第82話 おしごと
「また騎士団の方へ行っておったのか。妾を置き去りにして」
近衛騎士団の本部でお昼を食べて王城の執務室に戻ったボクを、リリアーヌのそんな不機嫌な声が出迎えた。
ここは王城の2階の執務エリアにある、王族用の執務室。王族用の豪華な執務机が2つ奥に置かれていて、いろんな部署の人たちが王族の決裁を貰うために書類を持ってやってくる。いつもは国王陛下と王太子殿下が座っているらしいんだけど、今はその片方は機嫌の悪さを隠そうともしないリリアーヌの席となっていた。
そしてそのリリアーヌの横にはひとりの白髪で眼鏡をかけた老人が立っている。
王国の宰相をしてらっしゃる、モーントル・ド・リシュリュー様だ。何人もの内務卿や宰相を輩出した名門リシュリュー侯爵家出身で、陛下の片腕とも言われる方みたい。侯爵家の方だけあってレースで装飾されたシャツを着込み、その上には美しい刺繍の施された赤いコートを着こなしている、いかにも高位貴族の方って感じの人だ。
いまこの部屋にいるのは、あともう一人。
部屋の隅には使用人が紅茶を入れるための作業机が備え付けられていて、その作業机の横にはリリアーヌ付きのメイド、エステルさんが直立不動で控えていた。
「う……ごめん、リリアーヌ。ボクだけ体動かしてすっきりしちゃって……」
なんだか申し訳なくなって軽く頭を下げると、リリアーヌの横で書類の仕分けをしていた宰相様がはぁ、とため息をついた。
「シルリアーヌ殿下、謝罪なさる必要はありませぬぞ。なにせシルリアーヌ殿下は受け持たれた執務を終えられているのです。執務が終わらずに居残りになっているリリアーヌ殿下に引け目を感じる必要はございませぬ」
「なあっ?! なにを言うか、モーントル! 見てみぃ、この書類の山を! 妾の仕事量の方が多いのではないか?!」
宰相様の言葉にがばりと顔を上げ、くわと目を見開いて机の上を指さすリリアーヌ。
そこには、未処理の書類が山と積み上げられていた。
「そんな事はございませぬ。わたくしめがきちんと数えて仕分けしてございます。きっちり同じ量でございます」
ぴしゃり、と言い放つ宰相様。
「そんな事は無いのじゃ! 明らかに妾の方が多いじゃろ! のぅ、エステルもそう思うじゃろ?!」
リリアーヌは宰相様に自分の言葉を否定されたけど、諦めきれずに部屋の隅で微動だにしないエステルさんに声をかける。だけど、帰ってきたのはまたもため息。
「はぁ、リリアーヌ様。今あなたは執務中で、私はただのメイドです。宰相閣下もおられますし、あまり気軽にメイドに声をかけられるのはいかがなものかと……」
「細かいのぅ! モーントルもそんな細かいことでうるさく言わんじゃろ!」
「いえ、確かにリリアーヌ殿下にあまりうるさく申し上げても聞いては下さらないようなので、わたくしめからは申し上げませぬが……。しかし王族としてあまり好ましい事ではないのは、理解して頂きたいですぞ」
「にゃにおーーーーっ?!」
エステルさんからは気軽に声をかけるなと釘を刺され、宰相様からも追い打ちがかかる。
憤慨し声をあげるリリアーヌがかわいそうになり、リリアーヌの隣の豪華な執務机に腰掛けた。ここがここ最近のボクの指定席なのだ。
「くすっ、手伝うよ、リリアーヌ。そっちの書類、半分ちょうだい?」
「お、おお……さすがシルリアーヌ! なんと優しいのじゃ!」
「はぁ、シルリアーヌ殿下、甘やかすことは優しさではありませぬぞ?」
ぱあっと満面の笑みになるリリアーヌと、またもため息をつく宰相様。
でも宰相様は、そう言いつつもリリアーヌの机の上の書類を半分こちらに持ってきてくれる。生真面目な性格のこの方は、いろいろ苦言を呈することはあるけど最終的には自分が折れてこちらに便宜を図ってくれる事が多い。なんだかんだで優しい方なのだ。
「ありがと、ごめんね宰相様」
「いえいえ、構いませんとも。それとシルリアーヌ殿下、わたくしめの事は宰相様、ではなくモーントルとお呼びください。王族の方が臣下に敬語など使われては、王家の威厳が損なわれますぞ?」
「はぁい」
怒られちゃった。
ちょっと首をすくめて、おとなしく書類と向かい合う。
ボクがこの王城に通うようになってから、ずっと書類とにらめっこを続けている。いろんな部署から上がってくる決裁に目を通してサインをして返す、これが王族の一番重要な執務で、これが滞ると王国の運営に支障が出ると宰相様から説明された。
国王陛下と王太子殿下が御親征で不在の今、王国を実質動かしているのは王弟ジョルジュ殿下だ。
国王陛下の実の弟で優秀な方だけど権威や権力に興味の無い方で、普段は自分の屋敷にこもって読書や研究なんかをして過ごしているらしい。だけど国王陛下と王太子殿下が不在で、王妃エリザベート陛下が自分から動こうとされないから仕方なく国王代行的な役回りを引き受けているみたい。
そしてその王弟殿下は魔物の襲撃で被害を受けた王都の復興の陣頭指揮を執っているため、書類仕事なんかがボクとリリアーヌに回ってきたんだ。
「というかの」
そんな事を考えていると、リリアーヌが不満そうな声を上げる。
「アレクサンドルお兄様はどこへ行ったのじゃ? ウイリアムお兄様が不在なら、王位継承権第二位のアレクサンドルお兄様が執務をするべきじゃろうが」
