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鋭い眼差しをしたエルフリーデがマロリーとの距離を一気に詰めてきたと思ったら、そのまま地面に叩きつけられた。その衝撃で意識が飛ぶ。訓練だからと油断した訳ではないが、結構な勢いの攻撃がマロリーに決まった。
最後に見たのが彼女の真剣な瞳だったせいか、あの恐ろしい考えを思い浮かべた時の妄想が、走馬灯のように駆け抜けた。
エルフリーデは別人である。恐ろしい考えがマロリーの頭に浮かんだ瞬間、ざわざわと恐怖が背筋を走った。しかしである。この考えが本当だとして、本物のエルフリーデはどうしたというのだ。それに、そこまでしてエルフリーデになる理由が分からない。
だって、マロリーの知っているエルフリーデは夢見がちな少女で、いつもロスヴィータにべったりで、彼女を常に守っている。まれに鋭い顔つきになるものの、それ以外に不安なところなど全くないように見えていたのだから。
今だって、ロスヴィータの能力を伸ばすべく、模擬戦をしている。
いや。マロリーは思い直す。ロスヴィータは末端とはいえ王家の血筋。王からの距離が近いのはこの女性騎士団設立が証明していて、彼女自身に十分価値がある。彼女狙いだと考えるのが妥当だろう。または彼女に親しい――たとえば王の命が目的だとか。
マロリーの考えを混乱させるものは他にもあった。というのは、とあるアクシデントが原因である。それは魔獣討伐に駆り出された時の事であった。
エルフリーデがロスヴィータをかばって怪我をしたのだ。その場所は腕であった。魔獣の鋭い爪によって傷つけられたその腕には、一生残るであろう深い跡があった。普通の貴族であれば責任問題を問われる事態である。
しかし、エルフリーデは嘆くどころか自慢して見せた。
「腕一本取られてしまったら困るけど、これはロスを守った勲章だもの」
そう言ってまだ治りきっていない傷を見せてこようとしてきた事すらあった。もちろん丁寧に遠慮願った。特に今回は、腕を失うリスクのある行為だった。
そもそも剣だけでカバーできないなら自分の体を使う……それを判断し、実行するのは並大抵ではない。
そこまでして王の命を狙いたいのか、単純にロスヴィータを守りたかったのか、マロリーの中で天秤が揺れるに相応しい出来事だった。
それにしても、傷を勲章だと言って喜ぶ女性を見た事がない。傭兵生活をしていたバルティルデですら、信じられないという顔をしてきたあたり、普通じゃない。
傭兵ですら、女性は傷を気にするのだ。傷が残って喜ぶ人間など女性じゃない。そんな中、マロリーの疑念に一歩近付きそうな会話を聞いてしまった。
「――責任とって私と結婚してくれる?」
エルフリーデの声だと思う。その声は、普段よりも低くて掠れていた。どこか、少年のような――
そこまで考えた時、慌ただしい動きと共に会話は途切れてしまった。ロスヴィータが戸惑った表情で部屋を出てくるのが見える。咄嗟に壁に体を密着させる。そんなつたない偽装にも気が付かず、彼女は気が付かずにどこかへ行ってしまった。
ロスヴィータは明らかに動揺していた。もちろんマロリーも動揺していた。
まさか、エルフリーデは男なのか? 裏も表もなく、ただロスヴィータという王家の血筋に傷をつけない為だけに送り込まれた護衛だとでも言うのか?
「……訳が分からない」
実は、そういう設定を利用して王の命を狙っているうちにロスヴィータに恋をした、とか? それで身を挺して庇った?
むしろ、そもそもロスヴィータと結婚するのが目的? いや、しかしそれではエルフリーデとして偽って傍にいる意味が分からない。ロスヴィータは真っ直ぐな性格をしている。偽りがばれた時点で、その関係は終わりだろう。
エルフリーデは強い。マロリーの妄想が正しかったら、それらを実行するのはたやすいかもしれない。自分の強さを誤魔化し、かつ王家に近付く為に自作自演で誘拐され、ロスヴィータに助けられる事で自身のか弱さをイメージ付ける作戦だったら。飲み物に薬が入っていた、だなんて後からでも言える。考え直せば考え直すほど、エルフリーデが怪しく感じる。
しかし直接聞く訳にはいかない。だって、実力はエルフリーデと天と地の差だ。自分から死にに行くようなまねはしたくない。
――「知らないのが一番」
知らない方が幸せに生きていける事もある訳で。覚悟のないマロリーはまだ、聞けていない。
だからこそ、こうしてやきもきしてしまうのだ。
ますます分からない!
マロリーは頭を抱えた。近くを通りかかった騎士がぎょっとして振り向いたから、睨みつけてやる。小さく「ひぃっ」と声が聞こえたけど、私は何もしていない。勝手に向こうが怯えただけだ。
……少しだけ冷静になる。悩むのは部屋の中でだけだ。それとも難しい魔法書でも読めば、この混乱も落ち着くだろうか。
マロリーは部屋の扉を閉じた瞬間、しゃがみこんだ。
「はぁー……」
エルフリーデを信じたい気持ちと疑いたい気持ちがいまだに渦巻いているし、疑念が浮かんだ時からずっとエルフリーデを疑う方に傾いていたのに。
だが、真剣なあの告白まがいの一言を聴いた途端に彼女――いや、もしかしたら彼かもしれない――を信じたくなったのも本当だ。
「マロリー、大丈夫?」
「あ……ええ、大丈夫」
一瞬、気を飛ばしていたらしい。マロリーは心配そうに首をかしげるエルフリーデに助けられながら立ち上がる。不自然にならない程度に無理やり笑みを浮かべた。
「付与魔法に乱れがあったわ。繊細な術をこれだけ使いこなせるんだから、実戦で乱れないように技を磨いていこうね」
マロリーの乱れた前髪をエルフリーデが整えながらアドバイスをしてくれる。普段と変わらない、立派な先生役である。こんな人間が、裏のある人物なのだろうか。それとも、裏のある人物だから、こんな風に振舞えるのだろうか。
勝手に疑心暗鬼になっておきながら、エルフリーデがこちら側の人間であるという確信が掴めず、中途半端な気持ちになる。怪我が治る間もなく訓練も再開していて、それでいて自分よりも全てにおいて勝ったままだから同じ女性とは思えず不気味に感じるというのも大きいかもしれないが。
「ありがとう、フリーデ」
「どういたしまして。さあ、次行くわよー!」
マロリーは自分の中で燻る疑念を抑え込み、今は訓練に集中するしかない。それが、何が起きても大丈夫なように備える為に必要なたった一つの手段だと分かっていた。
その数週間後、マロリーのそんな気持ちは信じる方へと一気に傾く事になる。
2022.06.12 一部書き換え




