44.
エステルの返事を遮るような歓声は、思わず肩を竦めてしまうほどの勢いがあった。
「まさか、ここまで妖精王が人目を集めるとはなあ」
「その、わたしも少し、いえかなり驚いています……」
「エステル、大丈夫だったか?」
会場の視線を一身に集めている妖精王は、そんなもの気にも留めていない様子でエステルに近づいてきた。わざわざ金に光る羽を出しているのは、存在を主張するだけではない。
誰からも妖精王であると疑われるような事がないように、初めからその羽も魔力も示しているのだ。この状況で、妖精王を目の前にして、偽物だと言えるような強者がいるのならばぜひともお目にかかってみたいと思っていた国王だったが、どうやらそんな妄言を吐ける胆の座った人物はいないようだ。
「我の姿を見たことある者もおるだろう。少し前、城に立ったことがある」
事前に、妖精王が後見につくと発表すると聞いていたエステルでさえ、この状況に圧倒されているのだから、何の心構えもなく場にいた人達の驚きは比べるまでもないだろう。
聖域で出会った時から妖精王を見慣れているのに、参加者たちので立っている姿は、凛とした空気を纏っているようで、別人のようだ。
張り上げているわけでもないのに、少し低めの声は、静かなホールに良く通る。
「此度、我は正式にこの妖精の主の後見となった。抱く感情はそれぞれだろう。なにせ、前の愛し子の娘だからな」
妖精たちの力も借りて魔法を使っているこの国で、妖精の愛し子となるのはとても名誉なことだ。自分の好きに振る舞う妖精が、大切に扱う存在は妖精王を除けば唯一。
妖精の主となることだって一目置かれる存在となることは間違いない。今まであまり選ばれることはなかったのに、話を聞いたと思えば主はまだ成人したばかりの小娘。
エステルが主となったのは、愛し子の娘だからではないか。そう言われていたことを、妖精王は分かっていた。だからこそ、血縁関係だからエステルを主と定めたわけではないとこの場でしっかりと伝えて欲しい。ルクスから頼まれてもいたが、妖精王も話そうと決めていた。
「魔法を嗜む者もおるだろう。だからこそ、改めて知って欲しい。我ら、妖精という種族の事を」
そこからは、もう皆パーティーだというのを忘れたように真剣な表情を向けている。今日この場にいるのは、王城に勤めている人達と、一定の位を持つ貴族子息子女がほとんど。魔法を使える人達が多いからこそ、妖精の存在を知ってはいるし、勉強もしている。
けれど、実際に妖精の姿を見て言葉を交わせるような人は、いない。だからこそ、エステルのように妖精の主となるにはどうしたらいいのか、妖精王の話から少しでもヒントを得ようと思っている人も多いのだろう。
「この場には、妖精がたくさん集っている。中には、こやつのように主を求めている者もおろう。そやつらに、主たり得る資質を見せるのも、良き隣人として過ごしていくのも自由だ。我らは、人間の素直な感情を好ましく思う」
エステルと、その隣を定位置としているルクス。二人の姿を見つめる妖精王の瞳は優しく細められている。この二人の様子を一度でも見たことがあれば、エステルが妖精の主となったのは血縁による贔屓があるのだと言われても多少は仕方ないかと思える部分もある。
それくらいに、ルクスはエステルのことを大切にしている。今までエステルは他人から大切にされてきた経験が少ないから、当たり前のように受け入れているけれど、妖精王や国王が見るルクスの接し方は、過保護という言葉がぴったりだ。
自分の気持ちを自覚したエステルが、ルクスの行動に一喜一憂するようになってきたけれど、いい傾向だろう。
「さて、爵位を授けるのであったな。邪魔をしたが、続けてくれ」
「こうなると思っていましたので、エステル嬢が最後ですよ」
前に段取りは聞いていたけれど、自分の話が進行を滞らせているだろうと思った妖精王は、国王に場所を譲る。ところが、当の国王から返されたのは進みを止めたわけではないという苦笑いだった。
「なんだ。それならそう言わんか。ほんにお主は気が利かぬ」
「それは申し訳ない。妖精王が自ら語られるなど思っていなかったもので」
「心にもないことを」
「いえいえ。これでも誠心誠意努めておりますよ。控室に、のどを潤すための果実酒を用意させていますが、これもいらぬ気遣いでしたかねえ」
「その言い方といい、表情といい、あやつにそっくりだ」
ぽんぽんと軽快な会話を聞いていたエステルはまた始まった、としか思っていなかったが、会場にいる人はそうとは思えなかったようだ。
なにせ、国王と会話を交わすような事すら一生に一度あるかないか、という立場の人だっている。それがいきなりパーティーで姿を見たばかりか、妖精王も共に現れた。
感激して目に涙をためていた人だっていたのに、国王と妖精王の気の置けない間柄を知らしめるような会話を目の当たりにしたのだ。涙はきっと引っ込んでしまっただろう。
「褒め言葉として受け取りますよ。
さて、夜は長い。ここからは各人、自由に過ごされよ」
ひとつ咳払いをして、短いながらそう告げた国王の声には、さっきまでの親しみやすさはなかった。けれど、今日のこの場を機会に、国王を見る目が変わった人は多いはずだ。
エステルとしては、国王が意外と親しみやすい人柄だと分かったのは良いことだろうと思っているのだが、他の人はどうなのだろうか。
邸に帰ったら父親に聞いてみようと考えていたエステルは、ルクスに腕を取られたことで意識をそちらに向ける。
「ルクス?」
「……ちょっと、外行かない?」
不安そうに瞳を揺らしているルクスを見て、エステルはひとつ頷いた。そんな顔をしなくても、ルクスからの頼みだったら断りはしないのに。そう思ったけれど、声を出す代わりにルクスの手をぎゅっと握った。
いつの間にか、星の光が良く見えるくらいに外は暗くなっていた。妖精王がいるからか、周りにも妖精たちが集まっていてまるで金色の雪が降っているような光景に、思わずため息が漏れる。
エステルの吐息を勘違いしたのか、ルクスが握ったままの手に力を込める。絡めた指を取られて、ゆっくりと撫でられているのが少しだけくすぐったい。
「エステルは、他の妖精も見えるだろ。だから、俺少し不安だったんだ。いつか自分よりももっと頼れる妖精の事を選ぶんじゃないかって」
ふわりとルクスの指先に降りてきたのは、仲間の妖精だろう。少しだけ表情を緩めたルクスが、空に放すような動きをしたのに合わせて、その光は周りの金色に溶けていく。
確かに、エステルはルクスの言うように妖精の姿が見えている。けれど、意識しないと人と同じ姿は見えないし、ルクスのように自分と同じサイズに見えることはほとんどない。
エステルは、いつか家を出る。その時に困らないための爵位を得たし、後見として妖精王がついたなら恩恵は最上級だろう。それだって、いつかの時にルクスを手放すような事にならないように、と妖精王が考えてくれたからだ。
単純に、妖精王が楽しそうだからと思っていそうとも考えたこともあったけれど。
「ずっと見守って来たのは俺だから。だから主と定めたんだけど……迷惑だった?」
「そんなの、考えた事なかった。わたしは、ルクスがいてくれて助かっているし、隣にいて欲しいと思っているわ」
気持ちを自覚した今、この手を取っているのが自分で嬉しい。自分だけであってほしい。これから先もずっと。
いつか、生きることを諦めようとしたのに、こんなに独占欲を持って先を望んでいるなんてあの頃の自分に教えてあげたい。
好きだと思える存在の手を握りしめながら、幸せをかみしめたエステルはとても嬉しそうに笑った。