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31.

「お茶会の招待、ですか」

「ええ。わたくしが家庭教師をしていることは、隠しておりませんから」


 エステルがヴィオラのところに通い出してから、そこまで時間は経っていない。けれど、今までどれだけ頼まれても誰かに何かを教えるような事をしてこなかったヴィオラがエステルにだけは邸に通う事を許している、というのはあっという間に社交界で話題になった。

 最も、ヴィオラはヴィオラでエステルと話すことで妖精と話す機会が増え、魔法についても新しい考え方が浮かんだりと忙しく過ごしているので、招待を受けても出席はほとんどしていない。

 今回招待状を送って来たのは、ヴィオラのその辺りの事情を理解している友人から。おそらく、こんな話題は自分で処理をしろというだろうなとすぐに思えるくらいには、ヴィオラも友人の性格を分かっている。


「気心知れた友人ですし、ある程度はあなたの事情も存じている方です。練習と思って参加してみるのはいかがでしょうか」

「その、ヴィオラ様に迷惑とかは……」

「かかりませんわ。向こうからいただいたお話ですもの」


 申し訳なさそうな表情をしているエステルの言葉をばっさりと切ったヴィオラに、待機していたルクスが驚いたように目を丸くしてる。

 次いで顔を上げたエステルを見れば、同じような顔をしていたのを見てヴィオラは思わず笑ってしまった。

 あの日、随分長く話し込んでからこの二人は同じような行動をとることが増えてきた。それは、家族のようにも、兄妹のようにも見えてヴィオラを含め、この邸では微笑ましく見守っている。


「なら、ありがたく場をお借りしたいと思います」

「そう言ってくれると思っていましたわ。さあ、返事の書き方からおさらいいたしましょうか?」


 テーブルに白紙の便箋を用意した侍女は、ささっと待機していた場所に戻る。

 にこやかにペンを取ったヴィオラと、難しい顔をし悩み始めたエステル。そしてそれを後ろで見守っているルクス。

 いつの間にか、この邸で日常となったその光景を見て、侍女は少しだけ表情を緩めた。

 宰相の妻であり、侯爵夫人という立場から、ヴィオラは邸でもあまり気を抜いた様子は見せなかった。ところが、エステルが通い始めてから笑顔を見せる機会が増えてきたことを、侍女たちもこっそり喜んでいた。ヴィオラが自分の研究に励む姿も、エステルが学んでいって成長した様子を間近で見ている使用人たちにもいい影響があるようだ。

 さて、今日は何の本を読んで知識を蓄えようかと考えながら、侍女はその場で待機していた。



「おや、なんだかしおれているな?」


 ヴィオラからの指導も終わり、どうにか返事は形になったもので合格点をもらうことが出来た。郵便屋に託すところはヴィオラが済ませてくれるというので、その言葉に甘えたエステルが自分の邸に戻ってきたところに姿を見せたのが、妖精王。

 白銀の髪がきらきら輝いていて、月夜のなかでもその美しさは際立っている。ふわりと振るわせた羽は、エステルが瞬きをしている間で光の粒となって星のように空に舞っていった。


「妖精王、分かってますよね?」

「何だ、思ったよりも元気ではないか。聞いた話と違うなあ」

「ルクス? 何を言ったのかしら?」


 いつものように感情が読み取れない微笑みを浮かべていた妖精王の声は、少しからかうような色を含んでいる。そして、エステルの状況を妖精王に話せる相手など、思いつくのは一人しかいない。

 エステルのじとりとした視線を受けたルクスは、途端に慌て始めた。


「えっ、いや、その……」

「おお、そうだ。我の勘違いか。エステルに構ってもらえずにしおれておるのはお前だったな、ルクスよ」


 今度こそ、ルクスは真っ赤になって撃沈したようにその場でがっくりと肩を落とした。あら、と口を押さえたエステルはルクスの隣に移動してぽんぽんと肩を叩く。しゃがみ込んでいたルクスは上目でエステルを見たが、よほど恥ずかしかったのかその目尻には涙が滲んでいる。


「これでも、心配はしているのだ。性急に事を進め、その小さき背に荷を背負わせすぎたのではないのかとな」


 ふわっとエステルの後ろに移動した妖精王は、そっとその肩に手を添えた。ルクスよりも小柄な体は、妖精王が力を込めたら壊れてしまいそうなくらいに脆く見える。そうでない事は知っているつもりだが、人間は自分の思っている以上に簡単なことで夜の国へと旅立ってしまう。

 長い間に別れは何度も経験したけれど、何度目だろうとも慣れることはない。こうして、自分が関わったことでその時を早めてしまうのではないか、と思うくらいには、怖れを抱いているのだ。

