40.
「まあまあエステル様に妖精様! よくいらっしゃったわ!」
エステルとルクスが、ヴィオラと共に再びレニーナの邸に招かれたのは、騒動からしばらく経ってから。
お互いがそれぞれで事情を説明するため王城に呼び出されてはいたものの、顔を合わせる機会はなかった。レニーナの状況を見たエステルが肩入れすることを可能性として考えられてのことだろう、と皆は解釈したが、実際はそうではない。
妖精王が、エステルを呼びに来るのだ。もちろんエステルに断る理由はないので、頷いたとたんに連れられたのは国王の私室。初めは当然驚いたし、妖精王に恐れ多いと伝え続けているのだが、国王がそれを面白そうに笑って受け入れてしまったことも大きいのだろう。結果として未だ改善はされていない。
ルクスが妖精王と話をしてきた、と胸を張って戻って来た時には全力で褒めたのに、身支度する時間を与えられただけだったので、もはや自分がこの状況に慣れるしかないのか、と最近のエステルは答えの出ない問いを延々と頭のなかで繰り広げている。
「レニーナ、エステル様が驚いているわよ?」
「いやだわヴィオラったら。説明しておいてくれなかったの?」
エステルが到着するなり抱きしめてきたレニーナに、エステルが慌てたように両手を彷徨わせている。どうしていいのか分からないというのが、誰の目から見ても明らかなエステルに、小さな笑いをこらえながら、ヴィオラが助け舟を出した。
ようやくレニーナがエステルを解放したが、いつもだったらすぐに助けに行きそうなルクスが何の行動もしていない事に疑問を持ったヴィオラが、ちらりと目線を向ける。
ルクスはヴィオラの予想に反し、体を硬直させてまじまじとレニーナを見つめていた。
「……エステル様、ルクス様。あまりの変わりように驚かれるのも無理はないと思っていますわ。
けれど、これがいつものレニーナです。だいぶ、印象が変わるでしょうけれども」
「え、ええ。前にお会いした時よりも健康的です」
枯れた牧草のような印象だった若草色の髪は、芽吹き始めた新芽のような鮮やかさを取り戻し、疲れが見えていた茶色の瞳にもはつらつとした光が宿っている。
そしてエステルが言葉を詰まらせ、ルクスが硬直した一番の要因はその恰幅の良さだ。前のお茶会で主催として挨拶をした時よりも一回りほど、シルエットが大きくなっている。
「エステル……」
「何かしらルクス」
助けを求めるようなルクスのか細い声を、エステルはばっさりと遮った。言いたいことは分かる。が、この場でなくともその説明を求めるのはマナー以前に犯してはならない事だ。
少し前、体型のことで陰口を囁かれていた時の気持ちを、エステルは忘れていない。
「なんでもありません」
エステルの笑顔に何かを感じ取ったのか、ルクスがそれ以上何かを言う事はなかった。ただ、この辺りの機敏は人によって感じ方も捉え方も違って来るので、自宅に戻ったらルクスに説明しよう、とエステルは決めた。
「あの頃は食事を取る余裕すらなかったのね。今だからこそ、よく分かるわ」
自分の手を見つめながら、ぽつりとこぼした言葉からは、それだけあの時レニーナが追い詰められていたのだと感じるには十分なものだった。
「エステル様、妖精様。尽力していただいたこと、領民一同を代表して感謝申し上げます」
「そんな、わたしはあまり役に立てなくて」
ぐっと手を握りしめたレニーナが、エステルとルクスに深く頭を下げる。あまりの深さに焦ったエステルが声をかけても、レニーナは動こうとしない。
「いいえ。あなたが、ヴィオラに師事していなければ、あの日のお茶会にいるはずがなかった。その後の話がスムーズに進んだのも、あなたの肩書があってこそよ」
「そう、ですか」
肩書、そう言われてエステルはぐっと唇をかんだ。役には、立てていたはずだ。エステルではなく、妖精の主として。嬉しいはずなのに、素直に喜べなくて中途半端な返事をしてしまった。
そうしてすっと顔を上げていたレニーナが、エステルの肩を労わるような優しい手つきで撫でていく。
「その重さは想像しか出来ないけれど、ここはいつでもあなたを歓迎するわ。いつでも好きな時にいらっしゃい。義妹に会いに来るのに理由はいらないもの」
「……ありがとう、ございます」
リーズの件は、あっという間に国王陛下まで知られることとなった。というのも、ルクスから妖精王に話をしてもらったら、物のついでのような気軽さで妖精王が国王陛下に伝えたからだ。
ヴィオラでは花の知識はあっても、どのようにして数を減らしていったのかまでは分からなかった。エステルも協力してリーズに関する資料を探したけれど、詳しいことは誰でも読めるような物として残されていないことを確認するだけにしかならなかった。
ルクスから妖精王に話をしてもらったのは、根付いてしまったリーズを、妖精たちはどのようにして枯らしていったのかを聞きたかったからだったのだけれど。
