ヘクソカズラ
私は、まさに親の忠犬であった。幼いころにつながれた鎖の跡は、今も私の首根っこに焼き付いて離れることを知らない。
五月四日、雪が天馬のように吹き荒れる新潟に、わたしは生まれた。昭和40年のことだ。一人っ子の長男として生を受けた私に、両親は常に猫なで声で話しかけてきた。 今となっては、四苦八苦の末に授かった男児。 両親の気持ちも吐き気を催すほど理解はできよう。私の母と父は、縁談に持ち上げられたそうだ。 しかし、父と母のつがいは嫌悪にまみれて啜れていたらしい。 母方の家は教育一筋、父方の家は明治27年の支那激突から続く軍部系の家柄。おまけに仲人もつけない完全なる政略結婚。うまくいくわけがなかろう。 しかし当時の私のような餓鬼にはそんなこと知る価値もない。
私は父と言葉を交わしたことがないも同然である。事実、私のどこにも父の容は見受けられない。父は事あるごとに癇癪を起し、酔いが回ったお頭を背に、母のことを春をはたいた手掛だと蔑んだ。母はその度私を抱え、涙を枯らすために空を仰いだ。私が母に哀れを感じたのは、それが最初であったと記憶している。
酔いがさめた父は私を抱きしめ、母と打ち解けようと首を垂れた。私が軍人に嫌悪を覚えたのは、まぎれもなく父の影響である。
そんな境遇にいた母は、とかく私、そして文学に依存した。 私には小学校の頃の目ぼしい思い出など残っていない。毎日勉学ばかりに励み、家に戻ってからは父と母の争いを眺め、夜は自分の存在を否定しながら朝日を待つ毎日。 休日は母に押し付けがれるがまま、太宰や芥川らと交流を交わした。 私は幸いにも(今となっては災難だが)勉強ができたせいで、彼らに期待される存在となってしまった。
友?師?そんなものは紙切れ上の存在。私のすべては母に牛耳られたのだから。
一度だけ、見慣れた公園で遊びに誘われたことがあった。 私は思考の末、彼らに踵を返して家に戻った。
もし、彼らの誘いに乗って母の束縛にあらがっていたら?もし、進みあぐねたその足を前へと動かしていたら? 私はとんだならず者にでもなっていたのだろうか。もし、、、いや、もうよそう。私に過去を悔やむ資格などあるはずがないではないか。 彼らは周りの人間と交流を交わし、挫折を味わい、半歩づつ前へと進んでいったではないか。お前は志を持たず、自分のレールにばかり目を向けた。 案山子にも藁が仕込まれているのに、、、。俺には何の進歩もない。誰にも見られない、不埒な私を笑ってくれ。
私が初めて新潟を出たのは、18才の春であった。 書くまでもなく、母と父の勧めによる上京である。
新潟を立つ朝。 私を送った母は、堕落した父を思わせぬ涙を流していた。 私が母を見たのはそれが最後である。 もう会うことはあるまい。 私がみたその母は、酷くみじめで、不純で、啜れていた。 息子が巣立つまで束縛を続けておいて別れを惜しみ涙を流すとは。 私がまるで故郷一の御曹司だとでも思っているかのような態度には、心底体たらくな何かを感じた。私は今日まで新潟の雪を見ていない。 自らの失望と、東京での無色透明な毎日を手に、私は列車に乗り込んだ。
だが、上京した私を待っていたのは、鮮やかな日々であった。
ひどく閉鎖的な場所から飛び出た私に待っていた人々、学、環境が、今の私をかたどっていった。
いままでよみたくなかったほんが、今まで感じえなかった学ぶ楽しさが、私の周りに集まってきたのだ。
私はそこで初めて母から受け取った品々から逃れられた気がした。新潟にいた私が最も軽蔑し、またもっとも熱望していたまいにちが、そこにはあった。 世間から見ればごく当たり前の風景かもしれない。 毎日毎日トモダチと本をよみ、批評も言えない感想を出した。 むろん、たまにはうまく文通が書けない夜もあったさ。
トモダチが還って頭痛のタネになることも。 でも俺はすごく薄情でさ、一晩もたてば何もかも忘れられたんだ。それはトモダチも一緒だったんだよ、笑えるだろ? そんな日には昼間っから酒を酌み交わしたもんさ。
私たちはまた、数多の悩みを打ち明けた。ほっとかなかった。ほっとけなかった。悩みを打ち明けられたら私たちは、それに全力で向き合った。 何時しかそれが当たり前になるころには、母から受けた仕打ちはほこりをかぶっていた。 そして、彼らのおかげで私は初めて夢を持った。 いとおしの本を私の手中に納める、あの、なんとも言われぬ昂奮、本を読むことで作者から契られる余韻。それらを彼らとわかちあううち、私の執筆は群をなした特別なものになった。私はこれで飯を食い、妻子を持てる。そう思うようになった。 新潟の家族は悲しむだろう。もはや勘当は避けられまい。いままで従順だったいぬっころが、精一杯に毛を逆立てながら飼い主の顔に、噛みつく。故郷を捨てることになるだろう。だが、彼らだけは、彼らだけは私を見捨てやしないだろう! そうさ、私にはトモダチがいる、彼らなど知ったことか。
かくして私は、筆を握り続けた。 大学在学中はもちろん、学問から解放されてからは一層のことである。 不安など何もなかった。頭からあふれ出るアイディアに難儀したほどだ。
毎日毎日、まるで未来の自分を選別するように書き記し続けた。 そうするうち、あんなにそばにいた彼らは、だんだんと、私から離れていった。 彼らはいっぱしの社会人として、学びの外から飛び出した。私一人を、置き去りにして。 いや、私がそこにとどまったのだ、だが当時の私にはそう映った。 私だけが、夢を追いかけた。 あんなに近くにいた彼らは遠く向こうに行き、やがて私から距離を置いていく。
私はおろかな男である。思えば、私の不幸はすべて私自身が生み出したものなのかもしれない。 彼らと違う道を選んだ私に、これからいくつの難題が降りかかるのだろう。 私の情けない文章を、いったい誰が見るというのか。 私は、いつから間違えたのだろうか。 今まで誰が、私を必要としたのか。 私は、何を成し遂げたのだろう。