 そんな妖精王の気持ちは奥底にしまい込んでいるのだから、伝わっているはずはない。それなのに、妖精王が添えた手にそっと自分の手を重ねたエステルは笑った。


「知ってますか。わたし、離れでは水をたっぷり入れた重い桶を井戸から何往復もして運んでいたんですよ。薪だって自分で集めて、手頃な大きさに割っていたんですから」


 綺麗な手に、してくれた。けれど、この手が傷だらけで、治る前に新しい傷を作っていたのはそんなに前の話ではない。

 井戸は本邸であるここの方が近い。離れからだってそこまで距離はないけれど、たっぷりと水を入れた桶は重く、母の看病で使う以上の水を汲むようになってからは、何度途中で休憩をしたり水をこぼしてしまったかは分からない。

 庭にはたくさん木々があるから、落ちた枝を探すこと自体は難しくなかったけれど、それを暖炉やかまどにくべられるような大きさにするのは一苦労だった。それでも、エステルはどうにかするしかなかった。そうでなかったら生きていけなかったのだから。


「日の昇らないうちから作業していたから夜目も利きますし、物音をあまり立てないように移動することだって出来るんです」


 クルリと体の向きを変えたエステルは、どうだとばかりに少しだけ胸を張った。


「だから、荷物を抱える準備は十分、出来ているんです」

「夜目も静かな移動も、荷物抱えるのに何の関係もないと思うんだけど」


 呆れたように笑うルクスは妖精王の手をはがそうとしない。これが他の誰かだったらここまでの密着だって許していないだろう。

 揶揄われようとも、ルクスにとって王は敬うべき存在だ。エステルに、自分の主にあまりにも失礼なことをしたら分からないけれど。

 けれど、今はきっとエステルのぬくもりや言葉が必要なんだと思えたから、その場を譲ってもいいだろうと思えるくらいの余裕が、ルクスにはある。


「……言われてみたら、そのとおりね」


 そうして、自分からするりと妖精王の手元を抜けたエステルは、ルクスの隣に収まった。一瞬だけ妖精王に遠慮したような視線を向けたルクスだったけれど、エステルが自分の隣にいる事は嬉しかったようだ。

 先ほどまでの余裕ぶった表情はどこへ行ったのか、エステルに満面の笑みを見せている。


「さて、今度の茶会とやらには、この花をつけていくと良い」


 少しだけぎくしゃくしていたような二人の空気は、もはやないらしい。どうなるか気にしていた妖精王は他愛のない会話を始めた二人を見て、これで大丈夫だろうとばかりにそっと息を吐きだした。

 そうして、胸元から取り出したのは手のひらに収まる程度の一輪の花。


「わあ……」

「満月の夜にしか咲かぬ、珍しい花だ。その身を飾るには相応しかろう」


 中心は白に近いのに花弁は黄色く、先にいくほどに色が濃くなっている。花が光っているかのように、きらきらと淡く輝いている。これだけ存在感のある花なのに、近寄って思い切り息を吸い込むようにしないとその香りを楽しむことが出来ないのも不思議だ。


「ありがとうございます、妖精王! わたし、頑張ってきますから」

「その意気だ。ルクスが探した時間も報われよう」

「ちょ、だからどうしてそういう事を……! 逃げ足だけは速いんだから」


 花びらを散らさないように、そっと胸に抱いたエステルは感動したように潤んだ瞳を妖精王に向けた。けれど、返って来た名前に首を傾げてしまう。慌てたルクスが口を塞ごうと動くよりも早く、妖精王はその場から姿を消した。

 沈黙が訪れた部屋で、くすくす笑う妖精王の声だけが耳に残っている。そんな中、エステルが静かにルクスの袖を引いた。


「ルクス、このお花、本当に?」

「エステルが招待受けるの、初めてだろ? たぶん俺は傍にいれないから、代わりに持って行ってもらえると嬉しい、んだけど……」


 ルクスの言葉は、最後まで音にならなかった。エステルが飛び込んできたからだ。花を潰さないように、と注意する気持ちはまだ残っていたようだったが、それもいつまで気にしていられるか。


「ありがとうルクス! どうしよう、今からつけていたら明日にはしおれてしまうかしら!?」

「大丈夫だから落ち着いて!?」


 いきなり飛び込んできたエステルを支えようとして、ルクスが思わず伸ばした手はそうするつもりなどなかったのに、抱きしめるような形になってしまう。

 灯りを落として薄暗くなっている部屋でも分かるくらい、真っ赤に染まったルクスの顔は誰にも見られることはなかった。

 それから何度かルクスが落ち着いて、と告げてからようやく、エステルは体を離した。さっきまで全身で感じていた温もりが遠くなったことを、少しだけ寂しいと思ったルクスだったが、それは上手く仕舞い込んでから笑顔を見せた。


「エステルは、いっぱい頑張ったから上手く出来る。だから、明日は楽しんできてね」

「ルクス、本当にありがとう」


 自分の代わりに傍に置いて欲しいと思ったのは、本心からだ。けれど、あの花にはもう一つ意味を託してある。出来る事ならその出番などなく、ただ珍しいというだけで終わればいいと思いながら、ルクスは嬉しそうに笑うエステルの髪に花を飾った。


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