16.
「さて、ここだな」
カツン、と先導していた国王の足が止まる。それに合わせたように青年とダリルの動きも止まった。何か罪を犯した人を一時的に留めておく場は、本来ならばここではない。今回は他への影響がある可能性を聞かされていたので、ほとんど使われていない地下を隔離場所としたらしい。
そのため、衛兵も離れた箇所で、しかも交代も通常よりも短い間隔で行っているそうだ。
「陛下はいらっしゃったことが?」
「ないな。報告だけだ」
迷いのない足取りだったので来たことがあるのかと思ったダリルは、さらりと告げられた言葉に目を丸くした。この城の主だとはいえ、なにがあるのか分からない場所で自身が先頭を切るのはどうなのだろうか。目的地はもう目の前で今更だと言えばそれまでなのだが、やらないよりはましだろうとばかりにダリルが自身の体を前へと滑らせた。
「イルハルドから話は聞いていましたが、私もここに来るのは初めてです」
「この方が共にいるとはいえ、注意するに越したことはないか」
「さて、守るとは言っておらぬぞ」
「そういうことに、しておきますね」
ダリルの行動の意味をきちんと理解した国王は、半歩だけ体を下げた。王子はいるが、まだ幼い。国を背負っている以上、この身は守られなければならない。
直前の軽口の応酬で重苦しい気分は晴れているし、口ではそう言いながらも、本当に助けが必要になったら手を貸してくれるんだろうと思えるくらいには、その性格を知った青年が隣にいる事に安心はある。
けれど、未知のものに対峙する緊張はなくなっていないのだから。
「ああ! 私が無実だと分かっていただけましたか!」
そうして、気を引き締めてから部屋の扉を開けた。二重扉になっていて入口の扉は見えないが、部屋にいる限りは扉の開いた音は耳に届く。だからだろう、ダリルを先頭にして国王と青年が部屋に入ると同時に、女性の声が響いた。
最低限の世話はするように指示をしたのは国王自身だったが、それにしても女性の身なりは整っていた。
侍女長と聞いていたが、茶色の髪は丁寧に櫛が入れられているようで、艶を失ってはいない。話を聞いただけだったが、エステルの様子を知るダリルとしては、その違いだけでも腹立たしく感じた。
そして着ている服は明らかに貴族のものだ。伯爵家の侍女長だとしても、勤務外で着るにしては上質すぎる。裾が解れたり、自分で繕った箇所など見当たらない。その様子に今度こそダリルは嫌悪感を露わにした。
「……反省は、していないようだな」
扉が一つしかないうえに、その唯一の出入り口は青年の背にある。ダリルや国王だけならともかく、魔法においては青年がいるのだから万が一にも逃げられるという事はない。
罪人としてこの場に留めているが、婦女という考慮のもとで部屋の中では自由に動き回れるようになっている。ダリルに走り寄ってきた侍女長は、向けられる感情にも気づかないまま自分の考えを声高に主張する。
「私は伯爵家を守っていただけです! 反省することなどありません!」
「ほう、ならばお前の守る伯爵家とはどの家のことだ」
「どの、家……?」
初めて侍女長に戸惑いが見えた。ダリルの後ろで様子を伺っている青年も、わずかに視線を巡らせた。それは侍女長を見るというよりも、その周りを確認しているようなものだったが、ダリルは気付くことなく言葉を続けた。
「守っていたのだろう? 家名が分からないはずがない」
「そんなもの! 私の献身をあの方に、イルハルド様に伝えていただければいいのです」
家名を、家を続けてきたその重みをそんなものと軽く見られたことに、ダリルがますます表情を険しくさせたが、興奮した侍女長には届かない。そして飛び出した名前に込められた感情を感じ取れないほどに、愚鈍になった覚えもダリルにはなかった。
イルハルド本人とそうかもしれないと話したことはあったが、本当にそうだったと頭を抱えたくなったが、せっかく侍女長から言い出してくれたのだから、言い逃れなど出来ないように、このまましゃべらせることにした。
「留守を任された私が、どれほどの采配を振るっていたのか。それが分からない方ではないはず」
「あの家には、イルハルドの娘がいたはずだが?」
「ええ、ええ。おりましたとも。あの方を惑わした忌まわしい女とそっくりの銀髪を見せつける、娘がね」
その言葉が、決定的だった。侍女長はエステルの存在を分かっていて、待遇はわざとではなく確信をもって行っていたのだと。
幼い頃を知るダリルだけではなく、ただの貴族令嬢としか知らない国王や、間接的に愛し子であるクレアのことも貶められた青年も、侍女長に向ける視線は冷たいものとなった。
それに気づかないのは、自分がどれだけ伯爵家を守るために尽力したのかと語る侍女長だけ。
「離れに籠って最低限の社交すらこなさないのですから。私の娘がせっかく皆様に顔を繋いだというのに」
離れに籠ったというが、それは病に罹ったクレアの看病の為であったし、その後戻ろうとしたエステルを本邸に入れなかったのは、侍女長とその娘であるルディアーナ。
顔を繋いだと思っているのは当人たちだけで、ルディアーナがいくら茶会に出ようとも伯爵令嬢としての扱いはされていなかったはずだ。ただ、フォルカー伯爵家の馬車に乗って来るから無視する事も出来なかっただけで、いくつかの家からは説明を求める声が上がって来ていた。
