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2.

 花の咲き誇る草原。丁寧に編まれた銀色の髪が乱れるのを気にも留めずに、くるくる踊るような足取りで進んでいる少女。

 その後ろには同じ銀髪を風に揺らしながらゆったりと歩く女性の姿があった。宝石のようなピンクの瞳は優しく細められ、少女の事を見守っている。

 ああ、これは夢だとエステルはため息を吐いた。夢の中なのにため息を吐けるとはどういう事だろうかとも思ったが、せっかく母の姿を見れたのだ。このままもうしばらく夢に身を預けるのも悪くないだろう。


「おかあさま、お花きれいね!」

「そうね。エステル、せっかくだからお父様にお土産を持って帰りましょうか」

「うん!」


 夢の中の小さなエステルは、母の言葉に満面の笑顔で頷いた後、でも、と少し困った様子で目線を彷徨わせた。

 そうだ、と懐かしむようにエステルは当時の自分の気持ちを思い出す。


「こんなにきれいなお花、つんじゃうのかわいそう」

「エステルは優しい子ね。……ええ、うん。ありがとう」

「おかあさま、だれとおはなししてるの?」


 母の周りには、いつでも優しい光があった。まるで母を守るように共にあった光は、エステルも小さい時から見えていた。気まぐれのようにエステルの傍に来た光を、面白がって追いかけていた時期もあった。

 光と言葉を交わすような素振りを見せていた母、けれどエステルはその様子を気味が悪いとも思ったこともなく、むしろあれだけ暖かくて優しい光と共に過ごせる母の事をうらやましく思っていた。


「わたしもおかあさまのように、はなせるようになるかしら」

「……人を憎まずに生きていたら、きっと。

 ねえ、エステル。悲しくなる時もある、怒りたくだってなるでしょう。それは悪いことではないわ。

 けれど、人を憎んではダメよ。つけこまれてしまうから」

「うーん、わかったわ!」


 あの時の自分はただ母と言葉を交わせるのが嬉しくて、分かっていなかったのに頷いていたようだ。エステルの記憶に残る母は病気で苦しんでいる表情の方が多かったのに、小さなエステルを前にしている母は、とても穏やかに微笑んでいる。

 エステルの脳裏から、幼い頃の景色が薄くなっていく。夢だと分かっていても、この優しい時間を思い出すことが出来てよかった、と思いながらエステルは目覚める感覚に身を任せた。



 *


「懐かしい夢だったわ、ね……」


 手紙を書き終えて、一息つこうと思ったエステルはそのまま微睡んでしまったようだ。デスクに寄り掛かるような体勢だったからか、体が少し強張っているようで、立ち上がってからぐぐっと伸びをした。

 窓から見える日差しは高く、まだ空は青い。微睡んだといってもそこまでの時間は経っていないようで、手紙を出しに行こうと考えていたエステルはそっと息を吐いた。


「デザイナーが来るって言っていたけれど、いつ来るか分からないのを待ってはいられないわ」


 カーラがデザイナーを呼ぶのは、エステルの為ではない。自分の娘であるルディアーナの為だ。

 母が生きていた時に懇意にしていたデザイナーではなく、カーラが侍女長として付き合っていたデザイナーを呼んでいるのだから、エステルの事は知らなくてもしょうがない。

 けれど、こうして外部から人を呼ぶ機会が分かっても、接することが出来なければ意味がない。エステルとしては誰かと言葉を交わすことさえできれば、現状を伝えれることが出来ると考えているのに、事前に知らされない事がほとんどだし、今回みたいに分かっているのに自分が時間を合わせることが出来ないようなタイミングばかりだ。


「ルディアーナが帰ってくる前に済ませたいわね。馬たちにも果物をあげたいし」


 汚れてもいいようにエプロンドレスを被ったエステルは、バスケットを持ってさっと森へと入る。

 森、と呼んでいてもここは王都内でフォルカー伯爵家の敷地。小さい頃から遊んでいたしそう呼んでいたからエステルとしては何の疑問も持っていないが、カーラやルディアーナはここを潰して屋敷を広げたいと思っているようだ。

 母のため、父が国王に直接願ってこの自然豊かな土地を預かっているのだから、その願いは叶えるわけにはいかないのだが。小さい頃は凄く広いと感じていたけれど、成長した今のエステルの足では、そこまでではないと知った。

 幼い頃に遊んでいた草原もこの森の一角だったし、エステルはどこに何があるかをよく分かっている。

 慣れた様子で森を抜けて、郵便屋に手紙を託したエステルは、帰り道で熟れた果物をバスケットに詰めて、離れに戻る。備えつけの小さなキッチンでさっと火を通した果物は、少しばかり日持ちさせることが出来るだろう。


