41.
「わたしに、爵位……」
「ああ。国王陛下から内密に話を頂いた。詳しい話は直接したいと仰せだったが、都合は空けられるか」
夕食の席で突然父から告げられた内容に、思わずフォークを落としかけたエステルは、寸でのところで手に力を込めた。
自分の手元にフォークが残っているのを見てほっと息を吐いてから、父に返事をしなければと慌てて顔を上げる。
「もちろんです! わたしの都合などないようなものですし、陛下の良いようになさってくださって構いません」
「では、明日そのように伝えよう。ありがとう、エステル」
顔を上げた勢いのままに答えたエステルに、イルハルドは優しく微笑んだ。娘であるエステルが、妖精たちの聖域や魔法の勉強などで忙しくしているのを知っていながらの提案には、申し訳ないという気持ちがあったからだ。
「ルクス様も、同席して欲しいとのことですので。明日、よろしくお願いいたします」
そのままイルハルドは、エステルの隣に座って独特な香りのするお茶を楽しんでいるルクスに向き合った。
レニーナのお茶会に出向いた際、ハーブティーを気に入っている様子だったとはエステルから話を聞いていたし、厨房にいる時間が増えたのだとも聞いた。今では、紅茶のブレンドを楽しむまでになったのだとゼストから聞いた時は何の冗談かと思っていたイルハルドだったが、この姿を見ればそれが本気であったと認めるしかなさそうだ。
食事の席なので、頭の代わりに目線を下げたイルハルドに気づいたルクスが、カチャリと音を立ててカップを置いた。
「エステルが行くなら俺は別にいいけど、それっていつものように妖精王が呼びに来る感じ……じゃないね」
「その通りです。王家には、エステル自らが王城に向かう姿を見せなければなりません。難癖をつけようとする輩はまだいますから」
チェンダー伯爵家のお茶会が発端となったラージル伯爵家の降格に、エステルが関わっていると知っている者は多い。ある程度の説明はすでに発表されたが、表面上は受け入れていようとも、実際に恨みを持っていないとは限らない。行動を起こしそうな人物はダリルを始め、イルハルド達宰相補佐でも目を光らせているが、一人ひとり潰していくのはなかなかに骨の折れる作業だ。
そんな目を逃れた人物が、エステルの登城というタイミングを狙っていても不思議ではない。
「ん、分かった。ぶっ飛ばさないように気をつける」
「エステル」
「もちろん、分かっています。ルクスに手は出させません!」
「いや、そうなんだがエステル、どうにも意味を取り違えていないか……」
注意を促そうとしたイルハルドの声は、デザートを楽しみ始めたエステルとルクスには、届かなかった。
「エステル様、聞きましたよ。ドレスが必要になりますわね?」
翌日、エステルはルクスと共にヴィオラを訪ねていた。いつものように魔法の勉強のためだったのだが、今日はいつもよりもにこやかな笑顔で迎えられたのだが、理由はすぐに分かった。
「わたしも昨日聞いた話なのですが、ヴィオラ様の耳はとても早いのですね」
「ふふ。わたくしの夫はエステル様の父の上司ですわよ?」
「そうでした。では、遠慮なく相談させていただきますね」
「わたくしもそのつもりでおりますわ。さあ、まずはレニーナからリーズが届いております」
この邸でヴィオラの夫であるダリルを見ることはほとんどないため、頭の片隅に追いやられていた知識を引っ張り出したエステルは苦笑いを浮かべた。けれど、今の状況ではヴィオラがその事を知っていてくれることはとても頼りになるので、そこは素直な気持ちを口にする。
ダリルもエステルが邸で妻のヴィオラとの魔法の勉強をする日を把握しているからこそ、先に話をしてくれていたのだろう。エステルは、国王陛下から日取りの確認をされただけで、それ以上の詳しい話をまだ聞いていない。説明する手間が省けたうえに、相談する相手も見つかったのだから、エステルにとって悪いことではない。
「ルクス、お願いね」
魔法の勉強をする部屋には、いつものように本が高々と積みあがってはいない。代わりにあるのは、鮮やかな赤を誇るように咲いている、リーズの花。
エステルもルクスも慣れた手つきでその花を取り、花弁をめくって裏のまだら模様を確認している。
ここにある花は、すでにヴィオラが確認した後だとは分かっているが、万が一があってはいけないという事でエステルとルクスが改めて見るようにしている。
「うん、魔力量はかなり落ちてる。これだったら酷い症状は起こさないんじゃないかな」
「領民たちの体調も報告を受けていますが、あれから中毒を起こす者はほとんど出ていない、と聞いております」
「そうですか。良かった。ヴィオラ様のおかげですね」
リーズは、どんどんと根っこを伸ばして周りの植物の成長を妨げていただけでなく、魔力も自分がより多く集められるように花弁を大きく広げていたそうだ。それは、リーズの栽培箇所を狭めていた妖精たちから話を聞いて分かった事だ。
「あら、わたくしは少しお手伝いをしただけですわ。あとは、チェンダー伯爵家が努力した成果です」