今までダリルやイルハルドが把握出来ていなかったのは、青年の言っていた歪みに含まれているのだろう。
「そうです。私の娘は、ルディアーナはどこにいるのです? こんなところに何日も留めるなんて……
あの子が不憫ではないのですか」
侍女長がルディアーナの事を不憫だと思うのであれば、エステルはそれ以上の扱いをされていたのだが、ここまで来ても謝罪ひとつどころか貶めるような言葉を平気で口にする。
気のせいではなく頭痛が酷くなったダリルは、もう会話をすることを諦めて侍女長に背中を向けた。
引き留めるような声は聞こえたが、体に触れるような仕草は見せなかったので国王と青年を促してから、ダリルは部屋を出た。
「貴方がいようといまいと、話が通じないのは変わらないようだ」
衛兵が労わるような視線を向けてきているのは、きっと自分たちもあの話の通じなさを体験したからだろう。国王の顔を知っているとも思わなかったが、もしかしたらという気持ちがなかったわけでもない。
人の認識を狂わせるような魔法を使われているのであれば、青年がいれば話が通じるかもしれないと思っていた国王も、疲れたように目元を解している。
「娘の方も、様子を見ておくとするか」
「おや、こちらだけでいいのかと」
部屋に入ってからずっと無言で辺りの様子を伺っていた青年を知る国王が、意外そうな声を上げた。
「確かめておかねばならんこともある。でないと、あの騎士が怖いからなあ」
「ああ、エステル嬢の傍にいた妖精のことですか」
からかうように告げていたがあの妖精の様子を見るに、間違いなくエステルにとっての騎士だろう。城に現れた時からずっと、その隣から離れることなく慈しむような柔らかい視線を向けていたのだから。
「そうだ。まあ、我もエステルは気に入っている。これからのことも、あるからな」
ぼそり、と聞こえなくてもいいと思っているだろう音量だったが、静かな地下では思いのほかその声は響いた。青年の言うこれから、に思い当たることがない国王はゆっくりとダリルの方を見たが、視線を向けられたダリルも、ゆるく首を振った。
「ふふ、こちらの話だ。娘だったな」
「……こちらです」
面白そうな顔をしている青年は、今は何も話すつもりがないのだろう。エステルやイルハルドにも関わって来る話かもしれないなら、一緒の時に話したほうが早いと考えているかもしれない。
ならばとにかく頭の痛くなる案件を終わらせてしまおうと、国王はさっと歩き出した。
「あっ! あたしのこと出してくれるの!?」
侍女長から少しだけ離れた部屋、衛兵も顔は違ったが話は通っているようで、すんなりと鍵を渡してくれた。
部屋に入ってからダリルに向かって駆け寄って来る仕草が、侍女長と同じだったことに、血縁を感じさせる。
「いったいいつまでこんなところにいればいいのよ? お茶会の招待だってもらっていたのに!」
こちらも同じように部屋の中は自由に動き回れるようだったが、ベッドが乱れていたり、家具が歪んでいるのが見て取れた。侍女長と同じ茶色の髪はぼさぼさになっていて、ダリルたちの姿を確認してからベッドに座り込み、抱えたクッションをばんばんと叩きつけている様子から、きっと落ち着いてはいなかったのだろう。けれど、その様子を見て少しだけ安堵もした。
「……こちらの方がまだ話が通じそうだな」
侍女長は落ち着き払っていた分、自分の主張との温度差が激しかったので、直接言葉を交わした短い時間でも感じた疲労はなかなかだった。
感情を露わにしているが、娘の方が話を聞ける余裕がありそうだと感じたのはダリルだけではなかったようだ。
「ちょっと、聞いてるの?」
「ああ、聞いているさ。ここから出たいとの事だったな。近いうちに、な」
ふふ、とわずかに笑みのこぼれそうな口調だったが、穏やかに告げたのは国王。侍女長が知らなかったのだから、その娘が顔を知っているはずがない。
ただ自分がここから出られるという事実だけ、娘は理解していた。
「本当ね!?」
「本当だとも。……望んだ場所に行けるとは限らないが」
「言っている意味が分からないわ。あたしは早くここから出て、またあのキラキラした場所に行くのよ」
こちらはこちらで、エステルに対しての謝罪はなかった。彼女の言うキラキラした場所に行くことは、きっと二度とないだろうけれど。それをダリルも国王も告げるつもりはなかった。
そうして、三人で部屋を出てから誰からともなくため息を吐いた。青年は口を挟むことなく様子を見ていただけだったが、こちらよりも侍女長の部屋にいた時の方が視線は鋭かった。
「確認は済みましたか?」
「十分に。さて、どうしてやろうか」
青年が何をしようとも、城や無関係の人に被害が出ないようならある程度の事は許容しよう。だけど、出来る事なら事前にどのような事をしようと考えているのか教えてもらいたいとは思ったが、今の青年にそれを口にできるような豪胆さは、国王もダリルも、生憎持ち合わせてはいなかった。
「向こうも話がまとまったようだな。戻るとしよう」
ふわり、とどこからともなく現れた光を見てひとつ頷いた青年の言葉に、国王とダリルは歩き出した。
途中ですれ違った誰もに、これから何かあったらすぐに自分の身を守るような言葉を添えて。
怪訝そうな顔をされたが、国王と宰相からの言葉に頷いたのは全員で、その言葉の意味は半日もしないうちに身をもって知ることになった。