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帰路は淡々としていて、徐々に自分がエルフリーデという存在からエルフリートという本来の自分へと戻っていくようだった。王都から遠ざかると、男性物の服に戻して化粧もやめた。
“中性的な男の子”になったエルフリートはとうとうカルケレニクス領の直前の細く切り立った崖を目の前に、本当に故郷へと戻ってきてしまった事を実感した。
「……ただいま、我が故郷」
いずれはこの馬車一台片道通行の崖にある道をどうにかしないといけないだろう。王都へと繋がるこの道は徐々に広がり安全になってきているが、国の防衛を考えると好ましくはない状況のせいで毎年のように道幅については国と揉めている。
非常時には魔法で道を崩壊させ、孤立して戦う事になっているからである。非現実的に見えるけれど、攻められにくく補給もしにくい場所だからトカゲのしっぽ切りをした方が国としては打撃が少なく済むもんね。
ごつごつとした切りっぱなしの崖を触りながら渡りきる。岩のように硬化した土は、自然の力で削られていったものと魔法によって削られたもので質感が違う。自然の力によってなめらかになった感触がとても懐かしく感じられた。
半日ほど進めば屋敷が見えてくる。おおよそ一年ぶりの我が家をゆっくりと見上げる。一年で何かが変わるでもない。記憶と寸分違わぬ見慣れた光景である。
だが、扉を開いた先に広がる玄関ホールは、エルフリートの記憶と全く異なっていた。
「え?」
目の前にはエルフリートがよく知る絵本そのものの衣装を身にまとったロスヴィータが立っている。
「おかえり、エルフリート」
「……え?」
彼女の背後にはエルフリートの両親が立って頷いており、目の前にいる彼女が決して幻なんかではないと伝えてくるようだ。
「返事は必ずすると言っただろう」
「――本物?」
「そうに決まっている」
一歩一歩、ゆっくりと王子様が近づいてくる。燃え上がるような情熱的な赤をメインカラーにしたジャケット、深みのある闇夜のような光が当たると群青色をのぞかせる紺色のパンツ。
装飾物は金色で統一されているが、彼女の艶やかな金糸のせいか嫌みを感じさせない。むしろ馴染んでいて自然だ。彼女用に仕立てられた革靴は周辺を歩き回っても問題ないように足首までホールドされるタイプらしく、編み上げられた紐が裾から覗いている。
いつも以上に王子様だぁ……。
これから一体何を言われるのだろうかと緊張する自分の精神を安定させようと、あえてのんびりとした感想を抱く。
「エルフリート」
「はい」
ロスヴィータがエルフリートの目の前で片膝をつく。
「この前の申し入れ、ありがたく受けさせていただきたい。
――その証に、こちらを受け取ってはくれないか」
恭しく掲げられたその小箱には、指輪が納められていた。一見、変哲もない指輪のようだが、エルフリートには分かる。これは魔法具だ。
指輪の内側には魔法を込められる宝石がついているのが見えるし、魔法具独特の魔力の流れが感じられる。
その宝石はロスヴィータの瞳を彷彿とさせる、美しい碧だった。まっすぐに向けられたその瞳と同じ色である。
「……はい」
思わず左手を差し出した。ロスヴィータはくすりと笑うと、その指輪はエルフリートの薬指にぴったりとはまった。
「ありがとう、これであなたは私だけの妖精さんだ」
ほっとしような、少し照れくさそうな声、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべた顔、そしてこのシチュエーション。全てがエルフリートの想像を超越していた。
何か、言わなきゃ。そう思うエルフリートの思考と裏腹に大粒の涙が一粒こぼれ、ぷつりと意識が途絶えた。
「普通あそこで気絶するものかしら? それに何このお花畑」
「王都では、たまにありました。ふふ、私が王子様過ぎだと感激してくれている証なので、私としてはわかりやすくて好きです」
「まあ」
気絶したエルフリートを難なく抱き留めたロスヴィータは、数分で目覚めるだろうとその場に座り込んだ。一瞬エルフリートの家族や屋敷の人間がどよめいたものの、ロスヴィータの慣れた動作に異常事態ではないと察したらしい。
エルフリートの両親とエルフリーデ――こちらは本物のエルフリーデ嬢だ――だけが近づいてきた。
エルフリートを抱えたロスヴィータの周囲には、鮮やかな花の幻影が発生している。家族の足で平気で踏み荒らされているが、ただの幻である花々がダメージを受けた様子は全く見られない。
「お兄さま、本当に王子様に弱いのね」
そう言って笑うのはエルフリーデで、王都へ行ったらそのままエルフリーデとして周囲にとけ込みそうなくらいエルフリートの女装姿にそっくりである。
強いて違いを上げれば、瞳の色に青みが強い事くらいだろうか。
「本当に、こんなので良いの?」
そう聞くエルフリートによく似た少女に、ロスヴィータは笑顔で頷く。そして視線をエルフリートへと戻し、ここ一月ほどの事を思い起こした。
ロスヴィータはレオンハルトに相談を持ちかけていた。婚約の申し入れを受けたいが思い切り驚かせたいのだと彼に言えば、今までにない笑顔を見せてくれたものだ。
最も効果的なのはロスヴィータが王子様らしく振る舞う事だ、という助言をもとに彼女が考え抜いたプランは思いの外手間のかかるものになってしまった。
だが、それは両家の両親と貴族のわがままで何とか実現する事ができたのである。




