第46話 パーティー2
神明裁判――
それは百年以上前に行われていた裁判の形式だ。
被告人が犯罪を犯しているかどうか分からなかったとき、裁判官と聖職者の同意のもと開かれていたらしい。裁判では被告人に精霊術の炎が浴びせられて、もし火傷を負わなければ女神様の加護があるという事で無罪と判断される。一方、犯罪を犯している人は女神様に見捨てられたから火傷を負うのだ、という考え方。
百年以上前は実際に行われていたみたいだけど、あまりにも非合理的だ、というので今は行われていない。
「し、神明裁判は今は行われていないはずじゃないか!」
「ええ、確かに今では行われることはありません。ですが、今でも王国法にも教会法にもちゃんと記載されておりますし、今だ王国の正式な裁判ですわ」
声を上げるけど、ミランダは平然と返してくる。
え? そうなの? 神明裁判って廃止された訳じゃないの?
戸惑うボクに、オスニエルがにたにたとした笑顔のまま声をかける。
「そうだ、裁判官の資格を持つ私が断言しよう。そして、この私と神聖教会のオータブ司祭の同席により神明裁判は王国法に則り正式に開廷される」
「ぐふふふふ、教会司祭である私も承認いたしますぞ」
ミランダはオスニエルとオータブ司祭の言葉に満足そうに頷くと、こちらに手の平を向けた。
「でしたら、私がシルリアーヌさんに精霊術を放ちます。シルリアーヌさんに貴族である私を侮辱する意図が無く潔白なら、火傷を負うことは無いでしょう。ですが、もし火傷をすればシルリアーヌさんは悪意を持って貴族である私を侮辱したという証……有罪となります」
薄笑いを崩さずに言うミランダに、ボクは数歩後ずさる。
例え下位下段のファイアボールだとしても、至近距離で直接ぶつけられたら平気な訳がない。
「こ、この距離で精霊術を受けて火傷のひとつも負わない訳ないじゃないか……」
「くすくすくす……。あら、分かりませんよ? あなたが潔白であれば女神様はお守りくださるわ? でもどうしても神明裁判は受けたくない、と言うのであれば……」
ミランダはそう言うと、横のオータブ司祭から何かを受け取る。
それは、鎖で装飾された黒い首輪――覊束の円環だった。ジゼルちゃんの首についているのと同じそれを、ミランダはこちらに掲げて見せる。
「この覊束の円環を付けて、私の物になりなさい。そうすれば私所有の奴隷がすこし粗相をしただけ、という事で許してあげますわ」
「……やっぱり、それが狙いなんだね」
やっぱり、ミランダの狙いはボクを支配下に置くことなのか……。もしくは聖遺物、疾風たるファフニールかな? ジゼルちゃんを助けるためならファフニールをあげたって構わないんだけど、覊束の円環で強制的に言う事を聞かせられるのは勘弁してほしいな……。
「ち、ちなみに神明裁判を受けて、しかも火傷したらどうなるのかな?」
「あら、それは犯罪者ですから犯罪奴隷ですわ。でも安心してくださいな、私が買い取ってこの覊束の円環を付けてきちんと管理してさしあげますわ?」
くすくすと笑うミランダ。
ぐっと、目を瞑る。
どっちみち、ボクには覊束の円環を付けられてミランダの物になるしかないって事なのか。
「パーティーに来てくださったみなさんも、お騒がせして申し訳ありません。このシルリアーヌさんに覊束の円環を付けたら、来賓のみなさまの接待に回させますわ。お騒がせしたお詫びです、シルリアーヌさんに何をされても構いません、存分に気のすむまで可愛がってあげてくださいな」
ミランダが軽い感じで言うと、ざわざわとしていた周囲がおおっ、と歓声を上げる。
「あ、あの美しい娘を好きにしてよいと言うのか?」
「リリアーヌ王女殿下によく似たあの娘を、私の思い通りにできる?」
「なんの余興かと思いましたが、そういう趣向の余興でしたか!」
「さすがミランダ嬢、これは忘れられない一夜になりそうですなぁ!」
周囲の人達はとたんにだらしなく表情を崩すと、弾んだ声で盛り上がっていく。
「あ、み、ミランダ! い、一番は私だという話ではないか……!」
「分かってるわよ、オスニエル。一番はあなたでいいわ。その次は……オータブ司祭、行く?」
「お、おお! よろしいのですか?! ぐふふふふ……これは来た甲斐がありましたな!」
順番について話し合うオスニエルやミランダ。
どんどんと、視界が真っ暗になっていくような感覚。
ああ……
ダメだ……
これはダメだよ……
胸の中に絶望が広がる。
これはダメだ、全然話が通じない。ジゼルちゃんやランヅたちがいかに酷い扱いを受けているか、どんなに可哀そうかを訴えれば理解してくれる人も出て来るのではないかって考えていた。
でも今この場からはジゼルちゃんやランヅのことはすっかりと忘れられ、このあとに行われる余興の事で頭がいっぱいの人達を眺めていると、自分の考えは甘かったのだと思い知らされる。
――これは覚悟をきめるしかないのかな
腰の魔導袋をそっと触る。
この中には、昨夜エステルさんが持ってきてくれた国王陛下直筆の手紙が入っている。この手紙には、こう書かれている。
『このシルリアーヌを、王位継承権第十位・第七王女・シルリアーヌ・ド・プロヴァンス=サントゥイユと認める』
正直、なんでこんなことを書かれた手紙を国王陛下より拝領することになったのか、ぜんぜん分からない。
ボクは王族なんかじゃないし、ましてや男だ。
なにもかもが間違っているとしか思えないんだけど、何度見直してもそう書いてあった。
特に王位継承権第十位、という個所は本当に意味が分からない。
シルリアーヌ、っていう人は亡くなったけど本当にいたんだよね? ボクがその代わりになる、ってこと? 名前だけのお飾りの王族ってこと? 平民のボクに王位継承権なんてあるとは思えないから……ここらへんは何かの間違いかな?
