51.
集合場所に何もなかったような表情で戻ったエステルだったが、すでに集まっていた子供と引率の先生からは思い切り引きつった顔で迎えられた。
妖精王と談笑しながらこちらに歩いてくるエステルの姿を、ばっちり見られていたからだ。ルクスもいつものことだからあまり気にしていなかったけれど、エステルが聖域の案内を始めてから妖精王が姿を見せるなんて、ほとんどなかった事を思い出した。
「エステル様、そちらの方は」
結果として、エステルは引率の先生の震える声で指摘されるまで、子供たちにも妖精王の存在を紹介することを失念していた。
先生が勇気を振り絞っている様子が見えたので、この場は譲ろうと考えていたルクスの耳に、思っていたことと違う主の声が届く。
「あれ、そういえば妖精王はどうしてここまでついてきてくれたんですか」
「おぬしと言葉を交わすのが楽しくてな。ついつい足が伸びてしまったわ」
ルクスは、エステルのことが好きだ。それはずっと見守ってきたという自負から来る兄のような感情と、一人の女性として惹かれているという感情を同時に抱えている。だから今回、エステルが自分の考えていたことと全く違う答えを口にしたとしても、苛立つことはないし、何ならそう来たかと思うような気持ちの方が強い。普段だったらエステルがそこまで的外れな考えを持っていないことだって分かっているし、少しそれそうなら自分が軌道修正すればいいとも思っている。
ただし、勇気を振り絞って質問を口にした先生の様子を見ていなければ、だ。
さすがに少しばかりかわいそうだと浮かび上がって来た同情のまま、ルクスはフォローするように口を開いた。
「……この方が、俺たち妖精の王。あまり姿を見せることはないけど」
ルクスの言葉を聞いて、ちょっと俯いたエステルの顔はきっと赤くなっているだろう。今回は、妖精王が珍しくついてきたので、エステルもあまり余裕がなかったのかもしれない。
この様子だったらきっと、次に同じ事はしないだろうと思ったルクスは妖精王に向けていた呆れの感情を含んだ視線をすっと前に戻す。
エステルが先生の質問に見当違いな答えを返したことを、妖精王は気付いていながらそれに乗っかっていたのだから。
「我はこの聖域かやつのところにいる事が多いがなあ」
「あなたがやつ、と呼ぶのは人間の王の事でしょう。人は簡単に王には会えないんですよ」
「そうですね。わたしも、事前に連絡は必要ですし」
そもそも、事前に連絡すれば会えるという状況ですら滅多にないのだが。ここは黙っている方が懸命だと判断した先生は口を噤むことで答えとしたが、子供たちには後ほどきちんと説明をしなければならないだろう。
貴族の子供たちも通っているとはいえ、伯爵家よりも家格は下の子たちばかりだ。今のうちに階級について学んでいくことは、決して不利にはならない。
帰ったらすぐに次の授業内容を改めよう、そう自分の頭の中で計画を立て直した先生は、白銀の髪を風に遊ばせている妖精王に向かって、深く腰を折った。
「ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございません。大切な聖域にお招きいただいています事、大変ありがたく思っております」
「ああ、良い良い。そのように固くなるな。我も、妖精と人の子が交流を持つようになったことは喜ばしく思っておる。このように、新たな縁も結ばれよう」
つい、とその細い指が示す先にいるのは、教室の子供。少しばかり他の子と距離を置いている様子だったから、教室の先生全員で気にかけてはいたが、特に問題を起こすようでもなかったから静かなところが好みなのだろうと思っていた子供だった。
「あ、お前ついてきちゃったの?」
「えー? サロ、妖精と仲良くなったの! いつの間に」
「なんだよ興味なさそうにしてたくせに!」
「ねえ、どうやって仲良くなったの?」
ところが、今の様子はどうだろう。いつも距離を感じていたのは、もしかしたら自分だけだったのかもしれない。
