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50.

 少し気分を変えようと席を立ったダリルは、自身の眉間を揉み解しているイルハルドの姿を捉えた。そこまで頭を抱えるような案件ではなかったと思ったが、自分が見落としていては困ると思い、そっと近づいていく。


「どうしたイルハルド、お前が溜め息など久しぶりだな」

「宰相、申し訳ありません」


 そうして近づいて行ったら聞こえてきたのは、珍しく大きく息を吐きだしている音。病が流行していた時にはそこかしこから響いていたが、ここしばらくはそう聞くことはなかった音だ。

 なにより、普段のイルハルドだったらダリルが席を立ったことに気付かないはずがないのに、今日は机の隣に立ってみても気付いている素振りはない。

 ダリルの声でハッとしたように一瞬動きを止めたイルハルドは、直後すぐに姿勢を正して謝罪をした。


「そうやって切り替えができるのはお前のいいところでもあるがな。今は休憩中だ」


 ダリルの声で、部屋にいた誰もが凝り固まった体を解すように伸びを始める。そのなかでも一際早く動いたのはウィンだ。下働きとして王城のあちらこちらに書類を届けていたが、最近では宰相の補佐として動き回ることの方が多く、この部屋がもはや定位置となりつつある。

 本人がどこかの部署で落ち着いて仕事をするのも悪くないかと思い始めたタイミングと、そのさりげない気遣いの心地良さに気付いてしまったダリルの思惑が一致したからだったが、結果としてウィンは自分が考えていた以上の待遇で迎えられた。

 そのひとつである、イルハルドからの差し入れをささっと部署全体に配り回り、自分もイルハルドの隣の机で一息ついた。話に混ざる気満々である。


「イルハルド様から頂いた軽食、お持ちしましたよ。エステル様、今日は何を作ったんです?」

「ウィン、まさかとは思うがつまみ食いなどしていないだろうな?」

「してないですよ。切り分けた時の端っこちょっと味見はさせてもらいましたけど」


 あっけらかんと答えたウィンに、ちらりと手に持っている皿を確認してから問いかけたダリル。自分が渡された皿とウィンの手にある皿を見比べると、確かに自分の方が綺麗な断面を見せているし、サイズも少し大きめに切り分けてある。

 イルハルドからの差し入れだとはいえ、王城で食べる以上毒見は必須だ。ウィンだって分かっているからこそ、この執務室全体に聞こえるくらい大声でつまみ食いをしたのだと公言したのだろうし。

 分かってはいても、平常と何ら変わらない様子のウィンに少しばかり頭を抱えたくなるのは、また別の感情である。


「それは、つまみ食いと言うのだが。まあいい。どうだった」

「美味しかったんですけど、ちょっと見た目と味が一致しなくて。これはぜひともイルハルド様にご意見をちょうだいしたいと思いお持ちした次第です!」


 流れるように差し出された皿を反射のように受け取ったイルハルドは、今朝、焼き立てだと渡して来たエステルの姿を思い出した。

 一応味見を、と出された皿に乗っていたのは、黄色の生地に鮮やかなオレンジの生地が混ざりあったパウンドケーキ。しっとりとした生地に見え隠れしていた赤い粒は、パプリカだと教えてもらった。オレンジの生地には、すり下ろした人参を混ぜたそうだ。ケーキなのに甘くないが、これはこれで美味しいと伝えたイルハルドに、エステルは表情を綻ばせていた。

 確かに見た目で判断したら、ウィンのように味と一致しないという感想を抱くだろう。そう思ったイルハルドだったが、ケーキの正解は告げず、渡してきたときのエステルの様子を口にした。

