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20.

「妖精王よ、手間をかけさせてしまう事は申し訳なく思うが、私達にも分かるように説明いただけないだろうか」

「ふむ、この際だ。我も聞きたいことがある」


 妖精は気まぐれで、自分の興味のないことには驚くほどに関心を示さない。そう伝え聞いてはいたが、目の前にいる妖精王や、エステルの隣から離れようとしないルクスからは、そのような印象は抱かない。

 本人たちがどのように思っているのかは分からないが、気持ちが変わらないうちに聞いてしまった方が良いことは確かだろう。そう判断した国王は早速とばかりに切り出した。


「では、改めて。エステル嬢が夜を明かしたという、宿り木の事についてだが。

 それは、妖精の森にある大樹のことで間違いないだろうか」

「あれは森の始まりと共にある。他よりも良く育っておる故、そう呼ばれていても不思議ではないな」


 この国が、まだ国と呼べない規模であった時から遺されている歴史書。にも関わらず国の起源についてはハッキリとしたことが分かっていない。

 後継者争いに敗れた王族が逃げ込んだのが森だったとか、もともと住んでいた者が協力し合って興したとか、いろいろと研究はされているが決定打となるものは見つかっていない。

 ただ、ところどころに出て来るのは、妖精。その力を借りて一晩で城を建てただとか、どこの寝物語だと思っていたような事しか書いていなかったが、先ほどの光景を目の当たりにするとあながち夢だとは言い切れないような気もしている。

 そんなすさまじい力を持っている妖精たちを束ねる王が、自分の曾祖父と友人であったなどそれこそ冗談のように笑い飛ばしたくなるが、こうやって会話を重ねていくごとに否定する要素が減っていってしまうのだから、これはもう信じるほかないだろう。


「始まりから、ですか」

「もとはそこまで大きくもなかったのだがな。何がきっかけか、ぐんぐんと育ちおった。あれの枝に腰掛け浴びる日差しは、心地良いぞ」


 別に最初から疑っていたわけではない。王家だけしか入ることのない場所にある肖像画、そのうちの一枚から抜け出して来たのではないかと思うくらいの外見をして、目の前に現れたのだから。ただ、王という重責を担っている以上、全てを真正面から信じることが出来ないだけで。

 森の始まりなど、どの歴史書にも載っていないが妖精王の言葉は真実だろう。妖精は、嘘を好まない。だからこそ、善であれ悪であれ真っ直ぐな感情を向ける者のそばに、集まるのだから。クレアは人の苦しみを取り除くためにと自身の魔力を使う心根を妖精から愛され、身勝手に愛情を手に入れようとしたカーラは妖精に利用された。

 ならば、ソファーの沈み具合に目を丸くするような、淑女としてこれから学ばなければならない事が山ほどありながらも、妖精の主となりそして王からも情を注ぐと告げられたエステルは。

 どんな道を進もうとも、その隣に妖精が控えている限りは自分の欲望に飲み込まれるような事はないだろう。

 そんな考えに耽っていた国王の様子を見ていたイルハルドが、静かに口を開いた。


「それならば、定期的に人を向かわせて管理に務めていたはずですが」

「そうだな。曾祖父の代からは、あの森を大事にするように職を設けた。今でも、欠かしていない」


 初めは森のことについて考えていたのに、いつの間にか脱線していた自分の考えを一旦切り替えた国王が、妖精王に告げる。

 イルハルドの言う通り、あの森が妖精たちにとっても、魔法を使う自分たちにとっても大切な場所だと知ったからこそ、森の環境を整え、定期的に異変が起きていないかを確認するために人を送っている。つい先日も、何の異常もなかったという報告が上がって来ていたはずだ。


「もちろん、知っている。あやつが約束したことを違えたことは、ひとつだけだ」


 瞬間、妖精王の表情が曇る。ひとつ、守れなかったという約束は別れだろう。そう漠然と感じた国王は、目を伏せた。

 魔法を使える者の勘は、当たることが多い。それは、見えない力が教えてくれているのか、何かを感じ取っているのかは分からないが。ただ、その直感に従った方がより良い方へと着地することを、国王は知っている。

 身じろぎの音さえ聞こえない沈黙を破ったのは、妖精王の言葉だった。


「魔力もある、整ってもいる。だがな、あの森は静かなのだ」


 エステルが何かに思い当たったかのように顔を上げた。定期的にあの森を整えているという人達とエステルの違ったところは、森で過ごす時間。夜の寝静まる時間はもちろん、日差しの降り注ぐ時でも、聞こえてきたのは風が木々を揺らす音ばかり。何日かあの森で過ごしたエステルでさえ言われてから気づくのだから、作業をしている人達では自分たちの立てる音で余計に分からないだろう。