水色の瞳が寂しそうに見えていた少年は、同じ教室の子供たちに文字通りもみくちゃにされている。怒ったり声を荒げたりせずに慌てている様子を見せているのは、少年がそのような状況に慣れていない事を現しているのだろう。
そんな様子を、微笑ましく見守っていたのは先生だけではなかった。
「良かったわ」
「エステル?」
泉からここまで、エステルとルクスについてくるだけだった少年は、自分から何かを話そうとはしなかった。エステルがかけた声にも返ってくるのは一言二言だけ。
教室での子供たちの様子をエステルは知らないから、いつものことなのかをこっそりと妖精に聞いてしまったほどだ。
「あの子には、声をかけてくれるお友達がいるのね」
子供たちの様子を見守りながらも、表情を曇らせたエステルに、ふわりと温もりが触れる。
「ルクス、もうくすぐったいわ」
後ろから手を回して来たルクスの頭が、ちょうどエステルの顔の位置に当たるので髪の毛が触れる。そのまま頭をぐりぐりとエステルに押し付けて来るので冗談ではなく本当にくすぐったい。
「エステルには、俺がいるよ。これからも、ずっといる」
「うん、ありがとう」
ぎゅっと温もりを確かめたエステルは、しばらくそのまま子供たちの様子を見守っていた。
「そうか、妖精たちも新たな道を歩き始めているのか」
その日の夜、いつもよりも早く帰って来たエステルは、同じように早く帰って来た父と夕食をともにしながら聖域での出来事を話していた。
今までも妖精たちが子供に興味を持って姿を見せることは度々あったが、一緒についていくような選択をしたことはなかったはずだ。
エステルの発案から始まった妖精の聖域の案内は、妖精と人間の交流という意味ではきっと新たな道を開拓したのだろう。
「結局、あの子はついていったのよね?」
「そうみたい。しばらくは気にかけておくけど、あいつもそれなりに長く生きてるから大丈夫だと思うよ」
聖域でぎゅっと抱き着いてきたのは何だったのだろうと思うくらいに、いつも通りの様子を見せるルクスは、エステルの問いかけにも普通の顔をして答える。
あの時の温もりを思い出して赤面しているのは自分だけではないか、とエステルは視線を落としかけたが、しょんぼりするのは食事が終わってからにしようと緩く頭を振って考えを追いやった。
せっかくゼストが温かなパイを焼いてくれたのだから、美味しいうちに食べなくては。
「あの男の子も最後は笑顔だったから、きっと大丈夫よね」
「妖精だろうと人間だろうと、相手を想う気持ちがあれば上手くいくってね」
ナイフを入れた断面からサクッと軽やかな音が鳴る。塩気の効いたベーコンとほうれん草は、バターの薫るパイ生地と一緒に口に運ぶとちょうどいい塩加減になるのだ。エステルも、ルクスもこのパイを気に入っている。肉類よりも野菜を好むルクスの方にはあまりベーコンが入っていないのは、ゼストの気配りだ。
「そうか、そうであれば良いな」
「お父様、どうかしましたか?」
「なんか、モヤモヤしたの抱え込んでるだろ。エステルが心配してるの、分かってる?」
美味しそうにパイを口に運んでいたエステルの動きが止まる。音を立てないように静かにカトラリーを置いて、父の顔を伺っているエステルには、心配の色がありありと浮かんでいた。
温かいものを温かいうちに食べるのは幸せなのだと学んだルクスは、さっさと言えとばかりにイルハルドを促す。
「ルクス様、もっと言ってやってくださいませ」
「ちょっとハンスまで? お父様、わたしでよければお聞かせ願えませんか」
いつもならその様子を窘めようとするハンスが、ルクスの援護に回ったことにエステルは驚いた。それは、イルハルドにとっても予想外だったのだろう。一瞬だけ呆けたような表情を見せたことに、エステルはまた驚いた。
今までの父の姿から、そんな表情は想像もできなかったのだから。けれど、そんな表情を見せてくれるようになったとは、少しだけ嬉しく思った。
ゴホン、とわざとらしく咳払いをしたイルハルドから告げられたのは、考えていたけれど現実になるのはまだ先だろう。そうエステルが判断していた事だった。
「この家に養子を迎えたい。そう言ったらエステルはどうする?」