ルクスを通してその話を聞いたヴィオラの行動は早かった。魔法の事を学ぶために留学までしていたヴィオラは、あっという間に魔力を抑えるための道具を作り出し、いち早くレニーナにその扱い方を教えていた。
融資と称して連れてこられた人手には、魔力がなく魔法を使えない人の方が多かった。これも、中毒者を増やした原因のひとつだったそうだ。
そうして、ヴィオラの道具を使ったチェンダー伯爵家の領民たちが育てたリーズは、今この場に届けられている。
「だけど、あんたの研究がなかったらその努力さえできなかった。そうだろ?」
「エステル様に続いてルクス様からも褒められるなんて。今日はとても良い日になりましたわ」
「ヴィオラ様の教えを必要としなくなるのは、まだ先ね」
「そう悠長なことも言っていられませんわね、エステル様?」
扇で口元を隠し上品に笑うヴィオラは、エステルの呟きを聞き逃さなかった。リーズの確認は、これから紙やインクに加工するために必要な作業だが、今のエステルにはそれよりも迫っている問題がある。
「そ、その通りですね……」
「さて、では本日はドレスのデザインと、それから小物についてもいろいろ詰めていきましょうか」
「よろしくお願いいたします」
カーラが呼んでいたデザイナーは、父から邸への出入りを禁止されていて、エステルには服飾系の伝手はない。あまり社交界に出る機会はなく、聖域に向かうときには汚れてもいい簡素なドレスばかりを着ていたので、しっかりと装飾が施されたものを、エステルはほとんど持っていない。
必要な時には自分の肩書を主張するように、妖精王から贈られた白銀のドレスを着ていたので、機会がなかったとも言えるのだが。
「それじゃあ、俺は庭にでも……」
「行かせませんわ」
「ヴィオラ様?」
にこにこと笑顔なのに、ヴィオラの手はがっしりとルクスを掴んだ。どこにそんな力があるのだろうと思わせるくらい細腕なのに、なぜか振り払えない。
話をするのは自分だけだと思っていたエステルは、きょとんとした顔でヴィオラの行動を見ている。
「エステル様と並ぶのでしょう? でしたら、ルクス様にもお召し物を新調していただかなければ」
ビクンと肩を竦ませたルクスは、そのままヴィオラに引きずられるようにして応接室に入っていった。
助けを求められているのはルクスの視線で分かったが、エステルはその手段を持ちえない。せめて一緒にいて、自分がある程度の話を進めて行こう。そう思いながらエステルも応接室に入った。
「それでルクスはくたびれておるのか」
くつくつと笑っているのは、妖精王。今日は予定がびっしりと埋まったな、とぼんやり思いながらも、エステルはその来訪を拒まない。恐らく、昨夜父から伝えられた事についての話があるのだろうと想像もついた。
「王も体験してみたらいいんです。俺、エステルのことすごいって、改めて思った……」
「ありがとう、ルクス」
ぐったりとベッドで突っ伏しているルクスは、エステルのお礼にひらひらと手を振るだけで応えた。
「ふむ。我に物申せるとは思わぬが」
「いいえ、あれは王でも関係なく言いますよ」
「え、っと……おそらく、ルクスの言う通りかと」
「ははは! なれば一度味わってみたいものよのう」
妖精をここまで疲れさせたのは、ヴィオラとエステルの意見の応酬だ。
エステルが妖精の主となっていることを存分に示すために、ルクスの色を取り入れるべきだというヴィオラと、出来るだけルクスには似合っているものを選びたいエステルの意見は、それはもう白熱した。
パッと聞いただけでは惚気のように聞こえるエステルの言葉から、必要な単語を抜き取ってより良い物へと提案していくヴィオラの舌戦は、日没となったことでいったんお開きとなった。
そこまで意見を交わしておいて、結局ほとんど何も決まらなかったことは、妖精王に伝えなくてもいいだろう。
「して、エステルよ。返事はいかがする」
ついっと細められた妖精王の金瞳が、エステルを捉えた。声の変化を感じ取ったルクスは、ゆっくり体勢を変える。
「わたしのような小娘が、よろしいのでしょうか」
「エステルよ。そのように自身を卑下するのはよろしくない」
「王の言う通りだよ、エステル」
静かに諭すような妖精王の言葉を聞きながら、エステルはまるで体に染み込んでいくようだと感じていた。エステルが受け取った言葉はじわり、じわりと温かく存在を示している。
「ぬしは、我らが認めたのだ。小娘だろうと老父だろうと、等しく価値はある。ぬしが自分を認められぬというのなら、その輝きを見初めた我らをも、認めぬこととなる」
「そう、ですね。わたしは、自分が否定される時間が長かったけれど、今はそうじゃないんですものね」
これだけ周りの環境が変わっても、エステルはまだ、離れにいた時の気持ちを全て上書きできたわけではない。頭ごなしにエステルのことを否定してくる人も、顔を見るたび罵声を浴びせてくる人も、もういない。
周りの人達の優しさを素直に受け取れないのは、エステルに根付いてしまった恐怖からだ。けれど、それを取り払ってくれたのは、エステルのことを優しく見守ってくれている人達。
「ありがとうございます。妖精王、ルクス。申し出、ありがたく受けさせていただきます」
「うむ。その言葉、今の気持ち。忘れるでないぞ」




