魔物と旅人9: 眠れる姫と魔物
魔物を連れた男が、当家を訪ねて来られました。
「アドラー侯より手紙を頂き、参りました。取り次ぎを願いたい」
男は異国の旅人のような格好をしていましたが、手にしていた手紙には、確かに侯爵家の封蝋が押してありました。
「しばらくお待ちを」
預かった手紙を侯爵様に見せると、「通してくれ」とおっしゃいました。
「お待たせいたしました。こちらへ」
男は肩に魔物を乗せたままでしたが、特に隠すご様子もありませんでしたので、そのまま客間に通しました。
侯爵家には、特殊な事情があったからです。
客間では、侯爵様と奥様が揃って男を出迎えられました。
「わざわざ来てもらったのは、他でもない。娘がもう3週間も目覚めないのだ」
侯爵様はこの家で起きたことを、男に語りました。
侯爵家の長女、シュリーダ様は、隣国の公子様とのご結婚が決まっていました。
お輿入れまであと1ヶ月というある日、突然眠ったまま目覚めなくなってしまわれたのです。
毒を盛られたのか、はたまた呪いか、あまたの魔法使いや祈祷師が呼ばれ、様々な術を施しますが、未だお目覚めにならないままです。
呼ばれたこの方も、同じような方なのかもしれません。
「あなたが隣町で同じように眠ったままの少女を救ったと聞き、もしや何らかの方法をご存じかと思い、ここに呼んだのだ」
「私が救ったわけではありません。その時、たまたま近くにいただけです」
それを聞いた侯爵様は、たいそう落胆されていましたが、藁にもすがるおつもりで
「一度でいい。娘を見て頂けないか」
とお願いされました。
「私は、医者でも、祈祷師でもありません」
男は何度も断りましたが、侯爵様は一分の望みを託し、男を連れてお嬢様の部屋へと行かれたのです。
お嬢様はお部屋のベッドで眠っていらっしゃいました。
うなされるわけでもなく、ただただ眠り続けるだけ。
このようになられた前日も、特に何かがあったわけではありませんでした。
男は、お嬢様の様子を見ましたが、やはり判らない、とおっしゃいました。
そこへ、ずっとおとなしく肩に乗っていた黒くて丸い魔物がふわりと浮き、お嬢様の周りをふわふわと飛びながら1周しました。
そして突然、
「ふーーー!!」
魔物は、何もないところに向かって、毛を逆立てていました。
それを見て、侯爵様は男と魔物に今日1日お泊まり頂くようお願いしました。
男はあまり気乗りがしないようでしたが、魔物の様子がおかしいのと、侯爵様が是非にと願うので、とうとう根負けして、その日1日だけ滞在することを了承されたのでした。
お嬢様の部屋には、目覚めた時や、様子が変わられた時のために交代で侍女がついており、その日の夜は私が当番でした。
夜は、眠くならないよう、少し苦めの飲み物が用意されていました。侍従長様のお心遣いをありがたく思いました。
お嬢様は眠ったまま、全くお目覚めになる気配がありません。
3週間に及ぶお部屋付で、皆お嬢様を見守れる範囲で本を読んだり、針仕事をしたり、当初ほどの緊張感はなくなっていたかもしれません。
夜もかなり更けた頃、何やら黒いものが部屋を漂っているのが見えました。
気になり、お嬢様の寝台へ近づくと、ふらふらと飛んでいた黒い丸いものが、お嬢様のお布団の上で止まり、
「きゅい」
と鳴きました。
魔物です。
なんて不吉なことでしょう。
私は魔物を追い払おうとしましたが、どうしたことか、体が動きません。
立ったまま、魔物がお嬢様に近づくのを止めることもできず、ただ見ているだけです。
「きゅ?」
魔物が、お嬢様の額の上に乗りました。
すると、黒くてモヤモヤした煙が寝台の上に広がりました。
その煙の中に、お嬢様の姿がありました。
お嬢様は、ゆったりとしたご様子で、殿方に寄り添っていました。
