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15.

 カツコツ、と石造りの床を叩く足音は二人分。緊張したように足早な音を立てるその背を追いかけるようにのんびり歩く青年の足は、ほんの少しだけ床から浮いている。

 すうっと滑らかに移動する青年は、口元に僅かな笑みを乗せた。


「あやつは上手く話せているだろうか。そうは思わんか」


 上機嫌な心のままに声にした言葉には、僅かな時間しか共にしていないダリルでさえ感じ取れるほどに興が乗っていた。

 この状況を間違いなく楽しんでいるとは分かったけれど、それを素直に口にして機嫌を損ねられてはたまらない。自分より年若く見えていても、この青年は妖精たちの守護者なのだから。

 どう返事をしようか悩んだ末、ダリルは自分がイルハルドをどう思っているか。それだけを返すにとどまった。


「あれでも宰相補佐を任せられるほどです。……普段ならば」

「そうかそうか。それは長引くだろうなあ」


 葛藤したダリルの内心すら青年は読み取っているかのように笑い、そっと付け加えた言葉にこの状況はしばらく続くだろうと言ってみせた。イルハルドの仕事振りはもちろんだが、プライベートの様子も知るダリルは、青年にうっかり頷きかけて、止まった。

 この、昔からの知り合いのようにするりと心に入って来る青年のペースに乗せられている場合ではない。自分と違って、事前にいくらかの言葉を交わした様子の国王は、ダリルの姿を見てこっそり笑いをかみ殺すくらいの余裕はあるようだったが。


「それで、私達をあの場所から離したのは、理由があるのでしょう?」

「……酒を用意しろと言わなかったか?」


 カツカツ立てる足音は僅かに大きくなる。それは、この会話を万が一にでも聞かれないようにするためのようだ。声を潜めた国王の疑問に、話しやすいように青年が自身の立ち位置を変える。今度はダリルが二人に控えるように移動した。


「何も知らなければそれで済んだでしょう。けれど、あなたはお酒を嗜まれない。違いますか?」

「――あやつの、子孫だったな」

「曾祖父には、一番良く似ていると評価を得ています」


 しれっと告げた国王だったが、その評価が自身を苦しめていた過去を知っているダリルは自分の表情が二人から見えない事に感謝した。きっと今の自分の顔は、悔しさで染まっているだろうから。まさかそれがこうして繋がるとも思っていなかったけれど。

 足音以外の音が響いたのは、しばらく経ってから。その頃には、ダリルも二人がどこに向かっているのかがハッキリと分かった。


「おかしいとは、思ったのだ。

 妖精がついていたとて、夜も更けるという時に聖域にやって来るなど」


 大きい訳ではない。むしろ、足音に紛れているので注意していないと聞き逃してしまうくらいなのに。その声は、しっかりとダリルの耳にも届いた。


「年頃の娘が粗末な服に身を包み、まともな手入れも出来ぬ髪だというのに、すぐにクレアと関わりがあることは分かった。だからこそ、理解できなかった」

「エステル嬢の、境遇か」

「左様。我らの愛し子の事は十全に伝わっていたはず。縁者ならばそれなりの扱いを受けておるだろう。意図的に、環境を歪ませておる者がいなければ」


 妖精の愛し子だというのは、もちろんこの国にとっても喜ばしいことだ。だからこそ、フォルカー伯爵家に対しては今までの働きの褒章として広い土地を与えた。

 妖精たちの魔法は決して万人に使われるものではない。けれど、その存在は周りに影響を及ぼす。ダリルがよく邸に遊びに行っていたのだって、愛し子のクレアや、妖精の姿を感じ取っているらしいエステルの様子を見るという側面だってあったのだから。

 そして、その影響がどうやら今回は全てが悪い方に作用したらしい。


「だから地下に向かっているのですか?」


 ダリルの問いかけに、国王は顔を向けて、青年は前を見据えたまま頷いた。


「あの家の侍女長であった者と、その娘。主にエステル嬢を虐げていたのはその二人だそうだ。他の使用人たちには、エステル嬢の存在を知らなかった者さえいる」

「伯爵家で、長女の存在を知らないなどあり得ないのでは」

「それこそが、歪みであると仰っているのだよ。宰相」


 魔法を使えるとはいえ、そんな大勢の認識を狂わせるようなものを使えるなど、聞いたことがない。それを当たり前のように出来るのが妖精だ、という事実はダリルの身を引き締めるには充分だった。これから、自分たちが話を聞かねばならないのは、そんな妖精、もしくは影響を受けている人間なのだから。


