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会場で見かけた時、時間が止まってしまったかと思った。
強烈なオーラを放つロスヴィータに興味を持つ人間は多かった。それらから守りきるには、自分もそれに匹敵する人間になるしかない。いつも以上に自分に対して完璧を求めるくらいには、緊張していた。
ヒールのある靴を履くロスヴィータよりも身長を高くする為、ハイヒールほど嵩増しができるシークレットシューズを履いていたからハラハラした。それに体のラインがはっきりとするスーツだったから動きもごまかせない。
普段は徐々に男らしい体つきになっていく自分にもう少し中性的でいてくれと声をかけているエルフリートも、この時ばかりは、男らしい肉体がほしくてたまらなかった。
どうにかレオンハルト並みの気配りを発揮し、エルフリートとして真剣に学んできた男性パートをミスなく踊ってみせた。それくらいしなければ、彼女に見合うパートナーとして会場に居られなかったのである。
途中不穏な視線を何度か感じたけれど、近づいてくる事はなかった。上出来だったと言える。
そんな中、幸か不幸か、慣れない靴に足を痛めたロスヴィータを手当する為に別室で落ち着いた時を過ごす事ができた。
その時にロスヴィータの炎を灯したのが自分だと知らされたのは正直に言って、とても嬉しかった。あの時の言葉は、王子様と妖精さんの物語にのめり込んで、女装が趣味になってしまうくらいに拗らせてしまった自分に送られるにふさわしいものではなかったけれど。
「妖精さんみたいな私だけど、妖精さんじゃない……」
だからつい、欲が出ちゃったんだ。あんなに情熱的な発言してくれるのに、私の事は見えていないんだもん。妖精って記号でしか見てくれてないのって寂しい。特に“エルフリート”はロスヴィータとの接点がほとんどないんだ。だからあの発言はエルフリートを知って、じゃない。それが不満だったんだ。
「私を見てほしいって、贅沢だよね」
ほんと、贅沢。エルフリートはこつんと机に額をぶつけた。ひんやりとした木の感触が熱を奪い、肌と馴染んでいく。
「あぁーもぉぉぉー」
欲張っちゃダメ。ロスヴィータに再会するまでは、エルフリートも彼女の事を記号のように認識していた。自分の理想の王子様だから、あわよくばお嫁さんになってくれたら良い、なんて最低な考えだった。
ロスヴィータと再会してからは、彼女のその情熱を支えたい気持ちが強くなった。あわよくば、なんて邪で不純な気持ちはすっかり消え失せていたはずなのに。
「焦点がずれているって分かっていても、あんな視線を送られたら誰だって欲張りになっちゃう」
消えていた所に火が投げ込まれたのか、それとも熾火として残っていたのか、分からないけれどぱっと火の粉が散った気がした。そっと薄くなった腕の傷を押さえる。
「もっと、私の事を見てくれたら良いのに」
欲望の火はついたばかり。エルフリートはその火にそっと息を吹きかけ打ち消した。
「フリーデ、知っているか?」
翌日、寮へと戻ってきたエルフリートは何度か声をかけられた。全て昨晩の仮面舞踏会の話題である。
「突然、すごいカップルが現れたんだよ」
「すごいカップルって?」
仮面舞踏会に参加していない事になっているエルフリートは、とりあえず何度めになるか覚えていないが、今までと同じように聞き役に徹する。
「炎の女王ってあだ名が付いたんだが、すごい美女が現れてさ。
それが、ものすごく雰囲気のある男をつれてたんだ」
「そうなの?」
興奮が収まらないらしく、目の前の騎士はエルフリートの手を取った。
「きっと今度の仮面舞踏会にも現れると思うから、一緒に参加しないか?」
おっと、この人は他の人とは違ったみたいだね。他の人はその正体が気になる。って言いだしてたのに。
エルフリートはやんわりと手を離させて一歩距離を取った。
「わたくし、そういったお話はお断りさせていただいてますの」
言葉遣いを変える事で、見えない柵を作る。エルフリーデは清廉潔白でないとね。そういう社交場はロスヴィータやレオンハルトとしか一緒に行かない事に決めているんだ。
「そっかぁ、残念。気が変わったら教えてほしいな」
もう少しごねるかと思いきや、さっさと撤退してしまった。案外さっぱりしているんだね、とエルフリートが心の中で感心していると肩を叩かれた。
「フリーデ、今誰かに絡まれていなかったかい?」
「あら、ロス。久々のご実家は楽しめた?」
しかめっ面のロスヴィータに、質問で返す。あ、眉間のしわが深くなった。そういう表情も良いなぁ……どきどきしちゃう。
「私の方は、昨晩の舞踏会が盛り上がっていたみたいで、その件で話しかけられていただけだよ」
とりあえず、ロスヴィータのしかめっ面の原因を解消しておこう。眉間にしわのある王子様は渋くてかっこいいけど、ロスヴィータっぽくないもんね――と思ったんだけど。彼女は舞踏会って単語を聞いた途端に不安そうな表情に変わってしまった。
「少し落ち着かなかったが、久しぶりの家は良かったよ。
それより、実はその、仮面舞踏会に私も参加していたんだ」
「兄がエスコートするって張り切っていたわ。」
「知っていたのか!」
かみついてきそうな勢いで両肩を掴まれ、思わずのけぞる。わあ、びっくりした。
「うん。ドレスアップした姿を見せに来たの。変な所はないか? って。
突然だったから私もびっくりしちゃった。それで、どうだったの?」
苦笑しながら事情を話してあげれば、彼女はその手を離してくれた。
「いや、ちょっと目立ちすぎたようでね……だが、あなたのお兄様がうまく立ち回ってくれてとても助かった」
「そう! フェーデってば興奮してたからちょっと心配だったの。良かった」
助かったと言っている割には、何となくロスヴィータの表情が暗い。どうしたんだろう。そう思いながら、エルフリートは話を合わせていく。
「変な事はされてないのね?」
「変な事?」
「だって、舞踏会から戻ってきてもあんなに興奮していたんだもの。ぜんっぜん舞踏会の話をしてくれないし、ロスに失礼な事していなかったか心配で」
実際はロスヴィータの態度に、エルフリートが昨晩失態をしたのではないかと不安になっただけである。
問いかけるエルフリートに、ロスヴィータは力なく笑う。
「はは、彼は完璧だったよ。相変わらずね。失礼をしたとしたら私の方だ」
「フェーデの態度からはそんな風には見えなかったけど」
ロスヴィータの言葉に首を傾げながらフォローをするものの、彼女はそれ以上口にする気はないらしい。
「さあ、気分転換は終わりだ。また今日から張り切っていこう」
「あっ、待ってぇ!」
珍しくエルフリートを置いてさっさと歩きだしてしまう。ロスヴィータの態度は気になるけれど、しつこく聞くのははばかりがある。だって、実際は当の本人だもん。
エルフリートはもやもやとした気持ちを抱えながら彼女の後を追うのだった。