周りはピンクや白のバラに囲まれ、最近は滅多に見せなくなっていた、幸せそうな笑みを浮かべていらっしゃいます。
そこへ、あの魔物がモヤモヤした煙の中に入り込みました。
魔物は煙の中で銀色に輝き、人のような形になりました。
「チガウ チガウ」
銀色の人型が、お嬢様の手を引っ張ります。
すると、隣の殿方も、お嬢様の手を引きました。
「シュリーダ、あなたは私のものだ」
「ディーノ…」
お嬢様は、殿方を見つめて、そのままその手の元に身を寄せます。
「チガウ チガウ」
銀色の人型が、さらに強く引っ張りました。
すると、殿方の顔が歪みました。
「邪魔をするか!」
黒い闇色の煙が伸びてきて、銀色の人型の首を絞めました。
銀色の人型は、一旦崩れましたが、崩れたときに銀色の光を辺りにちりばめました。
すると、さっきまでの美しく咲いていたバラたちがみるみるうちに枯れ、そのまま背後は真っ暗に変わったのです。
お嬢様はうろたえていました。
再び光が集まり、人型になった銀色は、お嬢様の手を引きます。
「チガウ、 ディノ チガウ」
そして、銀の手が、お嬢様の手を掴んでいる殿方の手をはじくと、殿方の手は肘から先が木の枝のように痩せ細った姿に変わったのです。
「シュリ オキル シュリ」
銀の人型は、お嬢様の名らしい音を叫びながら、お嬢様のそばにいる男を振り払おうとします。
自分の体が闇にはじかれ、何度光の塵に戻ろうとも、懸命に立ち向かう姿に、お嬢様を助けようとしているのだと、そう感じました。
この方は本当に魔物なのでしょうか。
「スキ ウソ ダメ …ユルサナイ!」
銀色の人型の広げた手から、その体以上に鮮やかな銀の光が発せられ、お嬢様を握っていた殿方の手が離れました。
光が収まると、そこにいたのは棒のように細い体に、紫色の目を光らせた魔物でした。
銀の光は集まると、再び人の形をし、お嬢様を自らの背後に回しました。
そして新たに集まった光が剣の形をなし、銀色の人型の手に握られたのです。
魔物の出した杖と、銀色の人型の剣が交差し、音なき音を立てます。
ようやく私の体が動きました。
「だ、誰か、誰か!」
廊下に出て助けを求めると、館の護衛の方と、見かけない男の方が駆けつけました。
そして、その見かけぬ方が、黒い闇に向かって剣を振り下ろすと、お嬢様と銀色の人型、そしてあの紫の目の魔物の世界を切り分けたのです。
紫の目の魔物はそのまま闇の半分に埋もれながら、消えていきました。
もう半分の闇に残されたお嬢様と、銀色の人型は、切られた断面からこちらの世界をのぞき込んでいました。
お嬢様がいる闇も、二人を飲み込もうとしているように見えました。
突然、銀色の人型がお嬢様を突き飛ばすと、お嬢様は闇を抜け出し、そのままこちらの世界のお嬢様の体の中に吸い込まれていきました。
「来るんだ!」
闇を切った男の方が、銀色の人型に向けて叫び、手を伸ばしました。
銀色の人型もその声に気付き、両手を伸ばし、しがみつくようにお互いの腕に、そして背中に手を回します。
男の方は力を込めて闇から銀色の人を引き抜き、自分の元へと引き寄せました。
長い髪が揺れ、少しだけお顔が見えたような気がしました。
「XXX XXX XXXXX ……」
お二人が抱きしめ合った数秒後、銀色の光ははじけ、あの銀色の人は、いなくなってしまいました。
それから数分後、お嬢様はお目覚めになりました。
騒ぎを聞きつけて駆け寄ってきた館の者は、皆喜んでいました。
すぐに侯爵様にご報告すると、着替えもそこそこに侯爵様と奥様が現れました。
皆様、大変お喜びになっていました。
ですが、あの闇を切った男の方は、いつの間にかその場からいなくなっていました。
お嬢様は「夢魔」という魔物にとりつかれていたそうです。