「お義姉様、ちょっといい?」

「ルディアーナ? どうし……」


 朝に入れ替えたバケツの水を使ってモップを洗っていた時に、不機嫌そうな顔を隠さずにやって来たルディアーナに、エステルは動きを止めた。

 エステルが驚いたのも無理はない。元気だった時の母と相談しながら、エステルのデビュタントのためにと用意してくれたドレス。

 母が病気で倒れ、同時に流行した感染症の影響でデビュタントが延期になったエステルはまだ一度も身を包んでいない、そのドレスをルディアーナが着ているのだから。

 母の瞳の色と似た薄いピンクでまとめられたドレスは装飾も少なく、可愛らしいというよりもシンプルだからこそ佇まいなどの所作の美しさが目立つ。ルディアーナは避けていたはずの系統なのだが、エステルの前に出るからこそ、わざと着てきたのだろう。


「お茶会の招待状をもらったんだけど、あて名がフォルカー伯爵令嬢、なのよね。

 だからお義姉様がいてくれないと困るんだけど、ってどうしたのよ」

「ルディアーナ。今、あなたが着ているドレス……」


 エステルの若干青ざめた顔色を見て、満足そうに笑ったルディアーナは、まるで今気づいたかのようにわざとらしく声を上げた。


「ああ、これ? 野駆けなのに、装飾の多いドレスは着ていけないでしょ?」

「そのドレスは、お母様が用意してくれたものよ」

「なあに、聞こえないわ」


 落ち着け、と自分に言い聞かせるようにしわが出来るくらいにぎゅっとスカートを握りしめたエステルは、静かにルディアーナに声をかけた。けれど、そんなエステルの様子すら面白そうにニヤニヤと笑って反応を返したルディアーナ。

 一歩踏み出したエステルはガンッとバケツを蹴り飛ばしてしまったが、気にも留めずにルディアーナに詰め寄った。


「そのドレスは、お母様が悩みながら考えてくれたものよ!」

「やだ、裾に水がかかったじゃないの」

「どうして、あなたが着ているの!」


 母との思い出のドレス。親戚との食事会は済ませたから、成人とは認められたけれど、そのドレスに身を包んでデビュタントのようにダンスを踊る日を、心待ちにしていたというのに。

 エステルは泣きそうになる気持ちを堪えて、ルディアーナの返答を待った。


「クローゼットで眠っているよりも有意義じゃない? ねえ、それよりもお義姉様」


 それより、と言われたことで気持ちが溢れそうになったエステルは、ルディアーナが自分の首元に伸ばしてくる手に反応するのが遅くなった。

 その手の先には、エステルが肌身離さず身に着けているネックレスがある。ハッとして首元を守ろうとしたエステルよりも早く、ルディアーナが細いチェーンを握りしめた。


「何でこんなもの、身に着けてるの?」

「これは、お母様の形見よ!」


 エステルがそう叫んだ瞬間、ルディアーナの瞳がすうっと細くなる。チェーンを掴んでいる手に力がこもり、引っ張られながらも壊れないようにと無理な体勢を取っているエステルは、たたらを踏んだ。


「こんな狭くて古めかしいところに住むお義姉様が、着けているようなものじゃないわ。

 あたしが預かってあげるから!」


 ぐいっと力いっぱい引っ張られたチェーンは、ぷつり、と小さな音を立てて千切れてしまった。

 宝石の部分はルディアーナの手元に残ったが、チェーンは興味なさそうに床に放り投げられてしまう。


「ほら、お義姉様が手放さないから」

「……どうして」

「なによ、あたしが悪いって言うの?」


 腕を組んで不満を隠そうともしないルディアーナは、俯いたエステルに心無い言葉を吐き続けている。

 エステルの視界に、床に投げ捨てられたチェーンが飛び込んでくる。そこがエステルの限界だった。

 ぼろりと零れる涙を拭う事もせず、床のチェーンを丁寧に拾う。その間にも、ルディアーナの暴言は止まらない。

 エステルの心を占めるのは、幼い頃の母の言葉。人を憎んではいけないと笑う母の姿が浮かんでは消えていく。


 お母様、ごめんなさい。もう無理です。思い出も場所も、自分が頑張れば守れると思っていた。

 けれど、これ以上はもうどうしたらいいのかが分からない。


 混乱する頭で、エステルはとにかくルディアーナの言葉も、姿だって自分の意識に入れたくないと背を向けた。湧き上がって来た衝動のまま、エステルは離れを飛び出した。





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