……そうなんだよね。第一王子ウイリアム殿下が不在のいま、本来執務の指揮を執るのは第二王子アレクサンドル殿下だ。だけどいま、アレクサンドル殿下はここにはいない。
というか、どこにいるのか誰も知らない。
「それはそうなのですが……」
宰相様が困ったような顔で肩を落とす。
「アレクサンドル殿下は『魔物狩りに行ってくる』と言って出て行ったきり、どこにいるのか分かりませぬ。王妃陛下であればご存じかもしませぬが、アレクサンドル殿下に殊の外甘い王妃陛下のこと。おそらく答えては下さりますまい」
「おかしいじゃろ?!」
宰相様の答えに、リリアーヌが机をばんばんと叩く。
「この王国の危機に、第二王子がどこをほっつき歩いているか誰も分からんというのはどういう事じゃ?! おかしいじゃろ! それこそ王族の威厳とやらが損なわれるのではないのか!!」
「は、はい……それは確かにおっしゃる通りなのですが」
憤懣やるかたない、といったリリアーヌの様子に、宰相様が困ったようにハンカチを取り出し額の汗を拭いた。
宰相様の眼鏡がちょっとずり落ちるのを見ていると、なんだかかわいそうになってくる。
だから、リリアーヌを見つめてふるふると首を振った。
「ねぇリリアーヌ。第二王子殿下がいらっしゃらないのは宰相様のせいじゃないし、いないものは仕方ないよ。ボクも手伝うからさ、ちゃっちゃと片付けてしまおうよ」
「シルリアーヌ、お主……」
「シルリアーヌ殿下……」
にっこりと笑いかけると、リリアーヌと宰相様はぽかんとこっちを見つめていた。
「さぁ、かんばるよ!」
わざとらしく明るい声をあげ、机の上の書類に目を通し始める。
騎士団の備品の申請みたいな規模のものから、被害の出た王都の復旧工事費用、魔族との戦線の維持に必要な戦費の申請まで。王族の元に上がってくる決裁の幅は広い。
あれ?
「宰相様、この騎士団の備品の申請、まえも同じもの無かった?」
「え? あ、そう、ですな……も、申し訳ありませぬ。手違いで二重に決裁が上がっていたようですな、この書類は破棄しておきます」
声をかけると、宰相様は書類を確認すると首を振った。
「それとシルリアーヌ殿下、モーントルとお呼びくださいと申し上げたはずですぞ」
「あ、ごめんなさい……。あと、これなんだけど……この治水工事の決裁、どうしてこんなに膨らんでるの? 前見た予算申請だとこの半分くらいだったと思うんだけど」
「どれどれ……ああ、これは確か魔物の襲撃で既存の堤防にもかなりの損害が出たと報告が上がっていたはずですぞ。新たな堤防建設と既存の堤防の補修で、規模が倍程度に膨らんだと思われます」
「あ、そうなんだ。大変だね……じゃあこの決裁も承認ということで」
さらさらっとサインをして、書類を決裁済みの山に移動させる。
次の書類に目を通していると、リリアーヌがこっちをじとっと見ているのに気がついた。
「リリアーヌ、なに?」
「お主のぅ……この城に来て王族の仕事を手伝うようになったまだ一月程度よな?」
「うん、そうだよ? まだまだ分からないことばっかりで、宰相様の手を借りてばっかりだよ」
王国の仕事は本当にいろんな種類があって、分からないことばっかりだ。
だからいちいち宰相様に聞いてばっかりだし、それにきちんと答えてくれる宰相様はすごい。
そう思って答えたんだけど、ぶちっという音が聞こえたような気がした。
リリアーヌががたあっと立ち上がり、両手を振り上げ机の書類をばさあっと放り投げる。
「それにしちゃ手慣れすぎじゃろ! 城に来て一月で妾より仕事が早いとか、順応性が高いとかいうレベルじゃないじゃろおおおおっ!!」
「わあっ?! リリアーヌが壊れた?!」
思わずひっくり帰りそうになるボク。
「リ、リリアーヌ殿下がご乱心なされたっ?! エステル、殿下を取り押さえよっ!」
「わ、分かりましたっ! リリアーヌ様、気持ちは分かりますがお気を確かに! シルリアーヌ様が意味不明な順応性でなんでもさらっとこなしてしまうのは、今に始まったことではないでしょう!」
宰相様がびっくりして声を上げ、荒事は苦手な宰相様に代わってエステルさんがリリアーヌを押さえ込んで落ち着かせる。
「……意味不明って言い方はヒドくない?」
小声で不満を表明するけど、宰相様とエステルさんは興奮したリリアーヌを取り押さえるので必死。
「くすっ」
でも、自然と笑いが漏れる。
リリアーヌ達といっしょなら、最初は戸惑った王族の執務だってこんなにも楽しい。エステルさんもいるし、宰相様もやさしい人でとても助けられている。
そして、ここにはいないけどジゼルちゃんだっている。
「あ、そろそろ帰らないと」
気がつけばもうそろそろ日が落ちる時間になっていた。
「なぬ? もう帰るのかの?」
ぴたりと動きを止めて、リリアーヌ。
「のうシルリアーヌ、何度も言っておるがの、王城に住んでも良いのじゃぞ? お主は王族、この王城がお主の家でもあるのじゃぞ?」
リリアーヌが真面目な顔で、でも少し心細そうな表情で言ってくる。
確かにそれはそうだ。でも、ジゼルちゃんのこともあるしボクはまだリリアーヌみたいにこの王城に住む気にはなれなかった。
だから、ひらひらと手を振って言う。
「ごめんね、じゃあ帰るよ。また明日ね、リリアーヌ」
この王都でのボクの住む場所へ帰るために。
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