その辺りはあんまり考えないようにするとしても、シルリアーヌ・ド・プロヴァンス=サントゥイユ、と名乗る事の意味はボクにだって分かる。王家の名前を冠する名乗りを上げることで、ボクは『単なる冒険者のシルリアーヌ』ではなくて『王族シルリアーヌ・ド・プロヴァンス=サントゥイユ』と認識されるだろう。
それは、とても重い事だと思う。
王族シルリアーヌだと名乗っておいて、明日から「あれは間違いでした」とか言って単なる一市民として生きる、って訳にはいかないだろう。ボクの本心としては、この場を乗り切った後、「シルリアーヌなんて人はいませんでした」と言ってシリルとして生きていきたい。
だけど、たぶんそういう訳にはいかないんだろう。
エステルさんが言っていたのは、たぶんそういう事。
ボクはこのまえ久しぶりに男の格好をしてシリルとして街を歩いた時、とても解放感を感じて楽しかった。これからはちょくちょく男の格好に戻れるようにしたいなぁ、なんて思っていたんだけど、もしかするとそういう機会は無くなってしまうのかもしれない。
……イヤだなぁ。
……正直、それはとてもイヤだ。
ボクはこんな格好をしているけど、男だ。
女の子になりたいなんて思ったことは無いし、将来は有名な冒険者になって可愛いお嫁さんをもらって、冒険者を引退したら村に帰って両親と畑を耕したりしようかな、なんて漠然と思っていた。子供だっているかもしれない。両親と、お嫁さんと、子供と暮らす生活はとても楽しそうだ。
だけど、そんな機会は訪れなくなるかもしれない。
……もしかして、男の人と結婚することになるのかな?
それは本気で勘弁してほしいんだけど……。
その時、ジゼルちゃんと目が合う。
ジゼルちゃんはミランダやオスニエルより数歩下がったところで、不安そうにちぢこまりながら、怯えたように、だけど心配そうにボクを見つめていた。
自分もつらい目にあいながら、ボクの事も心配してくれる優しい子だと思う。
なんとかしてあげたい。
ボクはベルトランに助けてもらった時、彼の様に誰かを助けることのできる立派な冒険者になりたいって思った。
ここでジゼルちゃんを見捨てて引き返すような男にはなりたくない。誰かを助けてあげられる男になりたい。
――だから
「ねぇミランダ、ボクが今裁判をかけられているのはボクの身分が低いから? ボクが平民だから?」
「うん? そうですわよ。リリアーヌ王女殿下を当てにしているんですの? 王女殿下はここにはいませんし、神明裁判は始まっておりますから、今この場で結論を出していただきますわ。明日に持ち越しなどは認めませんわよ」
聞くと、勝ち誇ったような笑みで答えるミランダ。
だったら、やっぱり使うしかないのかな。
……やっぱりイヤだ。
……とてもとてもイヤだし、本当は使いたくない。
だけど、ボクはジゼルちゃんを助けたい。
思えば、ボクは王都に来て冒険者になってから周囲に流されてばかりだったように思う。『勇者の聖剣』に入ったのはコレットさんに勧められたからだし、リリアーヌに出会ったのも女装することになったのも、正直なりゆきだ。
だから、ボクはボクの意志でここで宣言し、ジゼルちゃんを助ける!
思い浮かぶのは、リリアーヌとエステルさんの姿。
リリアーヌはちょっと暴走することもあるけど、いつも前向きで自信にあふれている。エステルさんはボクたちの中では一番動きが奇麗で、いつも背筋がしゃんと伸びて綺麗だと思う。
すう、と深呼吸し、大切な友人たちの姿を参考に、姿勢を整える。
背筋をしゃんと伸ばし、前を向き自信をもって。
そして宣言する。
この酷い余興を、そしてボクの世界を変えるために。
「第七王女シルリアーヌ・ド・プロヴァンス=サントゥイユとして命じます。ジゼルちゃんを引き渡して」
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