お嬢様が目覚めたと聞いた隣国の公子様ご一家は、予定通りお嬢様との婚姻を進めると仰せになり、目覚めたばかりだというのに、翌週には隣国へ向かえるよう準備せよと命じられました。
その命が当家に届いた頃には、お嬢様は再び動けない状態になっていました。
お目覚めになった翌日、お嬢様は目は覚めているのに体の自由がきかず、起き上がることができなくなりました。
お嬢様の体は次第に黒ずんでいき、やがて全身まっ黒になると、そのまま身罷られてしまわれたのです。夢から戻られて、ほんの3日後のことでした。
「夢魔」の呪いが残っていたせいだと、聞いています。
侯爵様と奥様は大変悲しまれましたが、呪いが広がってはいけないから、と早々に神殿で魔法による火葬がとりおこなわれました。事後に行われたお嬢様の葬儀もお身内の方だけでしめやかに行われたのでした。
隣国の公爵家からは、数日後にお悔やみの手紙が届きましたが、病の者が来なくて良かった、といったことが遠回しに書かれていたようです。
それ以降、連絡はありませんでした。
決して、手の届かない人だと諦めていたのに、今、こうして隣にいるその人の手を握り、信じられない気持ちで一杯だった。
あの長い眠りから目覚めた日の朝、突然現れたお嬢様は少し痩せていた。
今まで見たことのない、シンプルな服を身にまとい、普段されたことのない三つ編みで髪をまとめていても、その美しさは変わらなかった。
「私を助けてくださったお友達が、心に嘘をつかないなら協力すると言ってくれたの。私はあなたが好きよ、ディーノ。あなたは?」
お嬢様の問いは、心を大きく揺さぶった。
お嬢様が目覚めなくなってから毎日、思いは募るばかりだった。
例え他国へ嫁がれることになったとしても、もう一度、会いたい。
そう思い続けた人が無事な姿で現れ、自分を思っていると心を告げられた。
侯爵様への忠誠を誓い、ずっと秘めていた思いを打ち明けずにはいられなかった。
「シュリーダお嬢様、いや、シュリー。わたしもです。あなたをお慕いしています」
「私はもう、侯爵家のお嬢様ではなくなるわ。それでもいい?」
「もちろんです。あなたがあなたであるなら…」
我々二人の思いを見届けると、黒い魔物はお嬢様の身代わりとなる土人形に魔法を込め、シュリーダお嬢様が死ぬまでの姿を模し、人々の目をごまかしてくれた。
それは、侯爵様ご夫妻もご承知の上での偽装だった。
私のような身分の者にお嬢様を託してくださったのだ。
ご夫妻が願われたのは、「お嬢様が幸せであること」そして「近くにいること」だった。
「助けてくれてありがとう。…本当にありがとう」
シュリーは、友になった黒い魔物を手に乗せ、頬ずりをした。
魔物は
「きゅい」
と鳴いて、全身を使って頬ずりをし返した。
夢から覚めた途端、魔物の言葉は理解できなくなり、シュリーはもっと話をしたかったとがっかりしていた。
「あなたのお名前は何て言うのかしら」
「きゅい?」
黒い魔物は首をかしげていた。
代わりに、男が答えた。
「もう、名前も覚えていないのです・・・。どこから来たかも、どうして私といるのかも」
「そんなことはないわ」
シュリーは、魔物に笑いかけながら言った。
「私、確かに聞いたわ。自分の体に戻ったあの時に、人の姿をしたこの子があなたに向かって『ずっとあな…』んぷっ!」
魔物は人の姿で最後に語った言葉がシュリーの口から発せられる前に、小さな体をその口に押し当てた。
言葉が閉ざされると、
「きゅ!」
と小さく悲鳴のような声を上げて、一緒にいた男のポケットの中に隠れてしまった。
小さな友達の照れる様子を見て、シュリーは
「大事な言葉は、むやみに口にしてはダメね」
と言って笑った。
男は魔物に向かって
「その言葉なら、ちゃんと聞こえていたよ」
と言って、この屋敷に来てから初めて笑顔を見せた。
私とシュリーは、姿が見えなくなるまで、旅立つ2人を見送った。