「静寂が美しいのは、対比する熱があるからこそ。静かに過ぎゆくだけでは、やがて朽ちてしまう。我も、久しく感じていなかったものを、思い出した」


 聖域に定期的に人間がやって来るのは知っていた。けれど、それはただ決められた作業をこなすだけ。もちろん、それに不満はないし、代が変わっても約束が続いていることに感謝はある。

 愛し子の気配を感じ、様子を見に行って出会ったのはクレアではなかったが、魔力は高く妖精は見えているようだった。それがどうしてあのようにみすぼらしい姿をしているのか、きっかけはただの興味だった。

 けれど、聖域で過ごしていくうちに輝きを取り戻し、そして妖精を――ルクスの姿を現すまでになった。

 友人を亡くしてから凪いでいた感情が揺れ動くのを、妖精王は確かに感じていた。

 変化をもたらしたのは、迷い込んできた少女。そして、その少女は今、妖精王の目の前で碧の瞳に張った水の膜を壊さぬよう、懸命に堪えている。


「妖精王様、もしかして寂しいと思っているのですか」

「そうか。これを寂しいと、そう呼ぶのだな。

 ああ、そうだ我は寂しいのだ。こうして言の葉を交わすことが、心を震わせるのだと知っていたというのに」


 認めてしまえば簡単で、すんなりと自分のなかで落ち着いたその感情は、瞬く間に根を張って居座ってしまった。

 今まで一度も友人の眠る場には訪れようとも思わなかったが、少しだけ顔を出してもいいかもしれない。今なら、あの時には分からなかった隣が静かになったと感じた理由を、説明できるような気がした。


「……大丈夫です」

「エステル?」


 妖精王の気持ちを知って、何を言っていいのか分からなくなったのはルクスも同じだった。むしろ、王と仰いでおきながらその気持ちに気づけなかった、と自分を責めるような言葉さえ喉元まで出かかった。それを止めたのは、隣でぎゅっと拳を握っていたエステル。

 震える声で告げた大丈夫、が聞き取れなかった訳ではないが思わず聞き返してしまった。


「これからは、わたしが通います。管理、となると知らないことだらけなのでたくさん教えてください」

「お、俺も! まだ分からないことたくさんあるし、教えてもらわないと困ります!」


 座ったままでバッと音がするくらいに素早く頭を下げたエステルに倣うように、ルクスも視線を落とした。

 妖精王の宿り木なんて大層な管理を任されたエステルならともかく、ただの妖精である自分が困ったところで何の問題もない。自分の言葉選びの拙さをルクスは後悔したけれど、一度口から飛び出した言葉をなかったことには出来ない。

 誤魔化すように頭を下げ続けていたが、しばらくするとくすくすと堪えるような笑い声が降って来た。


「だ、そうだ。妖精王。これから忙しくなるようだな?」

「……子の成長に付き合うのも、年長者の務めです」

「全く、感傷に浸らせてもくれぬとは。敬いの心が足りぬのではないのか?」


 国王に、イルハルド。そして妖精王も。物言いはみんな違ったが、浮かべているのは同じような笑み。目をぱちぱちと瞬かせた後にエステルと向かい合ったルクスは、三人と同じように笑顔を見せた。


「さて、話は分かった。エステル嬢も乗り気なようだから、管理を任せるのは構わない。ただ……」

「身分、ですね」


 イルハルドの言葉に頷いた国王は、どうしたものかと頭を抱えた。そのイルハルドもまた、同じように額を手で押さえていた。

 妖精王とルクスに身分は関係ない。ここで問題になるのは、エステルだ。その本人は、幼い頃に家庭教師をつけてもらったとは言えども、ここしばらくは遠ざかっていたのだから貴族令嬢としての基礎が身についているとは言い切れない状況にある。

 もちろんそれはエステルに全く非はないのだが、今すぐに何か行動を起こすのには少々まずい。自衛の手段ひとつ持たないようでは、あっという間に飲み込まれてしまう。


「ああ。イルハルドには宰相補佐を与えているが、伯爵家というだけで難癖付けてきそうな者は少なくない。せめてエステル嬢が身を守れるようになるまでは」

「ふむ。ならば、こうしよう」


 城で勉強してもらおう。そう続けるはずだった国王の言葉は、面白そうににんまりとした笑顔を見せた妖精王に遮られた。


「我を、エステルの後見人にすれば良い」



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