 休憩中なのだから、頭を使わない気楽な会話の方がこの場には合うだろうと判断して。


「妖精王の好みが分かってきたと、ゼストと盛り上がっていたぞ。輪に入れないルクス様が少しだけ寂しそうだったな」

「あー、あの顔で寂しそうなんて絶対狙ってますって。エステル様、分かってやってるならすごいな」


 ぱくり、とケーキを頬張ったウィンはどこかで食べたことがあるのだと悩み始めた。答えを教えてやるべきかと考えたイルハルドは、ウィンの何気ない発言でさっきまでとは別で頭を抱える羽目になる。


「……お互いに、その辺りはまだ早いと思うが」

「そんな事言って、イルハルド様は甘いですよ。同じ邸で暮らしてるんですから、その気になればあっという間に関係進みますって」

「そういうもの、なのか……」


 確かに、邸ではルクスはエステルとほとんど離れて過ごすことはない。愛し子だったクレアにも妖精たちは当たり前のように傍にいたから、そんなものかと思っていたイルハルドは、当然のようにエステルの部屋の隣にルクスの部屋を用意した。

 なにより、あんな状況でずっと傍にいてくれた存在なのだから、離れはしないだろうとも。けれど、そこに主従以上の感情があるというのなら、父としては複雑だ。


「ほら、ウィン。その辺りにしろ。イルハルドの溜め息は違う理由なのだろう?」

「まあ、エステルに関係しているから、全く違うとは言い切れないがな」

「エステル嬢がどうかしたのか」


 妻のヴィオラは定期的にエステルと魔法の勉強をしているが、何か特別変わったことがあるとは聞いていない。自分たちの子供はすでに独立しているからこそ、ヴィオラがエステルのことを可愛がっていることも知っている。だからこそ、エステルの普段の言動で気になることがあれば、確実に自分とは共有されているはずだ。

 ダリルの目線に促されたイルハルドは、自分の胸の内にあるモヤモヤとした考えを乗せたかのような長い息を吐いた。


「皆のおかげで、エステルは爵位を賜っただろう。あれから、ずっと考えていたんだ。妖精の主となり、妖精王とも新たな関係を築いているエステルを、果たしてこのまま家に留めていいのかと」

「だが、家の存続はエステル嬢が望んでいたではないか」

「ああ、そうだ。だからこそエステルはあの環境でも必死に生きていてくれた。だが、今は状況が違う」


 妖精が関わっていたとはいえ、エステルが離れに追いやられていたのは自分の不甲斐なさもあっただろう。家の存続をエステル自身が望んでくれていたからこそ、そんな状況でも離れにいる事を選択していたはずだ。


「自ら立てるだけの地位を得た今、私の手元だけでずっと娘を愛でていていいのかと考えてしまってな」


 爵位と人脈はあるうえに、後見人として妖精王がついた。遅れていた貴族としての作法だって十分に身につけたのだ。社交界をそれなりに渡り歩けるようになったエステルは、今でも家の存続を望んでいるのだろうか。

 イルハルドはここしばらく、ずっとこの事で頭を悩ませている。けれど、エステル本人にはそれを聞けずにいた。聞いてしまえば、それが答えだと言われてしまうのが怖いのだ。

 あれほど蔑ろにしていた時間を、後悔という言葉では簡単すぎるほどに悔いているイルハルドは、エステルが笑ってくれている今を壊すことが、恐ろしい。


「エステル嬢が独立するとなると、フォルカー家の跡継ぎがいなくなってしまうな」

「クレアの筋はもともと少なく、私の筋も先の件であまり頼りたくはない。あれも、一応善意だったのだろうとは分かっているのだが」

「ああ、侍女長ですね。あれだけ引っかき回されたんだったら当然だと思いますけど」


 エステルが家の存続を望んだなら、まず選択肢に上るのは入り婿だ。エステルが爵位を持っているとはいえ、女性が活躍する場は少ない。とはいえ、エステルには妖精王の後見も、妖精の主としての肩書もあるので、他の女性貴族とは一概に比べられないが。