「エステル様に爵位を授けるために使うだなんて、国王陛下も考えたものよね」
「中毒性のある植物を育てさせていた、だけでなくて融資もおかしなところばかりだったのでしょう?」
鼻をぐずぐず鳴らしているエステルの前には、少し温めのミルクティーが用意された。ルクスは、前回何も口にしていないから好みが分からず、少しずつ飲んでもらったところ、気に入ったのは爽やかな香りのするハーブティーだった。これは、レニーナの領地の特産として一定の人気を保っている種類らしい。
「ええ。妖精様たちが二枚重ねになっていると見つけてくださったから、計画的なものだったと証拠を出せたのよ」
「……あれ、そんな事になってたんだ?」
「妖精王から、聞いていない?」
ハーブティーの香りを楽しんでいたルクスが、こてんと首を傾げた。エステルは、同じ場所にいたはずだったのに疑問に思っている様子のルクスに苦笑いだ。
二枚重ねの書類、上のサインを入れる一枚目は水に溶ける紙で作られていたらしい。インクも特殊で、下の紙まで染みるような素材で作られていたから、サインを入れた書類が水に溶けても消えることはなかったそうだ。その材料にもリーズが必要だったから栽培もしていたのだと、話を聞いた。
「やらかした話は覚えてるけど、リーズの使い方には興味ない」
「妖精目線だと、そうなるのね……」
溶けてしまえば証拠も残らないから、自分たちまで捜査の手が回ることはないと踏んでいたラージル伯爵家だったけれど、書類を作っていた地下の作業場に宰相が直接殴り込むような形で突入したそうだ。
魔法での抵抗も想定されていたから、ヴィオラもその場に待機していたけれど、それよりも妖精王が八つ当たりのように作業場を半壊に追い込んだから、出る幕がなかったらしい。
エステルとルクスは一緒に行けなかったので、ヴィオラと妖精王からそれぞれ話を聞いた。
リーズは危険があるからと、妖精たちがようやく限られた場所にだけ咲くように範囲を狭めていたのに、それをまたまき散らすとは何事だと怒っていた妖精王の話を聞いたルクスは青ざめていた。
作業場を壊した話は笑いながら聞いていたのに、一気に顔色を悪くしたのは、リーズの処分には妖精でもかなり手間だった事を思い出したからだそうだ。
「でも、おかげでリーズの使い方もひとつ新しい物を知れたのでしょう?」
「ああ、インクと紙ね。だけど、王がかなり派手に壊したらしいから、しばらくは無理なんじゃない」
興味がないと言いながらも、エステルの問いかけにはきちんと答えるあたり、知識としてはルクスの頭にもあるようだ。妖精王が壊したという作業場はこっそりルクスも見に行ったけれど、あれはよく人間を生き埋めにしなかったなと思うくらい酷かった。
それだけ、あの時の自分たちの苦労を妖精王が分かってくれていたのだとルクスは嬉しくなったけれど。
「うちの畑に育った分は、そのまま国王陛下が買い取ってくださるそうよ。育てるところについては、これから調整するけれど」
ラージル伯爵家から受けていた融資は、国がひとまずの肩代わりとして適正な価格を全額、返済したそうだ。
とはいっても、今回の件でラージル伯爵家にはため込んでいた金銭をかなり吐き出させたから、結局手元に戻って来たらしいけれど。
こういうものは、書類としてやり取りを残すためのものだ、なんて笑っていた国王陛下も分かっていたのだろう。それでも足りない分としていくつかの事業を手放させたから、今後ラージル伯爵家は社交界でかなり肩身の狭い思いをする羽目になるらしい。
ヴィオラが夫であるダリルにあれこれと助言をしていた姿を見ていたエステルは、後から理由も含めた説明を聞いてようやく理解が出来た。貴族としての籍を残しているのは、これからの監視の目を増やす意味合いもあるそうだ。
「結局、薬草の質が落ちたっていうのにもリーズが関係していたんですよね」
「ええ。まさかあんなに長く根っこを伸ばしているなんて、思わなかったわ。あれじゃあ隣の区画に合った薬草は育たないはずよね」
開墾した畑はそのまま、チェンダー伯爵家の管理とすることに決まった。中毒となっている領民たちの治療に、これからの作付けの相談、人手はどれだけあっても助かるということで、希望した人達はそのまま、チェンダー伯爵家に残る事になった。
というのも、ラージル伯爵家は人身売買にも手を出していたそうで、融資と称して連れてきた人手は、土地を耕すよりも中毒性のあるリーズを育てるよりも、毎日きちんと食事が出来て、安心できる寝床があることになによりも感謝をしていた。
「毒だと言われていても、その特性を上手く活かせるようになれば新しい産業に繋がるわ。今までの分、頑張らないといけないわね」
「応援しているわ、レニーナ」
「ヴィオラ、ありがとう。エステル様も、妖精様も、何度だって言わせてちょうだい。
ありがとう。あなた達と出会えてよかった」
今までのなかで一番きれいなレニーナの笑顔を見たエステルの顔にも、同じような表情が浮かんでいた。