「ああ、宰相はあの場にいなかったのか。

 説明を、させていただいても?」

「構わぬ、が簡潔にせよ。ようやく向こうも我に気がついたようだ。まあ、逃げられるはずもないのだがなあ」


 くつくつと、エステルがいなかった時には見せることのなかった残忍な笑顔は、獲物を前にした狩人のよう。

 白銀に身を包んだ青年が凄むとそれは迫力ある表情に見えるのだが、本人に告げたところで顔の造形は変えられないとでも軽く流されて終わる話題だ。


「私も最初の出会いが、私室だとは思いもしなかったけれどね」

「は?」


 どんな話をされるのか、と構えていたダリルの耳に、予想もしていなかった声が届く。しかも、少しだけのんびりとした口調は国王が公の場では見せないものだ。

 思わず気の抜けた声が出てしまったけれど、誰もそれを咎めはしなかった。


「最も良く知る場がそこであっただけだ」

「ええ。そうでしょうとも。曾祖父の日記に時折出て来る、友人。それが貴方であったとは」


 それからも、状況についていくのがやっとのダリルの前で、ぽんぽんと打てば響くような会話が続いている。衝撃を受けているダリルの前で、聞き逃してはならないような言葉が飛び交っているが、青年はもちろん、国王も今この場で詳しく説明する気はないらしい。


「つまり、この方はエステル嬢と供の妖精を連れて、飛び込んできたんだ。音もなく、ね」

「陛下の私室にですか!?」

「たまたまその場に私がいたことに、感謝したよ。エステル嬢は目を丸くしていたが、状況はすぐに飲み込んでくれたことにも」


 ダリルは今までの城の様子を思い返す。自分たちを呼びに来た見習いは、息を切らせていたけれど他に変わった様子はなかった。行き交う人達もまた、普段と変わったようには見えなかったのは、この青年が静かに現れた上に国王がうまく取りなしたからだろう。私室にいたタイミングだった、というのも大きかったのかもしれない。

 場所と時間が違えば、この青年やエステル、そして共に居た金髪の青年のことは侵入者とされていてもおかしくなかった。

 国王の言う感謝、にどれだけの処理が必要になったかもしれない事にダリルも深く感謝した。

 友人の娘やその恩人、ましてやあの森の守護者を侵入者とせずに済んだのだから。


「エステルは、敏い子です。陛下のご尊顔はご存じでしょうから」

「その敏い子が何も出来ずに守ろうとした邸、手が打たれていない状況はいささか不自然じゃないかな?」


 国王にそう言われて、ダリルも初めて思い至ったことがあった。あれだけ足繁く通っていたのに、クレアが儚くなってからはほとんど顔を出さなくなった自分の状況に。

 仕事はいつもと変わらず、むしろイルハルドが率先して手を動かすものだから余裕さえあったのに。そんなイルハルドの状況をおかしいとも思わず、エステルの事を心配するような考えも浮かばなかった、つい先ほどまでの自分。

 長女がいる伯爵家を、侍女長が権限を握って回しているのは、どう考えたっておかしいのに。


「それが、奴の力だったのだろう。だが、おおかたの魔力はそこで使い果たしたらしいな。もしくは、何か他に手を隠しておるか」

「……せめて、半壊まででお願いしますよ」


 はあ、と隠すこともなくため息を吐いた国王の青い瞳には、若干の疲れが見えた。それは間違いなくこの後に待っているあれこれを想像してだろうとはダリルにも理解できた。

 けれど、同時にこの先に何があるのだろうとわくわくしたような、小さい子供が物語の続きを待っている時のような光があるのにも、気づいてしまった。


「あやつならそんな狭量な事は言わなんだぞ」

「場所を考えていただきたい。ここは地下なのですから」

「形あるものは、いつか自然へと還るものだ」

「貴方が手を出したのなら自然ではなく強制です」


 だからこそ、ダリルの口からはその言葉が抵抗すら見せずに滑っていったのだから。


「陛下、何だか楽しそうですね」


 はた、と二人の動きが同時に止まる。青年の手元の灯りで照らされていた国王の顔が、ほんのりと赤く染まった。


「ん!? ああ、このような状況でそう言うのも申し訳ないが、この方と言葉を交わすのは何だか心地良いな」

「そうか。ならば次こそは酒を馳走になるとするか」

「……上等なジュースを用意しておきますよ」


 これから一仕事、それも今までの手本など何もないような事をしなければならないのに、感じていた重苦しさはいつの間にかどこかに消え去っていた。


11.にてルクスの名前を間違えるという大失態を犯しておりました……

混乱させてしまい申し訳ありません。ご指摘ありがとうございました!

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