 そのうえでエステルを当主として支えてくれる男性を見つけるのは、なかなかに難しい。侍女長を任せたカーラがあのような事件を起こしたからこそ、親戚筋に頼ろうという気持ちが起きないのも一因だ。


「親戚筋を頼らないとなると、選ぶのが難しくなるな。養子を取る方向では進めるのだろう?」

「そのつもりだ。だが、伯爵家の跡取りとしての勉強をさせねばならないとなると、どのように選ぶべきか決まらなくてな」


 エステルに聞いてはいないが、イルハルドはまだ婿を、とは考えていない。だからこそ、養子という選択肢になるのだが、こちらの求める多くの項目をクリアできる人物などそういないのが現実だ。


「それなら、いっそ公にしてしまえばいいのでは?」


 何の気もなしに告げたウィンに、イルハルドとダリルの目が向けられた。その視線が鋭かったのか、少しばかりビクッと肩を震わせたウィンだったけれど、思いついたことを忘れる前に、と言葉を続けた。


「ほら、城の下働きのように募集をかけるんですよ。そうしたら、まあ、野心持っている奴も来るでしょうけど、勉強することもそれなりに(ふるい)にかけられる事も分かったうえで集まるでしょうし」


 伯爵家、しかも二代続けて妖精との縁を持った家だ。自分の力を誇示したい者から見たら格好の標的だろう。だが、貴族としてやっていく以上、ある程度の腹黒さも必要だ。素直なだけでは、相手の考えを読み切れずに自分が被害を被る場合だってあるのだから。


「ウィンの意見も一理あるな。伯爵家以下の家を継げない者も集まるだろう。家同士の繋がりを強くするという意味でも、悪くはないのではないか。前例は、ないだろうがな」


 宰相として国の中枢に長く関わっているダリルでさえ、そのような話を聞いたことがない。書庫を調べれば前例はあるかもしれないが、今のところは初めての試みとなるだろう。

 親を亡くした子を引き取ることは普通にあるし手続きだって簡単に済むけれど、今回は貴族、しかも伯爵家の跡取りとして養子を迎えることになるのだ。ここだけの話で済ませていいはずもない。


「後ほど、陛下にご相談してみよう。あの方だったら面白がって許可してくれそうだがな」

「私も同席させてほしい」

「もちろんだ」


 むしろ、どうして城にいるのに同席しないという発想になるのか。恐らくその場で許可自体は下りるだろうから、あとは細かい項目をどのように詰めていくのかなどという話になるだろう。

 宰相としてもこの国が良くなるような案件は歓迎だ、と考えていたダリルの脳裏に、ふとした疑問がよぎる。


「ところでイルハルド様。この話、エステル様と妖精様には?」

「していない」


 口が早かったのはウィンだったが、ダリルも同じ事を聞こうと思っていた。ケーキを食べきり、喉を潤そうと思ったダリルは、イルハルドの答えを聞いて紅茶にかけようとした手を止めた。


「……今からでも遅くないと思いますから、今日帰ったらすぐに話してください」

「そうだな。今回は、エステル嬢も当事者だ。お前ひとりで話を進めたりするなよ」

「今日、帰ったら相談することにする。ありがとう、二人とも」


 いろんなものを飲み込んだように渋い顔をするウィンに、ダリルは力強く頷いた。ウィンが答えていなかったら、きっと自分はイルハルドに声を荒げていただろう。思いとどまれた事を感謝しようと、ダリルはウィンに視線を向けた。

 その動きだけで何かを察したかのように目を細めて頷いたウィンを見て、ダリルはこれからのことにも巻き込もうと心に決めた。

 そんなやり取りなど気付くことなく頭を下げたイルハルドに、二人はそれは長い溜め息を吐いた。



いつもお読みいただきありがとうございます。


演奏会が近づいてきましたので、これより三月上旬までの間、速度を落としての更新となります。

話の腰を折ってしまう報告で申し訳ありませんが、どうぞご了承くださいませ。


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