6
「君がそう思ってくれているほど、私はできた人間ではないのだけれど。
……隣に座っても?」
「どうぞ」
紅茶を手にした彼は、優雅に座った。
「私は、君を尊敬しているんだ。
妹からも話を聞いて、一層そう思うよ」
エルフリートが穏やかに語りかけてくる。ロスヴィータは過去の話ではなく、現在の話をしてくる彼にどれだけ自分の事をエルフリーデが話しているのか気になってきた。
兄妹仲が良いのだろうか。
「ロスヴィータ」
「何でしょう?」
思考がどこかに行きそうになっていたのを引き留められる。
「私がきっかけになったのかもしれないが、そうして作り上げた目標をめざし続けているのは君の能力だ。
私に感謝するのは違う」
「え?」
彼はゆっくりとロスヴィータの空いている手に自分の手を重ねた。ほんのりとした温かさがロスヴィータに伝わってくる。
「君は本当にすばらしい。自分の力に自信を持つと良い」
真摯な瞳に小さな炎をくゆらせ、エルフリートは微笑んだ。ロスヴィータは何を言われたのか分からず、瞬きを繰り返す。
「私の力ではない。君自身の力だ。
君が放っている誰よりも強い光は、私が与えたものではない。君は、誰よりもすばらしい人だ」
私の力、だと? ロスヴィータは何を言われたのか分からなかった。
「だから、私の事を崇拝しないで」
思考が停止した。私は、エルフリートの事をそんな風に見ていない。だって、私は。
「私は妖精じゃなくてただの人だからね」
そう言っていたずらっ子のように笑った。やはり、
エルフリーデの笑顔にとても似ていた。
あれから何があったか、半分記憶がない。ロスヴィータとエルフリートは仮面を付け直し、会場へと戻ってもう一度踊ったのは覚えている。あと、エルフリーデの普段の生活を教えてあげたり、いやそれはあの発言の前だったか?
それはともかく、確か会場に戻ったロスヴィータは機械的に彼と踊り、夜会がお開きになるまでいて、彼に実家まで送ってもらったはずだ。ロスヴィータは久しぶりの自室で悶えていた。
決して、無心でダンスをしたせいで靴擦れが結局悪化してしまったからではない。確かに皮がむけてしまって痛いが。
「私の愚か者……っ」
エルフリートは怒っていたに違いない。たぶん、無意識にエルフリートに対して自分の理想を押しつけようとしたからである。彼が一人の人間である事を失念してはいけなかった。
――たとえロスヴィータに悪気がなかったとしても、である。
ロスヴィータの中で、エルフリート像が勝手に歩き始めてしまった。そうして一人歩き始めた彼は、次第に存在を増大させていった。その結果がこれだ。
詫び状をしたためねば。ベッドに伏せていた彼女はがばりと起きあがった。が、水分が抜けてひょろひょろと力なく生える雑草のようになってしまった。
「ああ、無理だぁ……何と書けば良いのか分からない……」
だって、自分が夢見がちでごめんなさい、だなんて書きようがないではないか。それとも、憧れをこじらせてごめんなさい、か? いずれにしろ、手紙にできるような内容ではない。
「思い浮かばない!」
枕に顔を埋め、もだもだと体を押しつけた。どうすれば良い? 彼は自分の憧れの人だが、同時にエルフリーデの兄だ。自分がただエルフリートにあきれられるのはまだ良い。それ以上があるかもしれない。エルフリーデにもあきれられたら?
ロスヴィータの思考はろくでもない方へと展開していった。
「二人に嫌われたくない」
自分本位の気持ちがエルフリートを怒らせたのに、口から出てきたのは、これまた自分本位の気持ちだった。
ロスヴィータが一人反省会をしている頃、エルフリートの方はエルフリートの方で悶々としていた。
「ああ、すっっっごい綺麗だったぁ……」
ここはボールドウィン家の所有する王都内にある別邸である。カルケレニクス侯爵やその身内が王都へやってきた際に使う家で、最低限の家令と侍女で構成されている。もちろん、ここの人間はエルフリートとエルフリーデが同一人物である事を知っている。
エルフリートとして戻ってきた彼は、自室の机に肘を乗せて窓の外を眺めていた。夜も更け、漆黒の闇夜に輝く月が浮かんでいるのがよく見える。
「ロスってば……私なんかに告白まがいの言葉を投げてくるんだから、びっくりしたなぁ」
絶対に彼女はそういうつもりで言った訳ではない。
「でも、絶対私の事が見えてない」
憧れって、遠い。エルフリートはため息を吐いた。エルフリーデとロスヴィータは親友みたいになれたけど、ロスヴィータは“妖精”としか見てくれていない。
――それでも良かったのだ。今までは。
「だからといって、私を見て。はダメだよなぁ」
あの困惑した表情。ロスヴィータを困らせたかったのではないのに。炎の女王となった彼女は、とても美しくて、エルフリートが理想としている“王子様”像とはかけ離れていた。
にも関わらず、彼の心を惹きつけたのだ。




