、普段から着てるのは貴族だけだからな。ま、ここにはスペアにもなれないやつはいるけど」

「スペアにも、か……」

「意外と気楽なもんだって」


 そう言いながらパウンドケーキを口にした少年が、おそらくスペアにもなれないという本人だろう。気まずそうな顔をしているサロに、少年は何も気にしていないというようにカラカラと笑った。


「良かったですね」

「ええ。皆さんがお話していてくださったおかげです」

「私たちも、無事な姿を見れて安心しました。……いい環境で、過ごされているのですね」


 サロの無事を知らせる手紙には、返事があった。子供たちも心配している、落ち着いたらいつでもいいので、顔を見せて欲しい、と。

 エステルはそれを知っていたからこそ、サロの申し出を即座に引き受けたのだ。連絡もなしに訪問しても、教師たちが驚きもしなかったのは訪問を待ち望んでいたから。

 サロの環境の変化は、おそらくこの王都に住む大人たちは知っている人がほとんどだろう。だからこそこぼれた教師の本音に、エステルはそっと頷いた。


「ひとり一切れだって言っただろ!?」

「だって、美味しかったんだもん」

「あ、こら。喧嘩はいけませんよ」


 人数分以上には切り分けてきたはずだったのに、二本あったはずのパウンドケーキは、あっという間になくなってしまった。僅かに残っていた分の取り合いが始まってしまったので、教師が慌てて仲裁へと入っていく。

 取り合いを始めた子たちが大人しく叱られている様子を見ていたエステルに、ポスッと小さな衝撃があった。それは、さっきまで子供たちの輪に入っていたはずのサロ。


「エステル義姉さん。付き添い、ありがとうございました」

「どういたしまして。良かったわね、サロ」

「はい。……大丈夫、でした!」


 恥ずかしそうに視線をあちこちへと彷徨わせながらも、その言葉だけは、はっきりとエステルを見つめて告げたサロ。ほんのりと頬を染めていたけれど、まっすぐに前を見る水色の瞳には、あの時のような不安など何一つ感じなかった。


「ええ、大丈夫だったわね。伝えてくれて、ありがとう」


 子供たちに名前を呼ばれたサロは、再び輪の中に戻っていく。その背中をぼんやりと見つめるエステルの涙を拭ったのは、優しい風をまとったルクスだった。



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