閑話 王太子ウイリアム
それは、恐怖と殺意を煮詰めて具現化したような存在だった。
ぎゅっと目をつぶっても、魔王のあの黒い巨躯が目に焼き付いて離れない。
僕の名前はウイリアム、ウイリアム・ド・プロヴァンス=サントゥイユ。王太子という身分で、将来は父の後を継いで国王となる立場だ。父や国の重鎮達に自分は王太子だ、国王になるのだから、と言われて育ったため、そのことに特に疑問を抱いてはいなかった。
しかし――
僕は人の上に立てるような人間ではなかった――
心の中に昏く重いものが、じわりと広がる。
父である国王が総大将となり出陣した御親征の軍勢、それに僕も参加していた。近衛騎士団長ガルドス率いる近衛騎士団に加えてふたつの騎士団が参加する、鉄壁の布陣の軍勢。このところ攻勢を強めている魔帝国の軍を押し返し、サントゥイユ王国の武威を示すための総力戦とも言える戦いで、負けるはずのない戦場だった。
あの、黒い鎧が現れるまでは――
思い出すだけで、ぶるりと震える。
あの魔王と呼ばれるおぞましい存在に、目の前で騎士や兵士が次々殺されていった。
まるで雑草を刈り取るように、畑に群がる害虫を追い払うように、人の命があっさりと奪われていく。返り血で真っ赤に染まった巨躯を目の前にして、僕は何も出来なかった。いままで戦場に出たことはあったし、魔物と戦ったこともある。だから、僕は戦場に出て王族として上に立つ人間として、立派に振る舞えていると、そう思っていた。
だけど、違ったんだ。
思い返してみれば僕が戦場に出る時は常に近衛に周囲を囲まれていたし、戦う魔物だって近衛が選別して問題なさそうな魔物としか戦ってこなかった。戦場の選択だって、こちらが優勢な戦場しか経験していなかった気がする。
だから目の前に圧倒的な恐怖が、とても敵いっこない巨大な敵が現れ、味方が次々殺されていったとき――
僕は、みんなに護られて後方でガタガタと震えているだけだった。
魔王。
もちろん名前は知っているし、軍の報告書だって目を通している。父が30年前戦場で相対し、多くの部下や戦友を失ったことは何度も聞かされた。しかし、ここ10年ほどは目撃情報は無かったし、それ以前の報告は正直古いものばかりだったのであまり本気にはしていなかった。
だって、考えてみて欲しい。
有利な戦況が魔王一人にひっくり返されたとか、魔王一人に万の兵士が殺戮されたとか、そんな報告ばかりなのだ。それはちょっと大げさなのでは無いのかと、僕で無くとも思う。実際、若い将校にはそう捉えている者も多かったはずだ。現場の失態を魔王のせいにして、適当な報告を上げていたのだと。
だけど、違った。
王国の兵士達がまるで藁細工のように薙ぎ払われ、ガルドスと高名なS級冒険者が協力して挑んでも、返り討ちにされた。
でも、それでも、ガルドスも将兵も冒険者達も、あの恐ろしい魔王に果敢に挑んでいったのだ。たとえその結果敗北したのだとしても、それでも彼らは勇気を振り絞り恐ろしい魔王へ立ち向かったのだ。
それに引き換え、僕はどうだ――
心が暗闇へと落ちていく感覚。
僕は王太子には……人の上に立つ者には相応しくない……。
そんなことばかり考えてしまい、深い闇の中でもがいているような気持ちだった僕は
「王太子殿下!」
僕を呼ぶカルドスの声で、はっと顔を上げた。
「御体調はいかがですか?」
いつのまにか足が止まっていたようだ。
僕の10歩ほど先で、気を失った父を背負ったガルドスがこちらを振り返っていた。そう、僕とガルドスはあの惨めな戦場から逃げだし、戦場から北西にある深い森に落ち延びた。ここへ逃げ込めたのは僕とガルドスと、手傷を負い気を失った父、国王フィリップ7世のみ。
さすがに三人以外全滅などという事は無いだろうが、ここにいるのはこの三人だけだ。
どこを見回しても木、木、木の深い森の中、体を休めるように木にもたれかかるとガルドスは、ふぅと息を吐いた。
「たしかに非情に困難な状況ですが、気を強く持って下され。きっと助けも来るはずです、それまでの辛抱ですぞ」
ガルドスは、こんな状況でもからりとした表情で笑う。
そんなガルドスの体は傷だらけで、今もぽたぽたと血が流れ続けている。魔王との戦闘のあと魔物たちを蹴散らし僕と父を救い出し、ここまで逃げ延びてきた。この森の中でも数え切れない数の魔物に遭遇したが、それらを倒したのは全てガルドスだ。しかも、背に気を失った父を背負ったままで。
それに引き換え、僕は五体満足で怪我もしていない。
にもかかわらず、戦ってもいない。
ただ、ガルドスについてきただけだ。
もちろん、戦おうとはしたのだ。しかしこの情けない身体は、かたかたと震えるばかりで動きはしなかった。ガルドスは「よいのです、王族の方々をお護りすることこそが近衛の務め」と言ってくれたが、僕の気は晴れなかった。
情けない、情けない、情けない、情けない。
「……本当に助けなんて来るのか? 距離もあるし間に合わないのでは? そもそもあの恐ろしい魔王と出会ってしまう可能性があるのに、本当に来てくれるのか?」
しかも、僕を元気づけようとしたガルドスの言葉を、否定するようなことすら言ってしまう。
そんな事を考えたって気が滅入るだけで意味なんて無い、そう思うけど止められなかった。否定的なことしか、悲観的なことしか考えられなかった。
ガルドスは、からからと笑うと首を振った。
「ははは、王太子殿下がそう思われる気持ちも分かりますがな、王都には部下のアルベールがおります。信頼できる男ですし、王弟ジョルジュ様もおられます。あの方は少々執務嫌いなところはありますが、成すべき事を成すべき時に成すことを躊躇うような方ではありませんぞ?」
「……そうか」
確かに近衛騎士団副団長アルベールも王弟ジョルジュも、立派な人たちだ。
「……僕とはちがってね」
ぼそりと口の中だけで呟く。
昏い感情ばかりが、ぐるぐると自分の中で渦巻いている。そんな事ではいけない、と頭では理解できるが感情が追いつかない。
そんな時だ
「ギャギャギャギャッ!!」
「ガオオオオオオンッ!」
「ヴオオオオオオッ!」
周囲から聞こえてくる、魔物たちの声。
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